2026年7月9日木曜日

目指していたのは、数字ではなかった

 あるクライアントが、長年掲げてきたビジョンの達成目前まで来ています。

「年商〇〇億円」

当初の予定よりも前倒しで、今期中に達成できる可能性が見えてきました。
ただし、そこには少々の無理が必要です。
少々無理をしてでも、今期中に達成するのか。
それとも、今期はあえて無理をせず、来期以降に持ち越すのか。
しかし、今期を逃せば、そのチャンスはしばらく遠のくかもしれません。

「年商〇〇億円」というビジョン達成が現実味を帯びてきた今、
改めて見えてきたものがあります。

それは、その数字を掲げたときの本来の目的です。
年商〇〇億円という数字は、
あくまでその目的を端的に表したものに過ぎません。

私は常日頃から、「数字には意味がある」と口にしています。

しかし、その意味を忘れてしまうと、数字は単なる目標値になります。
達成したか、しなかったか。勝ったか、負けたか。
それだけの話になってしまいます。

本来、ビジョンとして掲げる数字は、上っ面の飾りではありません。
勢いで決めるものでもありません。

その会社がどこへ向かうのか。
何を大切にするのか。
誰のために成長するのか。
その成長によって、どのような会社になりたいのか。

そうした問いを徹底的に考え抜いた後に、肚を決めて設定したものでした。
その時の論議や思いが、次々と頭の中によみがえってきます。
「年商〇〇億円を目指してきたのではない。
 年商〇〇億円という数字で表現される会社の姿を目指してきたのだ」

そう考えたとき、改めて思いました。

「数字は、目的を表現する道具のひとつ。」

そのことだけは、決して忘れてはならないのだと。

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(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年7月4日土曜日

売っているものは「変化」

 あるクライアントで、新商品の試作品が完成しました。

まずは数社のお客様に試験的に導入していただいたところ、評価は上々。
営業担当者からも、
「これは自信を持って提案できます」
という声が聞かれるようになりました。

いよいよ本格的な販売に向けて動き出すタイミングです。
そこで、
「この商品の特徴や効用を整理し、積極的に情報発信していこう。」
ということになり、そのためのミーティングが開かれました。

ところが、提案された内容は意外なものでした。
「積極的に情報発信するためには、まず〇〇と〇〇の機能を強化しましょう。」
なるほど、一見もっともらしい提案です。

しかし、私は一つ質問しました。
「現行の機能でも、それなりに評価されているのではないの?」

営業担当者は答えます。
「はい。お客様には満足していただいています。リピートもいただいています。」

そこで私は、さらに尋ねました。
「では、お客様は何に満足されたのかな?」

しばらく考え込む空気が流れました。
私が聞きたかったのは、機能の話ではありません。
導入したことで、お客様にどのような変化が生まれたのか、
そのビフォー・アフターです。

例えば、
・作業時間が短くなった。
・業務が簡素化された。
・ミスが減った。
・精神的な負担が軽くなった。
・社員同士の連携が良くなった。

商品が評価されるということは、
導入前と導入後で、必ず何らかの変化が生まれているはずです。
その変化こそが、お客様が本当に評価している価値です。

その価値が明確になって初めて、
「さらに価値を高めるには、どの機能を強化すべきか。」
という議論ができます。

逆に、その価値を理解しないまま機能を追加すると、
「作り手が作りたい商品」にはなっても、
「お客様が欲しい商品」にはならないかもしれません。

私たちは、つい商品の機能ばかりに目が向きがちです。
しかし、お客様が買っているのは機能ではありません。
その商品によって得られる変化です。

商品を改良する前に、お客様の変化を知る。
それが、本当の商品開発の始まりなのかもしれません。

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2026年7月2日木曜日

「感情を持つこと」と「感情的になること」

「感情を持つこと」と「感情的になること」。
似たような言葉ですが、この二つはまったく別のものです。

人は誰でも、嬉しいことがあれば喜び、
悲しい出来事があれば落ち込み、
理不尽なことがあれば怒りを覚えます。
これはごく自然なことです。

もし何があっても何も感じないのであれば、
それは人間というより、感情を持たないロボットに近い存在でしょう。

むしろ感情は、人を成長させる原動力になります。
「二度とあんな悔しい思いはしたくない。」
そんな悔しさが努力につながることがあります。
また、「もっと大きな喜びを味わいたい。」
という思いが、新たな挑戦へのエネルギーになることもあります。

つまり、感情そのものは決して悪いものではありません。
問題なのは、「感情的になること」です。

怒りに任せて言葉を発したり、腹立たしさから判断したり、
不安だけで結論を急いだりすると、
物事を客観的に見ることができなくなります。
判断が感情に支配されてしまうのです。

大切なのは、自分の感情を否定することではありません。
「今、自分は悔しいと感じている。」
「私は怒っている。」
「不安を感じている。」
まず、その感情を素直に認めることです。
同時に、相手にも同じように感情があることを理解し、
思いをいたらせることも忘れてはなりません。

