2013年5月6日月曜日

史跡探訪:美濃


前半のGWに美濃・近江と史跡探訪にいってきました。
道路事情にも恵まれ、堪能できました。
まずは、岐阜城(稲葉山城)


山頂に聳えるのを麓から見たことはありましたが、
ロープウエイで山頂まで。
司馬さんの「国取り物語」を思い出しながら
斎藤道三、竹中半兵衛、織田信長を偲びました。
天守からは美濃平野が一望に見渡せます。
何かしら天下をとったような気分にも・・・・

川の対岸の左の小高い丘が、道三が隠居した鷺山城。
後に斎藤道三と城主の義龍はこの長良川で戦い、
織田信長の援軍間に合わず、斎藤道三は戦死するのでした。

お城の公園の中には、織田信長の居館跡。



そして、山内一豊と千代が婚礼の地がありました。

どこかで見たことのある像だと思いしや、板垣退助の像

「板垣退助遭難の地」
明治15年4月6日に演説を終えた後に、ここで胸を刺され
「板垣死すとも、自由は死せず」という名言を残した場所のようです。


お城から、5分くらい歩くと「常在寺」があります。

斎藤道三の菩提寺で、道三のお墓がひっそりと佇んでいます。

岐阜から車を西に走らせ、竹中重治(半兵衛)の里垂井町へ

竹中半兵衛の墓所(禅幢寺)

戦国時代を代表する軍師、黒田官兵衛とともに
「両兵衛」「二兵衛」と称せられました。









半兵衛の陣屋跡には、勇壮な半兵衛の像が建立されていました。

道三を長良川の戦いで退けた義龍から、龍興に稲葉山(岐阜)城の城主は
代替わりをしていました。
半兵衛は龍興に仕えていましたが、酒色に溺れた龍興を諌めるべく
稲葉山城をわずか一日で奪取しました。

その後、秀吉に仕え播磨三木城攻めの陣中で、享年36で逝きました。