2016年5月30日月曜日

「仕事ができません」 ええこっちゃ!

「仕事ができません」

とある幹部が・・・

「そりゃあ、ええ、こっちゃ!!」

つい先日の会話です。

もちろん、仕事ができなくて、いい訳はありません。
この会話には、少し説明が必要です。

その幹部は、数ケ月前の人事異動で、
いままでと全く違う業務の部署を
率いることになりました。

異動前は入社以来の長年在籍した部署でした。
すべての業務をこなすことができる優秀なプレイヤーとして、
みんなを引っ張ってきました。

ところが、異動で全く勝手の違う部署になり、
今までの技を使う場面がありません。
知らないこと、できないことばかり・・・

これが、彼をして「仕事ができません」と
言わせた理由なのです。

しかしながらその幹部は、
新しい部門でしっかり仕事をしているのです。

「あ・うん」の呼吸で曖昧なまま行われたいた業務
「今までやっているから」という理由で行われている業務

これらの業務に切り込み、
組織としての明確な仕組みを作りつつあるのです。

彼にとっては、
「あ・うん」や「今までやっているから」という業務は、
理解のできない、不可解な業務に映ったに違いありません。

第三者的な視点から、そして客観的に
業務を見直す機会だったのです。
そこで認識した問題を、改善しようとしているのです。
まさに、マネジメントとしての仕事です。

冒頭の言葉を正確に言うならば、

プレイヤーとして仕事ができません。
(マネジメントの仕事をやり始めました)」

ということになるでしょう。
プレイヤーからマネジャーへの脱皮が始まったのでした。

「そりゃあ、ええ、こっちゃ!!」

なのです。

2016年5月23日月曜日

エグい価格交渉の仕組み

ある営業会議で

「A社の価格ネゴはは、たまりません。
    ケツの毛まで抜かれるような感じです。

との報告がありました。

「無理は、止めましょう!」
という結論になったものの、
その顧客の価格の折衝方法を確認してみたところを

「勝ち抜き戦を数度繰り返す」

というもの。

1回戦は5社から見積もりを取り、3社に絞る。
勝ち抜けた3社から2回戦目の再見積もりを取り、2社に絞る。
最後の決勝で2社から再々見積もりを取る。

値切って、値切って、最後にもう一度値切る。
という手順とのこと。

エグいと言えばエグい。

この価格折衝の方法の是非は別として、
参考にするところがあります。

このエグい方法は、A社がシステム・仕組み
として行っているということ。

要するに、このシステムを運用する限り、
一定の成果が出るということです。

別の言い方をするならば、
購買担当者の価格折衝の力量に左右されることが
少ないということです。
(問われる力量は、価格折衝よりも、
 このゲームに参加を募ることになるでしょう)

個人の力量に左右されるのではなく
成果を出す「仕組み・システム」の構築・改善が、
こと中小企業には大切な要素です

2016年5月16日月曜日

史跡探訪 讃岐 ②


満濃池の後、
「讃岐うどん」をお腹に入れ、
空海の誕生の地の善通寺に行きました。

弘法大師空海は、774年この地で誕生しました
父の佐伯善通(よしみち)の名をとって
善通寺と号されたようです。

「佐伯氏はかつて讃岐の国造だった家である
 この日本列島を統一する国家ができていないころ、
 津々浦々に数多くの部族国家があり、
 それぞれが小地方をおさめていた。
 佐伯氏もそのひとつである」