その上で、判断は感情ではなく、理性で行う。
これが成熟した意思決定ではないでしょうか。

さらにリーダーには、もう一歩先の姿勢が求められます。
自らは冷静かつ合理的に判断しながらも、
その判断を実行するときには、相手の感情に十分配慮することです。

合理性だけでは、人は動きません。
かといって感情だけでも、組織は正しい方向へ進みません。

「判断は理性で、接し方は感情にも配慮して。」
この両方を大切にできる人こそ、
多くの人から信頼されるリーダーなのではないでしょうか。

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2026年6月29日月曜日

「通訳」という仕事

先日、クライアントと専門家集団との会議に参加しました。

社長の質問に対し、専門家の方が丁寧に説明してくださいます。
しかし、私は横で聞きながら少し違和感を覚えました。
どうも話が噛み合っていないのです。

社長はAということを確認したい。
ところが返ってくるのはBやCの説明です。
もちろん、専門家の説明が間違っているわけではありません。
ただ、社長の質問に対する答えになっていないのです。

さらに困ったことに、話が長くなりがちです。
説明を重ねるほど論点が広がり、結局、
「それで結論はどうなのですか?」
という、一番知りたいことが見えなくなってしまいます。

こうした場面は、実は珍しくありません。
専門家は知識が豊富であるがゆえに、背景や前提から説明したくなります。

一方、経営者が知りたいのは、
「結局、やるべきなのか、やらないべきなのか」
「OKなのか、NGなのか」
という判断材料です。

両者とも真面目に話しているのに、会話がすれ違ってしまうのです。
もっとも、クライアントも、
「求めている回答と少し違うのですが……」
「結論だけ教えていただけますか?」
とは、相手への配慮もあって、なかなかストレートには言いにくいものです。

そんなとき、私は口を挟みます。
「社長がお聞きになりたいのは、〇〇ということです。」
「つまり、今のお話の結論は、『YES』という理解でよろしいですね。」
すると、不思議なほど話が整理されます。

経営者が知りたいことを整理し、専門家が伝えたいことを翻訳し、
双方の認識を一致させる。
それもまた、私の仕事なのかもしれません。
いわば“通訳”です。

もっとも、ここで少し考えさせられます。
日本人同士が、日本語で話している。それなのに通訳が必要になる。
なぜでしょうか。

おそらく、人は皆、自分の立場や専門分野、
自分なりの常識という「言語」で話しているからなのでしょう。
言葉は同じでも、見ている景色が違う。
だから通訳が必要になるのでしょう。

会議とは、単に言葉を交わす場ではありません。
相手が本当に知りたいことを理解し、相手に伝わる形で答える場です。

ちなみに、私は「英語」の通訳にはまったく自信がありませんが、
専門家と経営者の間をつなぐ、日本人同士の通訳なら、少々自信があります。

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2026年6月25日木曜日

理由は後から考える

 ある会社で、業者から提案された廃材を再利用する取り組みについて
検討したときのことです。内容は、環境負荷の低減につながるものでした。

担当幹部はこう説明します。
「導入には〇〇万円ほどのコストがかかりますが、
 SDGsにも役立ちますので・・・」

なるほど、一見するともっともらしい提案です。
もっとも、その会社の規模からすれば、
〇〇万円というコスト自体は大きな問題ではありません。

私が気になったのは金額ではなく、その説明でした。
「導入するという結論が先にあり、その理由としてSDGsが後付けされている」
ように感じられたからです。

そこで私は尋ねました。
「ところで、当社はSDGs宣言をしているけれど、
 17の目標のうち、どの目標に重点を置いているのですか?」
「そして、今回の提案は、その目標のどこに結び付いているのですか?」

返ってきたのは沈黙でした。
17の目標のことすら認識がない。

私は続けました。
「当社がSDGs宣言をしていることは知っています。
 しかし、その宣言に基づく具体的な活動を聞いたのは今回が初めてです。」

「本気で取り組もうとしているのですか?
 そもそもSDGs宣言自体も、取引銀行との関係の中で勧められ、
 ポスターを作ってもらい、とりあえず掲げたという経緯でしたよね。
 宣言、取り下げたらどうですか?」と。

SDGsに取り組むこと自体は素晴らしいことで、否定しません。

本来ならば、
会社として大切にしたい価値観を実現する手段としてSDGsがある。
そして会社上げて真摯に取り組んでいる。
その上で今回の提案がる。
という順番でなければならないはずです。

今回の提案について言えば、
問題は提案の内容の是非ではありません。

「理由は後から考える。何となく良さそうだからやる。」
そんな思考回路が組織に染みついてしまうことの方が、
よほど大きな問題と、釘を刺したのでした。

形だけ整えることは簡単です。
しかし、形だけでは何も生み出しません。
むしろ、お金も時間もかかる。
そして何より、組織の思考を鈍らせてしまいます。

「目的・目標があって手段がある」、当たり前のことです。
手段ありきで、目標・目的が後付けされているようなことはありませんか?

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「一生懸命な組織」 と「一所懸命な組織」

ある会社の幹部会でのことです。

議題は、「来期、会社として何に取り組むべきか」。
事前に各幹部がテーマを持ち寄り、それぞれが発表を行いました。

どの発表もよく考えられており、「なるほど」と頷ける内容ばかりでした。
改善に向けた真摯な姿勢も伝わってきます。

ところが、話を聞いているうちに、私はある違和感を覚えました。
「会社として取り組もうとしている、あの大テーマはどこへ行ったのだろう?」

その会社には、将来を左右する全社挙げて取り組むべき大きな課題がありました。
もちろん、それは簡単に解決できるものではありません。

しかし、発表されたテーマの多くは、その大テーマとの
つながりが見えませんでした。
どれも間違っているわけではありません。
むしろ真面目に考えられたものであり、懸命に取り組もうという
意欲も感じられます。

