2019年10月12日土曜日

萩往還 その11 明木→ 悴坂

赤木橋

吉田松陰が下田での密航を企て萩に送還される際に、
安政元年10月24日、赤木橋を通り詩をよみました。


その詩の石碑
「私は少年のころこの明木橋において志を書いたことがある。
 そして今、檻に入れられて返えされてきたが、
 故郷に錦を飾って帰る思いである」
という意のようです。

殉難三士の原

幕末、第一次長州征伐で長州は佐幕に傾きます。
改革派の高杉晋作らが蜂起し太田絵堂の戦いで、
佐幕派を退け倒幕に戻します。
高杉らに萩に突入しないようにと、
折衝した佐幕派の4人の藩士がいました。
事前協議もなく勝手に折衝したと、
その折衝の帰りにこの明木権現原で、
3人の藩士が殺害された場所です。



そして、悴(かせが)坂の烏帽子岩に梟首されました


鹿背隧道

悴坂峠を貫通する182mのトンネル。

明治17年(1884年)に開通した、
石積の坑口、内部は総石張りで有形文化財に
登録されているようです。

ただ、萩往還はこのトンネルではなく、
右の急峻な山道を越えよ、という案内板が・・・
これが最後の峠と、
膝の痛みに耐えながら登っていきました。

悴坂駕籠建場・茶屋跡