2013年6月24日月曜日

ウワベだけでなく、もっとお客様の懐に・・


「ウワベだけではなく
 もっとお客様の懐に飛び込んで、
 お客様の喜び悲しみを
 一緒に味合うくらいまでならないといけませんね、
 最近とくにそう思うようになりました。」

「営業改革に取り組んだリーダーたちの物語」
の講演に参加していただいた、
ある社長からのメールの文末に書かれてありました。

企業経営の本質、営業の本質を衝いた言葉です。
感動しました。ありがとうございました。

2013年6月22日土曜日

史跡探訪:亀居城跡


 仕事の合間の時間を利用して、広島県大竹市にある亀居城跡を訪れました。
JRの大竹駅から車で10〜15分くらいのところです。
広島を本拠にしていた毛利輝元は関ヶ原の戦いで西軍として参戦し敗れ、
山口の萩に移されます。

毛利の後に芸備の国を治めたのが、
豊臣秀吉恩顧の武将福島正則でした。

福島正則は広島城を中心に支城を、
小方、三次、東城、三原、神辺、鞆に築きました。
その小方の支城がこの、亀居城です。
(天守の跡)
「亀居城」と呼ばれるのは、
城地が亀の伏した形に似ていたことに由来するそうです。

(天守から瀬戸内海側の大竹の町)

1608年に5年の歳月を経て完成します。
毛利に対する戦略的拠点でしたが、
幕府の厳しい圧力により1611年に取り壊されました。
その約260年後の1866年この地大竹は、
第二次長州征伐の安芸口の戦いの場となりました。



慶長〜寛永(1603年〜1624年)に築かれた城の石垣には
刻印されているものが多いそうです。
そういえば、松江城、大坂城でも刻印を見た記憶があります。
仕事をした業者の印です。
石垣を作った職人が
「どうだ俺の、石垣は何百年経っても崩れてないだろう!」
と言っているようで、職人のプライドを感じました。














亀居城の石垣には、24種類264個刻印されいるそうです。
そして広島城と同型の刻印が21種類あるそうです。




2013年6月16日日曜日

功のあった者に ・・・メルマガ44号発行


本日メルマガ「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」第44号
を配信しました。

西郷隆盛を描いた「翔ぶが如く」からご紹介しています。


「功のあった者に

  官職をほうびとしてあたえてはいけない、
    あくまでもほうびをやればよいのだ」
 
   翔ぶが如く (4巻) 私学校 

処遇の機微について書いています。
是非、ご一読ください。

2013年6月6日木曜日

講演会 at 大坂

関西YRAの研修会の講師としてお招きいただきました。
ユアサ商事さんが支援する勉強会です。

拙書「R指定”商品は売るな” 営業改革に取り組んだリーダーたちの物語」
のエッセンスを以前広島で講演したことがきっかけでした。

ユアサ商事、GSユアサ・・・と言えば
日本を代表する世界的企業の一つ。
最新鋭の航空機ボーイング787に供給している事などで、
誰でも知っている会社。

勿論、私もその程度の知識はありましたが、
事前の打ち合わせで初めて知ったことがありました。
それは・・・

ユアサ商事の創業は、ななんと1666年(寛文6年)。
関ヶ原の戦いの66年後、4代徳川将軍家綱の時代。
350年の超超老舗企業だったことです。

350年前の創業企業が、最新鋭の787の技術に係っていたなんて・・・
まったく驚きでした。Oh,Cool!!

ということもあり、楽しみしていた勉強会でした。

50人を超える参加者の方を対象に、
2時間の講演、その後2時間のディスカッションを行いました















長時間にもかかわらず、皆さん熱心にお取り組みいただき、

・価格以外でも勝負することがあるということを学びました
・サービス業である事の根本を忘れていた
・営業の根本を学んだ
・顧客の分類方法、問題の見つけ方、プロセス等、
 今までに無い考え方だった
・顧客の話を聞く・・・ここにヒントがあることを痛感した
・なぜ、「カレーを食べるのか」この発想に感銘をうけました
・初心を思い出しました。部下の指導のについて考えさせられました。

等々、それぞれに色々な気づきを持っていただけました。
そして、気づきを行動に!!
期待しています。
充実した勉強会でした。
ユアサ商事の事務局の皆さんの、
細やかなご配慮で無事終了することができました。
心より感謝いたします。

2013年6月5日水曜日

史跡探訪:神戸海軍操練所

大坂での仕事の機会を利用し、神戸の史跡を探索しました。

JR神戸駅からタクシーで5分走ると西出町があります。

江戸時代の前期に兵庫津の出町として町場が形成され
北前船などの廻船寄港するようになると、
問屋、船大工などの町として栄えたそうです。
その関係なのでしょう、近くには川崎重工があります。

ありました。ありました。
「菜の花の沖」の主人公、北前船で身を立てた
高田屋嘉兵衛の「高田屋」の本店跡です。



本店所在地から、車で2〜3分のところに鎮守稲荷神社があります。
高田屋嘉兵衛が献上した灯籠がありました。


 文政7年(1824年)海上安全を祈って献上したものです。
嘉兵衛さんの亡なくなる3年前で、
既に現役を引退して淡路に戻っていたころのようです。

そして車で10分くらい東に移動し、水上警察前まで。
隣に、みなと公園の中に「海軍操練所顕彰碑」がありました。

碑の裏側には、勝海舟、坂本龍馬、伊藤俊輔、
睦奥宗光の名前が刻まれています。

そこからNTTのビルを目印に少し歩くと「海軍操練所跡」の碑が















「このごろは天下無二の大軍学者勝麟太郎といふ大先生の門人となり
 ことのほか可愛がられ候て、まづ客分のやうな者になり申し候。
 近きうちには、大坂より十里余の地にて兵庫と申す所ににて
 大きに海軍を教え候所をこしらへ、また四十間五十間もある船をこしらへ、
 弟子共にも四五百人も諸方より集まり候事
 達人(自分のこと)の見る眼は恐ろしきものとは、つれつれにもこれ有り。
 猶、エヘンエヘン、かしこ。 竜」 
 〜 竜馬がゆく 4巻 神戸海軍塾 〜

と竜馬が国もとの乙女姉さんに手紙を書いています。

ビジネスでは何十回と来ていた神戸ですが、
史跡探訪という視点での初訪問でした。

2013年6月3日月曜日

それが決まった時に、技術がいるんだ!

過日、愛車の定期点検とタイヤ交換にディーラーに車を持ち込み、
待っている間、流れているDVDを見ていました。

HONDAの新車紹介のDVDだったと記憶しています。

その中に、本田宗一郎の言葉が紹介されていました。

「どんな車が喜んでもらえるか、
 それが決まった時に、技術がいるんですよ」

という内容でした。

技術屋、技術開発という印象が優先する本田宗一郎ですが、
その根底には「人」がありました。

「そもそも、技術だってその根本は礼儀なんです。
 相手を尊重することから、あらゆることが始まるんですよ。(中略)

 一方、科学技術などはひとつの手段に過ぎません。(中略)
 われわれが科学や技術を探究し、研究するのは、
 人間の幸せのためにやっているんです」

 〜「やりたいことをやれ」本田宗一郎 PHP

一流の技術というだけでなく、
一流の経営思想の両面をもった人物だったことを
再認識したDVDでした。