ただ、私にはこう映りました。
「大テーマは難しい。だから、自分が考えやすく、
 取り組みやすいテーマに置き換えているのではないか」
厳しい言い方をすれば、難しい課題から目をそらしながら、
「やっている感」を生み出しているようにも見えたのです。

本来であれば、
大テーマがあり、その実現のためにサブテーマが生まれる。
枝葉の活動は、幹である大テーマにつながっていてこそ意味を持ちます。

ところが、大テーマへの意識が薄れると、枝葉だけが伸び始めます。
個々には一生懸命に活動している。
しかし、会社全体としては思うように前進していない。
そんな状態に陥ってしまうのです。

ところで、「いっしょうけんめい」という言葉は、
現在では「一生懸命」と書かれることが一般的です。

しかし、その語源は「一所懸命」にあります。
鎌倉時代の武士が、自らの領地(一所)を
命がけで守ったことに由来すると言われています。
つまり、一つの場所、一つの対象に命を懸けるという意味です。

会社経営に置き換えるならば、組織の全員が同じ課題に向かって
力を集中することと言えるでしょう。

もちろん、それぞれが知恵を絞り、自ら考えて行動することは大切です。
しかし、その前に確認しなければならないことがあります。
「今、我々が命を懸けて取り組むべき一所はどこなのか」
ということです。

懸命に働いているのに成果につながらない組織の多くは、
能力や努力が不足しているのではありません。
力を注ぐべき「一所」が定まっていないのです。

皆さんの会社や組織では、今、何に一所懸命になっているでしょうか。
成果を生む組織は、一生懸命な組織ではなく、一所懸命な組織なのだから。 

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(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年6月16日火曜日

「小事をなすのは力量である 。大事をなすのは・・・」メルマガ第200号

 本日メールマガジン第200号を配信しました。

今回も引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた
「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

  小事をなすのは力量である
             大事をなすのは天運である

      新史太閤記 下 「高松城」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2026年5月5日火曜日

備中高松城 再訪

岡山のライブの往路、高速の倉敷→岡山間が10キロの渋滞。
倉敷インターを降り下道で岡山まで行くことにしました。

倉敷で高速を降り、下道を走ることにしました。
ナビだけを頼りに進んでいくと、どこか見覚えのある光景が広がります。

ふと目に入った町の表示には、「高松」「備中高松」との文字。
メルマガを作成しているタイミングとも重なり、
不思議な巡り合わせを感じました。

ということで、何年かぶりに備中高松城址を訪ねてきました。
もう一度見たかったのは、水攻めのために築かれた堤の跡と、
秀吉がその様子を見ていたであろう本陣です。

本陣までは入口より800mの表示。
以前訪れた記憶もあいまいなまま、軽い気持ちで歩き始めたものの、
実際にはほとんど山登り。
途中で何度も引き返そうと思いながらも、なんとか辿りつきました。
その秀吉本陣からは、水攻めをした全体像を見渡すことができます。





そして、築かれた堤の跡。



案内版の方向からでは樹木が生い茂り、その規模がつかめません。


裏側に回ってみると、土が盛られた状態が把握できました。
それは、小高い丘・・という感じでした。




ふと、これと同様の堤を現代技術で造るとすれば、
どの程度の期間とコストがかかるのか・・と思ったのでした。

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(AI Assistant, aka “Lottie”)

「浜田省吾」の初ライブに行ってきました

「あれ?これ経営と同じだ」(2026年1月22日付ブログ)で、
バンドを組むことになり、選曲した4曲のうち2曲が名前すら知らない、
一度も耳にしたことのない曲だったことを書きました。
それが浜田省吾の曲でした。

その後、練習を重ねなんとか形になってきたころ、
「一度、本物をいてみよう」と思い、
岡山でのライブに足を運ぶことにしました。

ところが、チケットの入手がなかなかのハードル。
ネットで会員登録をし、その後に抽選申し込み、当選待ち、
という手順です。
会員登録まではしたものの、
ちと複雑で面倒と感じ、一度は諦めました。

なんな中、後日メールでのリセールチケットの案内。
「もう一度だけやってみるか」と再挑戦し、結果は――当選。













こうして5月2日(土)岡山芸術創造劇場 ハレノワで行われた
浜田省吾のコンサート、初デビューすることができました。






























73歳という年齢にもかかわらず、声は伸び、立ち姿もカッコいい。
音楽はもちろん期待どおりの素晴らしさ。

それ以上に印象的だったのは、別のところにありました。
それは、観客との一体感。
曲に合わせて観客が手を振り、こぶしを上げ、一緒に歌う
2階席から見渡すと、会場全体がひとつの生命体のように動き、
大きなエネルギーが湧き出ているのが伝わってきます。
感動しました。
改めて、ライブの醍醐味を感じたのでした。














これまで何度か足を運んだ矢沢永吉のライブを思い出しました。
観客の熱量は圧倒的で、会場に入る前から、
そして開演前から熱量を感じるものがありました。
それ以来、私は「YAZAWAのFANのFAN」になりました。

そして今回、YAZAWAのFANと違う熱量放出の形での一体感に触れ、
「浜田省吾のFANのFAN」になってしまいました。

また機会あれば、一体感を感じに足を運んでみたいと思いました。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

「世を動かす原理は人間の欲望である」メルマガ第199号

本日メールマガジンを配信しました。
 
今回も引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた
「新史太閤記」よりご紹介しています。

◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇

 世を動かす原理は人間の欲望である 

      新史太閤記 上 「高松城」

◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆

是非、ご一読を!!

