広島県大竹市。仕事の合間をみつけて史跡探訪をしました。
186号線沿いに上っていくと、両国橋があります。
安芸の国と長州の国を渡す橋という意味なんだろうな・・・・
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遠くに見えるのが両国橋 山口側から |
山口側(岩国側)にわたり、車で1〜2分走るとありました、吉田松蔭の句碑
安政6年(1859年5月28日)
安政の大獄で吉田松蔭が江戸に護送される時に、防長2州を後にするにあたり、
「夢路にも かへらぬ関を
打ち越えて 今をかぎりと
渡る小瀬川」
と詠みました。
岸信介(安倍晋三総理の祖父)が松蔭の句を揮毫している
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小瀬川を渡り広島側からみたところ |
川を渡り、振り向いて、
故郷の最後の景色を目に焼き付けたのかな・・・
山口の人は「小瀬川」と呼び
大竹の人は「木野川」と呼ぶそうです
そして川を下っていくと、「長州之役戦跡」があります。
幕軍先鋒は、三千人、この方面の長州軍の三倍はあった。
かれらのうち赤備えの伊勢は(慶応2年1866年)六月十三日夜、
陸路大竹に入り、その夜のうちに国境の小瀬川を渡って、
和木村に展開中の長州軍に銃撃をくわえた。
ほとんどが火縄銃であり、さらには法螺貝を吹き鳴らし、
陣鉦をたたき、関ヶ原の合戦の再現のようであった。
〜「花神(中)」四境戦争 より 〜
大和橋(右岸が
大竹、左岸が
和木町)
を戦跡から撮影
長州軍は現在の場所に架かっていた土橋を取り払ったという記録が残されているそうです。
外にも近くに、松蔭・四境戦争の史跡があるそうです。
また、大竹での仕事の合間を見つけて史跡探訪したいと思います。