2012年2月21日火曜日

出入り口

「入出り口」ではなく「出入り口」。


まずは、先に出して、その後に入れる。


電車でもそう、まずは降りる人が先、
その後に乗る人、という順序。


これは決して、マナーの話ではありません。
経営の話です。


中身を変えようと思った時、
すなわち会社の体質なり、構造を変革しようと思ったとき
思い出すべきことです。


新しく変革したい・・・・と思いつつも、
今までのものは失いたくはない・・・
できれば、今までの上に新しいものを付け加えたい・・・
というのが人情です。


概して、変革したいと思う時は、
今の方法で限界を感じている時で、
ストレートに言うならば、業績的に伸び悩んでいたり
業績が下降傾向にある時がその多くです。


だからこそ、今までのものは失わずに、
今までのものに新しいものを加える
という傾向が強くなっていきます。


しかしながら、現実は人情とは逆です。


組織の受容力を広げられるならば、
新しいものを、広げたところに納めることは可能です。
しかしながら、現行の受容力のままで、
新しいものを入れるためには、
何かを捨てる必要があります。


コップを大きくするならば、
さらに水を入れることができますが
コップの大きさが同じならば、
古い水を捨てて、新しい水を入れるしか他に方法はありません。


変革のスピードは、
新しいものを汲み上げるスピードの問題もありますが、
古いものを捨てる決断力も影響する


ということを忘れてはなりません。

2012年2月14日火曜日

人間関係で受注/発注・・・・

長い付き合だから・・・、親しく付き合っているから・・・
注文がきて当然。発注しないとまずいだろう。


という人間関係で、受注したり、発注したりという
話を聞く事があります。


他に発注したり、他が受注したら
発注した側は、後ろめたい気分になり、
受注する側は、他人行儀な・・・と感じたりで、
折角の築きあげた人間関係がどことなく、
よそよそしくなったりすることがあります。


この「人間関係で、受注・発注」というのは、
人間関係を拡大解釈しています。


・人間関係があるから、
   ビジネスのチャンスが与えられる・与える


というレベルで納めるのが妥当な線です。
それを拡大解釈して、受注・発注まで、
というのは行き過ぎです。


発注者側にとってみると、
人間関係があり、信頼できる会社だから
今回の調達に声をかけないと・・・


受注者側であれば
人間関係があるから、
ビジネスのチャンスを与えてもらった。


という線引が妥当なところです。


人間関係だけで、受注・発注までしていたら
前述したように、人間関係そのものに影響を与えるだけではありません。


受注・販売した側は、人間関係に甘え、商品・サービスの
レベルアップ・競争力の向上というテンションが
どうしても弱くなってしまいます。


そして購入側にしてみると、その商品・サービスの善し悪し、
自社のニーズとのマッチングという評価機能が甘くなり、
より自社にあった商品の購入の機会を逸してしまうことになります。
そして、ひいては自社の競争力を弱めることになりかねません。


人間関係があるというのは、


素性が知れていて信用できるから、
チャンスを与える・与えられる


で十分なのです。

2012年2月9日木曜日

「敵は味方以上に辛がっているだ」

メルマガ第28号を本日発行しました。


NHKの「坂の上の雲」 では取り上げられなかった
場面を今回もご紹介しています。


日本連合艦隊司令長官 東郷平八郎が部下に徹底していた


「海戦というものは敵にあたえている被害がわからない。
 味方の被害ばかりわかるから
 いつも自分のほうが負けているような感じをうける。
 敵は味方以上に辛がっているのだ」


という教訓です。
ビジネスに置き換えて・・・と解説を加えています。


当ブログ右上の、「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」の
メルマガアーカブでご覧にいただけます

2012年2月1日水曜日

横山(安武)正太郎の死諌の建白書

年末から司馬さんの長編小説「翔ぶが如く」を再読しています。


その中に、横山正太郎の「時弊十条」という死諌の建白書
が紹介されていました(4巻 私学校)。


横山正太郎は薩摩藩の儒者で、森有礼(初代の文部大臣)の実兄です。
明治政府の堕落をなげき、太政官の集議院の門扉に
「時弊十条」の建白書を掲げ切腹し、28歳の生涯を終えました。


その建白書の内容は、以下の通りです。


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いまはすべて一新すべきときであうというのに、
旧幕の悪弊がいつのまにか新政府に遷っている。
かつて幕府に対してそれを非としたことが、
いまは新政府がそれを是としている。


というところから始まり以下十ヶ条あります。


第一に、大官以下侈靡驕奢になり、
上は朝廷をもその驕奢に巻き込み、
下々に飢餓がひろがっているというのに、
それを察しようとしない


第二に、大小の官員は、外には虚飾を張り、
内には名利を事とする傾向が少なくない


第三に、政令は朝に出て夕にかわり、
これがため人民は時代の方向を察することができない
これは要路の者が本気で物事をしようとしていないためである


第四は、旅行の費用を政治が不当につりあげている


第五は、人を用いるのに、剛直な者を尊ばず、
能者(物事がよくできる人物)を尊んでいる。
これがために日に日に軽薄の風がひろがっている


第六には、政府がやっている人事は、
官のために人を求めるというのではなく、
人のために官を求めるというやり方である


第七には、官員のあいだに酒食の交際が多い


第八に、外国と交渉して物をとりきめるやり方は慎重でなく、
じつに軽卒である


第九には、人をひきたてたり、しりぞけたりするのに、
人事上の大基準がない。多くは愛憎をもってやっている


第十には、政府の上下はたがいに私利のとりあいで、
その状態がつづけば国家はほろぶしかない。


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この建白書は明治3年のもので
今から140年以上も前のことです。


残念ながら、上記のうち半分以上が
今にも当てはまるように思います。