2026年4月28日火曜日

パーキンソンの法則:ごもっとも!!

 先日、あるメールマガジンで
「パーキンソンの法則」という言葉に触れました。

思わず手を叩きながら、
「そうそう、その通りだ」と頷いてしまいました。

この法則を提唱したのは、英国の歴史学者であり政治学者である
シリル・ノースコート・パーキンソン。
1958年の著作『パーキンソンの法則』の中で語られたものです。

■ 第1法則
仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する。
30分で終わる仕事でも、1時間あれば1時間使ってしまう。
締切が先にあるだけで、人は“無意識に”仕事を引き延ばす。

■ 第2法則
支出の額は、収入の額に達するまで膨張する。
収入が増えても、なぜかお金は残らない。
気づけば、生活水準が上がり、出ていくお金も増えている。

そして、もう一つ。
いわゆる「凡俗法則」と呼ばれるものがあります。
■ 凡俗法則
組織は、どうでもいいことに、不釣り合いなほど時間を使う。
難しい議題ほど、議論は短く終わる。
一方で、誰もが口出しできるテーマほど、延々と続く。

放っておけば、時間も、コストも、議論も、
すべては膨張するということになるでしょう。

だからこそ、経営において重要なのは
「膨張を前提に、どう制御するか」です。
放置すれば、すべては“緩む方向”に流れます。

ここで問われるのが、リーダーの意思です。
リーダーの制御次第で、組織の生産性は変わります。

裏を返せば
・時間を絞れば、生産性は上がる
・資源を制限すれば、知恵が出る
・論点を絞れば、本質に近づく
ということになるでしょう。

「時間がない」「利益が残らない」「会議が長い」、
というのは、原因は外ではなく内側の問題。
「制御不足」から生まれているのです。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年4月27日月曜日

自分のできないことを・・・

幹部会議の教育について論議で、

「そもそも、教育云々という前に、
 自分のできないことを、部下にやらせているだろう」

「そして、部下が“できない”と嘆いているだろう」

と厳しい指摘をしました。

(自分のできないことを、部下にやらせている)
という状況は珍しい話ではありません。
むしろ、多くの組織で繰り返されている“日常”です。

本来教育とは、
自分ができることを、かみ砕き、言語化し、再現性を持たせ、
相手ができる状態にまで引き上げることです。

山本五十六
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
という言葉が端的にそれを表しています。

これが、教育の原理原則です。
ただ、自分ができないことを部下に任せる場合もあります。
その時は、
  • 一緒に取り組む
  • 自分事として関わる
  • 部下が前に進めるよう、可能な限り支援する

ということが必要です。

自分のできないことを部下に任せ、「できるようになれ」
と期待するのは、幻想です。
そのような人材に巡り合うのは、宝探しと同じで、
確率の極めて低いものです。

もし、そのような人材であれば、
“あなたの部下”ではなく、あなたの上司です。
もしくは、とんでもない(最低でもあなた以上の)年俸で
迎える存在です。

このような現象が生まれるのは、
「部下は自分と同じようにできるはずだ」
「任せれば勝手に成長するものだ」
という前提で思考しているからです。

現実を冷静に見ると、
その前提が現実と乖離していることを認識できるはずです。

その思考前提を
「人は教えなければできるようにならない」
「任せるとは、放置ではなく支援を伴う行為である」
へと置き換える必要があります。

あなたは、
「できることを教えている」のか。
それとも、
「できないことを押し付けている」のか。

もし後者なら、
部下が育たないのは当然です。

結論はシンプル、

自分ができることは、徹底的に分解して教える。
自分ができないことは、一緒にやる。

です。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月24日金曜日

福岡合宿 第二の転換点に向けて

4月20~21日。
クライアントの役員合宿で福岡に行ってきました。

朝7時15分、広島駅集合。そのまま移動し、9時には会議開始。
夕食後は「2次会」と称してスナックに移動したものの、
誰一人カラオケを入れようとはしない。
気がつけば、日付が変わる直前まで議論は続きました。
翌朝も8時スタート。
ハードな合宿でした。

過去に実施した合宿もそうでしたが、
今回は特に、テーマそのものが、「これまで以上の混沌」を
予感させるものでした。
それでも、「何とかなるだろう」と根拠の無いない自信を頼りに
始めた合宿でした。

議論は進んでいけばいくほど、収拾がつかなくなり、
混沌とし、混沌地獄にはまっていきました。
(残念ながら、私の予想は裏切られませんでした)

そして、混沌を極めたくらいのところで、
あるシンプルな枠組みが浮かび上がってきました。
(教科書に載っているようなフレームワークではありません)
絞り出された整理の軸、
いや天から授かった救いの手が舞い降りてきたのでした。

その軸をもとに全体を組み直なおしてみると、
それまでバラバラだった議論が、一気につながっていきました。
そして、「向き合うべき課題」として明確になったのでした。

ただ、今回浮かび上がった課題は、
今の延長線上にはない、ハードルの高いものでした。
「頭の中はスッキリした。やるべきことも分かった。
 あとは、どうやり切るか」
というのが役員の表情・言葉の端々から伝わってきました。

