2016年9月27日火曜日

「そうすることが、私の義務ですから」メルマガ83号

本日メールマガジン
「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」第83号
を配信しました。

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 そうすることが 私の義務ですから

 「司馬遼太郎全講演 4 」

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1990年英国ロンドンで
「歴史の中の『義務』の作用」という演題で
司馬さんがおこなった講演からご紹介しています。

”Duty"(義務)という概念は、
英国の発明、そして資本主義の維持に必要なものだと・・

是非、ご一読を!!

2016年9月23日金曜日

「印鑑を押すっていうのは・・・」

1ヶ月前のある経営管理者との話です。

「この書類に捺印してるけど、
  何を確認して、何に責任を持つ、ってこと?」

という私の質問に、

「この書類には捺印するように、
    と前任からの引継ぎがありましたから・・」

という回答に、あ然とする場面がありました。

印鑑を押す意味について指導したのでした。

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印鑑を押すっていうのは、
「その書面に記載されることに責任を持ちます」
ってこと。

ということは、
書面に記載されいる内容でいいかどうか、
確認する必要があるってこと・・・

仮に、時間がなくて書面を確認できずに
メクラ判を押したとしても
その内容には、責任を持つことになるわけ。

判を押すときの事情にかかわらず、
判を押しているという事実が責任を意味するの。

友達に頼まれ気軽に保証人になって、
後で友達の借金背負わされたというケース。
読んでなかった、知らなかった、
軽い気持ちだった、メクラ伴だった・・・

っていうのは、世間では通用しないんだからね。

印鑑を押す前に、
・内容をきちんと確認して、
・ひと呼吸おいて「よし、これで大丈夫」と納得・肚をくくって
・捺印する
ですよ。

という意味のことを、伝えたのでした。

捺印欄へのスタンピングマシンなら
必要ないんだからね。

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「メクラ判だった・・・(俺は知らない)」
と東京豊洲問題でエクスキューズする人たちには
耳の痛い話なのかもしれません。

2016年9月12日月曜日

経営計画を持参すれば

先日、ある経営者からメールが送られてきました。

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(銀行との借入の)交渉の席で、
先生に教わって作った「経営計画」を持っていきました。
2つの銀行で、この表を見て、
ビックリされ、褒めていただきました。
以前、先生のセミナーで、
「金を借りるときは、自分の夢やうんちくを
 タラタラ語るんじゃなく、
 ピシッとした経営計画表を持参すれば、
 すぐに貸してくれる。」

という内容のお話を聞いていたので、
その通りになり、ビックリしました。

ほんとうに感謝しています。

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という内容(メールの一部)でした。

これに対して、

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報告ありがとうございました。
私は、当たり前のことをお話しただけで、
それを実践した○○社長に賛辞を送りたいと思います。

当たり前のことをしただけで、
金融機関に褒められる・・・
というのも変な話ですが。

現実は、
当たり前のことを、きっちりしないで、
業績が・・・と頭を悩ましたり、
景気が回復しない・・・と言っている
経営者が多いということになるのでしょうか。

○○社長は
このルーティーン(当たり前のこと)を、
真剣に継続していってくださいね。

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と返信したのでした。

送られてきたメールの中に、

セミナーで、
「金を借りるときは、自分の夢やうんちくを
 タラタラ語るんじゃなく、
 ピシッとした経営計画表を持参すれば、
                すぐに貸してくれる。」

とありますが、補足しておかねばなりません。

1つは、「ビシッとした」という内容です。
Simple&Rational(簡潔かつ合理的)
になっているかということです。

もう一つは、
経営者が有言実行する人であるか、という信用です。
計画を成し遂げるという覚悟です。

この2条件も必要です。
誤解なきよう。

2016年9月5日月曜日

「執着・邪念を捨てて」=「合理性」

「執着」「邪念」「煩悩」「囚われ」 を捨てて・・・

という言うと「宗教」の匂いがしてきます
「宗教」という言葉に拒否反応を示す人も・・

しかしながら、その言わんとするところは

「フラットにありのままを受け入れよ」
「そして、『執着』や『邪念』をすてて考えよ」

のように思います。

別の言い方をするならば

「現実をきちんと見て、合理的に物事を考えよ」

ということになるでしょう。
経営の基本中の基本にほかなりません

「執着・邪念を捨てよ」
という宗教で道を説くときによくつかわれる言葉は

経営用語で言う
「合理性を追求せよ」
ということなのかもしれません。