2018年3月29日木曜日

「行動目標には全体観を!」

「毎日〇〇を△△件」
「毎月××を□□個」
と行動目標を立てて、取り組むことがあります。

行動目標には、行動の密度をコントロールできる効用があります。

しかしながら時折あるのは、
「ところで、『毎日〇〇を△△件』するといつ達成する(終わる)?」
と質問したときに、回答がでてこないことがあります。

全体観が欠如しているなかで、行動目標に取り組んでいるケースです。

全体で10個あるなかの毎日3個なのか、
全体で1万個あるなかの毎日3個なのか?

前者ならば3日で終わりますが、
後者ならば9年かかります。

あなたが取り組んでいる行動目標、
あなたが部下に取り組まさせている行動目標、
全体観を持っていますか?持たせていますか?

2018年3月27日火曜日

「相手の出方見て・・・」

業績を大きく左右する可能性のある事案。
その事案の発生について報告され、
役員間で共通認識がもたれました。

「ということで、
 先方が、どう言ってくるかを待って対応策を考えましょう」

という結論になりそうな、雰囲気。

「ちょっと待った!!
 もし、先方が〇〇(最悪のケース)と言ってきたら、どうするんですか?」

「それは、大変なことになります」

「そう、大変なことになりますよね。
 でも、先方の出方待つんですよね?」

「・・・・」

「待ってては『ダメ』です。」

先方がどんな出方をしてきても、
対応できるならば、それだけの力が当方にあるならば、
待つ意味はあるかもしれません。

しかしながらそうでない場合、
無駄骨になるかもしれませんが
こちらから動く必要があります。

先方の出方として考えられる選択肢は4つでした。
実際に検討していくと、概ねこんなところです。
無数にはありません。
片手、おおくても両手があれば足りるものです。

当社の有利に働くものもあれば、
大問題が発生するものもありました。

先方の言ってくる内容が
最悪のものとならないように、
そして有利なものとなるように、
事前に働きかける行動を行うことにしたのでした。

「待って手をうつ」のは強者がすることです。
弱者は「自ら働きかける」ことしかありません。
弱者が強者の振る舞いをしていては・・・

2018年3月23日金曜日

「承認しておいて・・・」

社長に室に入っていくと、
幹部社員が社長にお小言をもらっている最中。

終わるのを待ちながら聞いていると、
成果の芳しくなかったあるプロジェクトについて
「あれはないわ・・・」
「期待はずれだったわ・・」
との社長の声

「以降、再度頑張ってみます」
と、幹部社員がうなだれて社長室を退出しました。

退出間際の幹部社員に、
「内容はよくわからんけど、計画見せてなかったの?」
と聞いてみると。
「計画は承認をもらたんですけど・・・」
とのことでした。

「先ほどは、失礼しました。
 (前述の)プロジェクトが・・・」
と社長が挨拶され、私との面談開始。

(途中省略します)

「幹部社員は、『計画は承認してもらった』と言ってましたが」
との質問に、
「忙しくて、細かなところまでは・・・」と社長。

「計画承認しておいて、社長、そりゃありませんぜ!!」

「計画の承認の意味」について、社長と小一時間話したのでした。

メクラ判で捺印し承認した計画が、
失敗に終わり成果が上がらなかったとき、
あなたは、部下にどう接していますか?

2018年3月20日火曜日

「尊大は赤誠といわれる・・」メルマガ101号

本日、メールマガジンを配信しました。
「西郷どん」を描いた小説「翔ぶが如く」からご紹介しています。

西郷の唱える征韓論に明治政府は揺れていました。
維新の志士の上に公家の一人、
岩倉具視が右大臣として位置していました。
方向の定まらない状況の中の岩倉の
イライラ感を描いた場面からご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

「尊大は赤誠(セキセイ)といわれる。
 赤誠はじつは太政官の倉にも庭にも山積するほどあるのじゃ。
 赤誠がござるというのはキンタマがござるというのと同じで、
 そんなものを何万個積みあげても、どうにもならぬ」

  「翔ぶが如く」(2巻 秋の霜

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是非、ご一読を!!

2018年3月4日日曜日

聞きなれぬ言葉「形而上・形而下」

本を読んでいると時々目にする
「形而上」「形而下」という言葉。

国語辞典で調べてみると

「形而上」
 はっきりした形が無く、
 感覚の働きによってはその存在を知ることができないもの。

「形而下」
 はっきりした形があって、
 感覚の働きによってその存在を知ることができるもの。

と説明されていました。

要するに、
見ることも、聞くことも、触ることも、匂うことも、味わうことも
5感覚では認識できない存在です。

中国の古典 易経の「形而上者謂之道、形而下者謂之器」
(形而上なるものこれを道といい、形而下なるものこれを器という)
からの言葉のようです。

ついつい、形而下のものが気になりますが、
大切なのは形而上の部分のようです。