そして、「何とかなった」と胸をなでおろしたのでした。

数年前の尾道での役員合宿の結論も、
「こんなことできるのか」と思うような
ハードルの高い課題でした。

しかし彼らは、それを数年かけて自分達のものにしました。
その結果、会社の体質は大きく変化し、
実績も後を追いかけてきていることを
彼らは実感しつつあります。

思考の軸そのものが、この数年で
「できるかどうか」ではなく
「どうやりきるか」へ変わった感じです。

2日間、大変お疲れ様でした。

そして「必ずやり遂げてくれる」、
今回の合宿は間違いなく「第二の転換点」
になるはずだと信じています。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月21日火曜日

長男が「読んでみて」と置いて帰った一冊――『獺祭』。

獺祭といえば、ドジャースの佐々木朗希投手が贈り物にも使っていた、
日本酒を代表する銘柄の一つです。
もっとも、下戸の私には基本的に、縁のない世界。

この酒を生み出した山口県の一酒蔵が、
わずか40年で年商約200億円――約100倍に成長した。
その経営論として、多く紹介されるなかで認識していた、
というレベルでした。

これまでの私の理解は、正直こうでした。
「杜氏が担っていた領域をデータ化し、
 標準化し、大投資によって大量生産する会社」
巨大な設備投資により固定費が膨らみ、
それを賄うために売上至上主義に陥る懸念もある。
あまり好みのタイプの経営ではない、と。

ところが、本書を読んでその認識は一変します。

確かに、
杜氏の領域のデータ化、
標準化(厳密には少し違うようですが)、
そして大投資による大量生産。
表面的にはそうです。

しかし、その奥にある現会長・桜井博志氏の思想に触れたとき、
なんと浅薄な見方をしていたのか・・・、
むしろ私の好きなタイプの企業ではないか、と。

私が理想とする、中小企業のトップ像をそのまま体現している。
拙著『闘戦経』第53章の「中小企業のリーダーとしてのやり甲斐」、
「顧客に対する視点」での解説そのまま、ドンピシャでした。

中小企業の経営者の皆さん、是非読んでみてください。

P.S.
名前は臼杵(ウイスキー)ですが、アルコールは不調法。
自ら消費はできませんが、贈答や手土産として
桜井会長の思想のDNAが宿るであろう「獺祭」を、
応援していこうと思ったのでした。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月16日木曜日

1/3、1/3、1/3

 前回、二代目以降の経営について、
「社長としての仕事をきちんと果たしている」という評価を前提に、
「『会社は好きだが、社長はどうも好きになれない』それでも構わない」
と、あえて極論を記しました。

もちろん、あくまでも極論です。
「社員から愛される社長がいい」に決まっています。
お伝えしたかったのは、「社員の愛するバランス」です。

私の考える社員の最良の「愛のバランス」は
・ 1/3 が会社(理念・ビジョン・風土等)
・ 1/3が 自社の商品・サービス
・ 1/3 トップ(経営者)です。

このバランスが崩れると組織は歪ます。

例えば、トップへの愛だけに偏れば、
トップが不在になった瞬間に、組織は空洞化します。

商品だけに偏れば、「職人」は育っても「組織人」は育たない。
より魅力的な商品を持つ会社が現れれば、その会社に移ります。

会社だけに偏れば、組織そのものが硬直し、
市場の変化に柔軟に対応できなくなります。

だからこそ、三つが均等に存在する状態――
これが“持続する組織”の条件です。

また、顧客に「愛してもらうバランス」も、

・1/3が 自社の商品・サービスそのもの
・1/3 が営業担当
・1/3が 会社(ブランド・信頼)です。

このバランスが崩れると、

商品に偏れば、他社から魅力的な商品が出た瞬間に、乗り換えられる。
営業担当に偏れば、営業担当が替わった場合、関係は途切れる

会社に偏った場合は、と言うと。
強い信用力やブランド力がれば、
どんな商品であろうとも、営業担当が誰であろうとも、
顧客が支持してくれるはずです。
一見、完璧な状態です。言うことありません。

しかし、ここに潜在的な問題の可能性があります。
「売れてしまう」ことが劣化の始まりになるという問題です。
「多少商品が劣っていても」「顧客との関係が薄くても」売れる。
この状態が続けば、危機感が欠如していく(傲りが生まれる)ことです。

それをある日、顧客が気づいた時に、
一気に顧客の愛は冷めてしまいます。
「裏切られた」という感情に変わることすらある。

組織も、顧客関係も、 一点の支えは脆弱なものとなります。

「三点支持で関係を成立させるように構造化する」ことです。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月14日火曜日

二代目以降が陥る“勘違い”

 「社員が俺についてきてくれなければならない」
二代目以降の経営者が、無意識に抱きがちな発想です。

創業者の時代は、
社員は“会社”ではなく“社長その人”に惹かれてついていく。
社長の器量、熱量、人間力――そのすべてが求心力となり、
組織を動かします。
いわば「社長=会社」です。

だが、二代目以降は違う。
会社はすでに“個人の延長”でなくなりつつあるところに
初代と同じように「自分に惚れさせよう」とする。
ここに、ほころびが生まれます。

二代目以降が向き合うべきは、
「社員が社長を好きかどうか」ではなく、
「社員が会社を好きかどうか」です。

理念に共感しているか。
ビジョンに納得しているか。
会社の風土が好きか。
仕事環境に満足しているか。
その会社で働く意味を見出しているか。

極端に言えば――
「会社は好きだが、社長はどうも好きになれない」
それでも構わない。
ただし、外してはならないのは、
「好きではないが、あの社長は“社長としての仕事をきちんと果たしている」
という評価だけは、必ず勝ち取っていなければなりません。

