2013年2月18日月曜日

雪にも負けず・・菜の花

1月27日に広島は雪が3センチくらい積もりました。
その中、ベランダの菜の花は雪に耐え・・・
2月10日 菜の花が黄色の花を咲かせ始めました

春には一体どんなになるのか、楽しみです

2013年2月10日日曜日

史跡探訪 吉田松蔭句碑・第2次長州征伐

広島県大竹市。仕事の合間をみつけて史跡探訪をしました。

186号線沿いに上っていくと、両国橋があります。
安芸の国と長州の国を渡す橋という意味なんだろうな・・・・

遠くに見えるのが両国橋 山口側から
山口側(岩国側)にわたり、車で1〜2分走るとありました、吉田松蔭の句碑

安政6年(1859年5月28日)
安政の大獄で吉田松蔭が江戸に護送される時に、防長2州を後にするにあたり、

「夢路にも かへらぬ関を 
 打ち越えて 今をかぎりと 
         渡る小瀬川」

と詠みました。









岸信介(安倍晋三総理の祖父)が松蔭の句を揮毫している

小瀬川を渡り広島側からみたところ
 
川を渡り、振り向いて、
故郷の最後の景色を目に焼き付けたのかな・・・

山口の人は「小瀬川」と呼び
大竹の人は「木野川」と呼ぶそうです
そして川を下っていくと、「長州之役戦跡」があります。

幕軍先鋒は、三千人、この方面の長州軍の三倍はあった。
かれらのうち赤備えの伊勢は(慶応2年1866年)六月十三日夜、
陸路大竹に入り、その夜のうちに国境の小瀬川を渡って、
和木村に展開中の長州軍に銃撃をくわえた。
ほとんどが火縄銃であり、さらには法螺貝を吹き鳴らし、
陣鉦をたたき、関ヶ原の合戦の再現のようであった。

〜「花神(中)」四境戦争 より 〜

大和橋(右岸が竹、左岸が木町)
を戦跡から撮影

長州軍は現在の場所に架かっていた土橋を取り払ったという記録が残されているそうです。





外にも近くに、松蔭・四境戦争の史跡があるそうです。
また、大竹での仕事の合間を見つけて史跡探訪したいと思います。

2013年2月9日土曜日

「調練きちがい」

本日、メールマガジン
「司馬遼太郎作品に学ぶ:経営心得 No40」
を発行いたしました。

「峠」より、幕末の長岡藩の家老河井継之助は
調練を重んじていました。

今回のメルマガでは、教育と訓練について考えています。

是非ご一読を!!


2013年2月7日木曜日

ここで終わらせないで・・・

先日、某社で昨年年末に実施したイベントの振り返り
について報告がありました。

皆さん頑張られた様子で、成果のほうも満足するものでした。

毎年定例のイベントなのですが、
生産体制・販売体制と年々レベルが向上しています。

その報告の中で、
○○は、準備不足だった・・・
○○については、来年はもう少し早めに・・
という具体的で、効果がありそうな改善案でした。

「きちんと振り返りもできています」
「ここで終わらせないで、今年の年末の計画を作っておきましょう」

10ヶ月以上も先の計画をつくっておくというのは
奇異に感じられるかも知れません。
しかしながら、今年の年末が近づいて、
昨年はどうだったか・・・と振り返りの資料を見ても
その臨場感は薄れてしまっています。

記憶が生々しいときに次の計画に反映しておくことで、
より確実に振り返ったものが活かされるのです。
さらに、振り返った内容自体の実現性も
併せて確認できることになります。

「振り返って終わり」でなく、
「振り返って、それを次の計画に反映して終わり」
というところまで頑張りましょう。