 ~ 空海の風景 上巻 1 ~



西院の地は当時佐伯家があり、
御影堂が建つ場所は、
母の部屋があったそうで、
そこが誕生の地とされています。

御影堂の真っ暗な地下の回廊を歩く
という「戒壇めぐり」がありました。

真っ暗な中を、壁に手を沿わせ歩いていきます。
途中に光が・・・、
コンピュータで再現された
お大師さまの声を聞くことができました




金刀比羅宮にも足を伸ばしました。

本宮まで785段ですが・・・













本宮に到着しました。

空海が悟りをひらいたといわれる室戸岬の御厨人窟、
求聞持法を修めたといわれる阿波の大瀧岳、
そして高野山にも、

と、史跡探訪先リストにはメモされています。
いつのことになるのやら・・


2016年5月10日火曜日

史跡探訪 讃岐 ①

司馬さんの「空海の風景」を読んだ後、
北大路欣也さん主演の「空海」という映画を
DVDで見たことがありました。

印象に残っているのが、
四国の池の治水事業に空海・弘法大師が
かかわったシーンです。

香川県・讃岐にある「満濃池」がその池です

「いつか行ってみたい」と思いながらも・・・
このGWに、やっと行くことができました。

「晴天五日を経れば水湿の潤い無く、霖雨二日に及べば洪水の難有り」
と言われた地に作られたのが満濃池。
820年の難工事にあたり、嵯峨天皇の勅命により
弘法大師が派遣された

と、案内には記されていました。
池というより、大きな湖でした。











































「池は三方を山でかこまれて浸蝕谷をなしているが、
 北だけはかつては野の方向に向かって開口していたのを
 空海が堰堤を築いて水をせきとめ、池にした。
   (中略)
  この池は、ごくざっとしたかたちとしては
  空海以前からあったであろう。
  その証拠に、弘仁九年(818)にこの池が決潰し、
  北方一面の田畑や人家が流失したという事実で想像がつく。
  国司はこれを改修しようとして三ケ年間工事をしつづけたが、
  雨季になるとそのつど崩れた。
  住民はたまりかねて、京にいる空海をまねいて
  築池使に任命してくれと国司に請願した。」

   ~ 「空海の風景」 上巻 1 ~




湖畔に建立されている
「神野寺」の隣には、
空海・弘法大師の像が
池に向かって立っていました。
















湖畔の護摩壇上で秘法を修し加護を祈りつつ、
弓状堤防などの指図と説法をおこない、
僅か3ヶ月で難工事を仕上げたそうです。















この小さな島で、空海は護摩を焚いて祈りました。

島に渡ると、頂上部分は⒑畳程度の平らな部分がありました。
ここで祈ったのかな?? と想像をめぐらしました。

「神野寺」から帰ろうした時、
改めて入口の石碑を振り返ってみると、

なんと「榎本武揚」の名が・・・
土方歳三らと箱館戦争で新政府軍と戦った
幕府海軍の指揮官です。





戊辰戦争で敗戦し投獄されますが、
その後、明治政府の要人として国つくりにかかわります

榎本武揚が黒田内閣の農商務大臣の時に
立ち寄ったときのもののようです。碑には、

「千載無比人物」

と書かれてあるようです。

2016年5月5日木曜日

「世間というものを知っているのが、武道である」メルマガ79号

本日、メルマガ79号を配信しました。

今回も、真田幸村が活躍した「大阪の陣」を描いた「城塞」から、

家康の武道観を表した一場面からご紹介します。

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「世間というものを知っているのが、武道である」

    城塞 (中)  (茶臼山)

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武道といえば、剣術をイメージするのが一般的ですが、
家康は・・・・

是非、ご一読を!!

2016年5月2日月曜日

「将の将」と「兵の将」

「将の将」、「兵の将」
聞きなれぬ言葉かもしれません。

会社のヒエラルキー(階層構造)を表現したものです。

「兵の将」とは、プレーヤーを束ねるリーダーのこと
「将の将」とは、リーダーを束ねる、リーダーのこと

中間管理職が「兵の将」、
上級管理職が「将の将」ということになるでしょう。

「兵の将」と「将の将」では役割が違います。

「将の将」は、
組織の価値観や目的、方向性を示し
「兵の将」に理解させ、
資源分配をするることが
大切な役割となります

「兵の将」は、
上記の「将の将」からの指示をもとに方法論を練り、
「兵」に、技術を教え・学ばせ、訓練を施す
という役割です。

中小企業のリーダーは
「将の将」と「兵の将」が
入り混じっているのが現実です。

入り混じりながらも、
本来のあるべきポジションの役割を
果たさねければならないのが中小企業。

ある時は「将の将」
ある時は「兵の将」
ある時は「兵」

大変だけど・・・

「Yes, You Can!」
(ちょっと古いですかね・・・)