経営者として機能しているかどうかという逃げ場のない評価です。
意思決定は適切か。
責任を引き受けているか。
結果を出しているか。

二代目以降の経営とは、
“愛される経営”ではない。
“機能する経営”です。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月10日金曜日

「漢の腹中には一分というものがある、」メルマガ第198号

 本日メールマガジンを配信しました。

今回も引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた
「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

  漢の腹中には一分というものがある、
   この一分によって働き、一分によって死ぬものだ、
           なんぞ生死利害を論ぜんや

      新史太閤記 上 「北陸」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2026年3月24日火曜日

創業記念日

2009年3月24日が創業の日、今年で17年目になります。
多くの方々のおかげです。
心より感謝申し上げます。

世界遺産の宮島にお参りしたい・・と思うものの、
スケジュールの都合で宮島まで行く時間はない。

ふと思い浮かんだのが市内にある不動院。
大河ドラマの「豊臣兄弟」と再読中の『新史太閤記』に出てくる
安国寺恵瓊にゆかりのあるところです。

「そうだ、安国寺に行こう」

「不動院前」というバス停もあり、その存在は知っていたものの、
訪れるのは初めて。

足を踏み入れると楼門があり、



そこをくぐり抜けると金堂(1540年造営)

金堂は、国宝(広島市内での唯一)だけあり、静かな威厳がありました。

さらに驚いたのは、
豊臣秀吉の遺髪を納めた墓、福島正則や恵瓊の墓もありました。
知りませんでした。




創業の日に久しぶりの歴史探訪もできました。
意図せぬ幸運でした。


帰り道、ふと思ったことがありました。

これまで神社で神に手を合わせてきましたが、
今回は寺で仏に手を合わせている、と。

「まあ、いいか」

神であれ仏であれ、人の理解を超えた“何か”がある。
その存在を認め、感謝する。本質は、そこにあるのだろう。

宮島であれ、安国寺であれ、場所は本質ではない。
手を合わせる対象よりも、
手を合わせる“姿勢”の方が重要なのだろうと・・・

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年3月20日金曜日

 「瓜はすでに熟れて」いる メルマガ第197号

本日メールマガジンを配信しました。

今回もNHK大河ドラマ『豊臣兄弟』にちなんで、
引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた
「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

      「瓜はすでに熟れて」いる
  
      新史太閤記 上 「調略」

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2026年3月14日土曜日

会議議事録 内容について

 最近はDXが進み、AIの活用によって会議後すぐに
議事録が共有されるようになってきました。
音声を自動で文字起こしし、会議終了後すぐに議事録がアップされる。
技術の進歩としては、とても歓迎すべきことです。

議事録の作成タイミングとしては、むしろ理想的です。

しかし、ここで一つ問題が生まれています。
それは、会議の会話がそのまま議事録になっているというケースです。

AIによる文字起こしをそのまま使うと、
「誰が何を言ったか」という会話がそのまま記録されます。
するとどうなるか。

議事録が、とにかく長い。そして読みにくい。
途中まで読んで、だんだん読む気がなくなる。
そんな議事録を目にすることが少なくありません。

しかし、議事録の本来の役割は会話を記録することではありません。

議事録の目的は、
会議の結果を整理し、次の行動を明確にすることです。

そのため、議事録に必要な内容は実はそれほど多くありません。

まずは報告事項。
誰が何を報告したのか、そしてそのポイントは何か。

そしてもう一つが検討事項・決定事項です。
どのような内容について検討し、何が決まったのか。
さらに重要なのは、
誰が、いつまでに検討・行動するのかを明確にすることです。

この二つが整理されていれば、
議事録としての役割は十分に果たされます。

AIは議事録作成を大きく効率化してくれる便利なツールです。
しかし、AIが作った文章をそのまま使うだけでは、
「長いだけの議事録」になってしまうこともあります。

重要なのは、
議事録とは、会議の会話を残すものではなく、
組織を動かすための要点を残すものということです。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年3月12日木曜日

会議議事録 タイミングについて

 あなたの会社では、会議の議事録はいつ公開されていますか。

中小企業でよく見られるのが、
「次回の会議の少し前に、前回会議の議事録が公開される」
というパターンです。

しかし、この場合、議事録が作られるタイミングが
完全に間違っています。

議事録が次回会議の直前に作られているということは、
議事録の役割が「行動の指示書」ではなく、
「記憶の補助装置」になっているということです。

議事録というものは、本来、会議が終わった直後に作るものです。

議事録は「前回の会議を思い出すための資料」ではありません。
会議で決まったことを、すぐに実行するためのものです。

したがって、

議事録は会議終了後すぐに作成します。
できれば当日。遅くても翌日までには共有する。
そして、その内容に基づいて翌日には行動に着手する。
次回の会議では、その行動結果を報告する。
これが、望ましいスピード感のある会社の姿です。

その反対に、次回会議の直前に前回議事録が配られる組織では、
次回会議での報告は「着手を始めました」「これから着手する予定です」
というものが大半です。

前者は、行動した結果が次回会議で報告される組織。
後者は、行動を始めること自体が報告になる組織。

両者の組織のスピード感はまったく違います。

成果の上がる組織とそうでない組織の違いは、
結局のところスピード感の違いです。
一定期間の中で、どれだけ試行錯誤を重ねられるか。
その差が、成果の差になります。

そのスピード感の一端は、
会議議事録がいつ配布されているかで、
垣間見ることができるのです。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)


2026年3月10日火曜日

私事でご迷惑をおかけしました。

 2026年2月は、私事により皆様にご迷惑をおかけいたしました。

顧問先ならびに関係者の皆様には、スケジュール変更等に
ご理解とご協力をいただき、心より御礼申し上げます。

2月は、島根にいる母の緊急入院・退院への対応のため島根へ2往復、
また12年半連れ添った愛犬との最期の時間に関わり、山口大学まで3往復。
ようやく落ち着いたと思った矢先、
今度は自身が新型コロナに感染し1週間の外出禁止。

慌ただしく、そして心身ともに負担の大きい月となりました。

2月最終週には体調も回復し、業務も立て直すことができ、
月末には通常の状態へ戻ることができました。

皆様のご厚意への感謝と、家族の絆を感じた一か月でもありました。

現在は通常どおり業務を行っております。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年2月9日月曜日

「猿は信長から禄という資本を借り、・・」メルマガ196号

 本日、メールマガジンを配信しました。

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟』それにちなんで、
豊臣秀吉の出世物語を描いた「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

  猿は信長から禄という資本を借り、
     その資本によって信長に儲けさせ、
          そのことをのみ考えつづけた。

     新史太閤記 「半兵衛」

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2026年1月31日土曜日

江戸時代と同じ「「四公六民」なんだ!!

選挙戦の真っ只中。

テレビをつければ「消費税減税」、「社会保険料引き下げ」、
「手取りを増やす」等の政策が叫ばれています。

一度、「どれくらい“公”に持っていかれているのか?」
「給与の中に隠れている『もう一人の受取人』の実態は?」
具体的に計算してみようと思っていました。

ChatGPTの力も借りて、
試しに、会社が社員一人に払っているお金を概算で計算してみました。

















すると見えてきたのは、意外でもあり、やはりという結果でした。

社員の年収が600万円とする。
会社が実際に負担しているのは、
社会保険料の会社負担分も含めて約690万円。
そのうち社員の手元に残るのは、手取りで約400万円(58%)。
残りの約290万円(42%)は、税金と社会保険料として
公的な財布に入っていく。

つまり、会社目線で見ると、
「会社が払ったお金の、おおよそ4割が公的負担」
ということです。

どこかで聞いた「四公六民」。
歴史の授業で、江戸時代、農民が収穫の4割を年貢として納め、
6割を自分たちの生活に使えたという負担の目安を表す言葉です。

「四公六民」は、決して昔話ではなかったのです。

もちろん時代も仕組みも違います。
現代では米ではなくお金。
その使用用途も医療、年金、防衛、教育、インフラ整備等に
広がっています。
ただ構造だけを見ると、妙に重なります。

さらに給与で手元に入るものから、
使う都度支払う消費税等のものを考えると
「四公六民」どころではなくなってきます。

ただで公的サービスは回らない、
というのはわかっていますが・・・。

この「「四公六民、いやそれ以上」という負担率をキチンと頭にいれて
選挙公約をみていかなければと、
選挙戦のニュースを見ながら、そんなことを考えたのでした。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年1月24日土曜日

「期末報告会」に思う

顧問先の期末報告会に出席してきました。

昨年の今ごろ、経営陣の頭にあったのは、
「来期の目標達成は、正直かなり厳しい」という想定でした。

それが今回の報告会で示された数字は、
業績目標の達成。
しかもそれだけではありません。
来期に向けた案件の“仕込み”も、想定以上の量が積み上がっていました。

さらに印象的だったのは、
各部門、各人の目標について、
相当数の項目が達成表彰の対象になっていたことでした。

その達成表彰の場で語られた一言コメントなかには、
(思うようにいかなかった、失敗した、粘って、最後はやり切った)
その趣旨のものがいくつもありました。

昨年秋口、この数年を振り返る全体勉強会をしました。
そのとき、強く感じたことがありました。

この会社には、
「チャレンジする。失敗もする。でも、何とかやり遂げる」
「掲げた目標・課題を、絵に描いた餅や単なる景色に終わらせず、実現する」
という文化・体質が、確実に根付いている。

この報告会のコメントを通して、改めて再確認したのでした。

そして、報告会の最後に、私事ながら一言添えさせてもらいました。

「この日、この時間が、私にとって一番うれしい瞬間です。
 普段は、皆さんに耳の痛いことばかり言う役割ですが、
 今日だけは、もろ手を挙げて一緒に喜べる。
 本当にお疲れさまでした。ありがとうございました」

そう締めくくりながら、胸が一杯になってしまいました。

私にとって、期末報告会とは単なる数字の報告を聞く場ではありません。
その組織が、「どういう覚悟で一年を生きてきたか」を
再確認する場のように思います。

「この会社は、ちゃんと前に進んでいる。
 だからこそ、また次の一年も、厳しいことを言い続けよう」

それが、この瞬間を一緒に喜べた人たちへの、
私なりの敬意であり、そして私のDUTYだと思っています。

追伸
司馬遼太郎の小説「峠」のなかで、
自宅の火事見舞いに訪れた河井継之助に対し、
小林虎三郎が
「何も返すものがない、見舞御礼として・・・]
と、継之助を痛罵する場面を思い出しました。
(ご興味があれば「峠」を一読してみてはいかがでしょう)

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2026年1月22日木曜日

「あれ? これ経営と同じだ」

年末、同じマンションの住民とバンドを組むことになりました。

誰かと音を合わせるのは、中学生以来――実に半世紀ぶりです。
練習することになったのは4曲。

その一つは、歌えるほどによく知っている曲。
もう一つは、いわゆる「穴歌」でメロディーをなぞれる程度の曲。
残りの2曲は、名前すら知らない、
もちろん一度も耳にしたことのない曲でした。

ただ、その4曲すべて、ギターで弾いたことはありませんでした。

次の音合わせまでに、メンバーに迷惑をかけるわけにはいかない。
そう思い、特に“聴いたことのない曲”から、
腰を据えて取り組むことにしました。

まずは、何度も繰り返し聴く。
どんな構成で、どこに山がある曲なのかを身体に入れる。
――目標を明確にする。

次に、「これは難しそうだ」と感じる箇所を洗い出す。
――課題を明確にする。

そして、うまく弾けない部分だけを切り出し、何度も何度も練習する。
指が覚えるまで、音が安定するまで。
――自分の能力を高めていく。

そんな準備をして臨んだ、先日の音合わせ。

すると、家での練習では想定していなかった課題が、
次々と浮かび上がってきました。
「できる」と思い込み、練習を軽視していた部分が、
実際に演奏してみると、あやふやで自信をもって鳴らせない。

一人で完結していた世界が、
他者と交わった瞬間に、初めて見える課題でした。

そのとき、ふと思ったのです。

「あれ? これ、経営と同じだ」

頭の中で考え、仮説を立て、準備する。
しかし、実際に顧客にぶつけてみると、想定外の反応が返ってくる。
そこで初めて、本当の課題が見える。
そして、また修正し、鍛え直す。

これまで一人でポロポロとギターを流し弾きしてきました。
気楽で、誰にも迷惑をかけず、それなりに満足できる時間。
ただ、振り返ってみると、一人で弾いている限り、
「今の自分の力量の範囲」に収まっていたことに気づきました。

つまり、安心はある。
しかし、あまり上達はしていなかったのです。

私にとって、このバンド活動は、
「安心できる範囲をあえて出ることでしか成長しない」という
経営の原理原則を体感的に思い出させてくれる時間であり、
同時に、「目標の明確化 → 課題の明確化 → 成長を通じた課題克服」
という、経営の基本ステップを再確認する場なのかもしれません。

そう思いながら、
曲ごとの課題リストを横に置き、今日もギターを手に取っています。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年1月16日金曜日

「部下の数量意識が低い」?

いつも部材の発注数量が多すぎる会社がある。
在庫は膨れ、やがて廃棄となり、経営を悪影響を及ぼしている。

ある日、その社長と話をしました。

「社長も部下の発注数量を確認して、その上で発注するようにしてください。
部下は“足りなかったら困る”という不安から、必ず多めに発注するものです。」

社長の反応は、
「詳細な数量は、現場を分かっている部下でないと無理です。
 正直、そこまで関わるのはできません。
 部下の数量に対する意識が低いんですよ」
というものでした。

「現場を分かる必要はありません。
 社長がやるべきは、なぜその数量になったかを確認することです。」

現場では、その発注数量について
「なぜ?」と聞かれない。
「どう考えた?」と問われない。
「前提は何だ?」とも言われない。

部下にすれば、足りなければ即、業務に支障をきたす。
余っても、月例の会議で叱責され、
「難しいんです」と数分間頭を下げれば、
この過剰発注問題は通りすぎていく。

この構造の中では、
「多めに発注するな」という方が無理があります。

そんな職場で、誰が“適正数量”を本気で考えるでしょう。
部下は、上司の関心が向いている方向にしか、頭を使いません。

問題は、部下ではありません。
「部下の数量意識が低い」という言葉は、
「上司が数量に関心を持っていない」という告白と同義なのです。

適正発注量の算出は、部下のセンスでも経験でもありません。
上司の関心によって鍛えられる思考の筋肉なのです。

それを鍛える場を用意せず、問いも投げず、確認もしない。
それでいて「部下の意識が低い」と言うのは、
経営放棄に等しいと言われても仕方ありません。

また、過剰発注の問題を「部下の意識」で片付けるのは、
外部者(例えば、銀行)にとって言い訳にも理由にもなりません。
ただ「無能な経営者」とレッテルを張られるだけです。

社長は数量を決めなくていい。
だが、問題(数量の)から目を逸らしてはならない。
「この数字は、誰のどんな判断の結果なのか」
そこに関心を持てなくなった瞬間、部下に投げ丸投げした瞬間、
会社は静かに、確実に、正常状態から逸脱していくのです。

部下の数量意識を変えたいなら、やることは一つ。
上司が、数量に口を出す。
ただし“答え”ではなく、“問い”を。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年1月7日水曜日

「影のようになりなされ」メルマガ第195号

 本日メールマガジンを配信いたしました。

本年NHK大河ドラマ、『豊臣兄弟』が始まりました。
司馬氏の小説では、豊臣を描いた小説が、数冊あります。
何度かにわたって、そのなかからご紹介していく予定です。

今回は、ドラマの主人公豊臣秀長をを描いた
司馬氏の小説「豊臣家の人々」からご紹介しています。

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     影のようになりなされ   

     豊臣家の人々 「大和大納言」

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是非、ご一読を!!


2026年1月5日月曜日

2026年(令和8年)謹賀新年


 今年のいかなる経営環境変化にも、

「兵の本は禍患を杜にあり」(闘戦経第52章)との認識を心して、

本年も引き続き、

クライアント企業固有の価値を

より鮮やかにすべくお手伝をしていきます。


   本年もよろしくお願い申し上げます

2026年元旦