2013年12月22日日曜日

客の取り合い

「代理店の客を直営店が客を取った。」
「A店舗の客が、新店のB店舗に客を取られた。」
「▲事業の客を、◆事業が食っている。」

時々、耳にする話です。
同じ会社の中で「取った、取られた」という内容のもの。

競合相手に客を取られたならば、
文句を言っていくところもなく、諦めることでしょう。

しかしながら、会社の中や、グループの中での発生は、
文句を言う先があり、なおさら腹が立つのかもしれません。

気持ちは、少しは理解できます。

マーケティングの用語で「カニバライゼーション」(共食い)
というのがありますが、ある種のカニバライゼーション
になるのかもしれません。

「ところで、(あなたの店の・事業の)市場シェアは何%?」

という質問を投げかけると、
中小企業の場合、多くが「数%」。希に2割〜3割。

「市場シェア2〜3%とシェア2〜3%の会社が
 顧客の取り合いなんだ・・・・」

と話を向けると、この論議の価値を理解していただけます。

「ちょっと、論議のタイミングが早すぎるかな・・・
 市場シェアが数割になってからにしよう」

二つ合わせてもっと大きなシェアを獲得するという、
重要な課題について考えていきましょう。

2013年12月17日火曜日

出稿管理表

メールマガジンの定期発行
そしてブログのアップ回数
の2013年の管理表です。

デスクの後ろの本棚に張って
出稿を管理しています。

御陰さまで、メールマガジンは
発行予定を一日も遅れることなく
配信することができ、
ブログも50回の計画を、
このアップで60回を
数えることができました。





「『見える化』は甘い、『見えざるを得ない化』を」と
このブログでも書きましたが、
原始的なこの方法が私にはあっているようです。

経営の重要なパラメーターを手書きで
グラフにする、書き込んでいく・・・
という方法をクライアントにも指導しますが、
思ったより効果のあるものです。

iPadも手書きのグラフ(管理表)も使う、
ハイテクもローテクも使う、
私の美学、変わってますかね???

ということで、出稿管理表のおかげで、
今年も予定の出稿できました。

2013年12月7日土曜日

「しかし八分どおりでいいのです」メルマガ第50号

本日「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」
第50号を配信しました。

再来年(2015年)の大河ドラマが
「花燃ゆ」に決まりました。
吉田松蔭の妹、文(ふみ)を
描いたドラマです。






それにちなんで、今回は幕末の異色の長州人、
村田蔵六(大村益次郎)を主人公にした「花神」から
をご紹介しています。

「しかし八分どおりでいいのです」
    (花神 上 オランダ紋章)

未知に挑戦する蔵六の実践主義について書いています。
是非、ご一読を!! 

ちなみに、来年(2014年)の大河ドラマは
「軍師官兵衛」で黒田官兵衛です。

2013年12月4日水曜日

ある経営者からのメール

ある若手経営者が毎月私にメールを送ってくれます。
内容は、前月の振り返りと、来月の作戦です。

経営の基本としては当たり前のことです。
それを愚直に取り組む、なかなかできるものではありません。

当たり前のこを、当たり前に実行する。
前年比で2割も売上が伸び、そして利益も大幅に改善中です。

彼からのメールの一部をご紹介します。
(一部、私の方で読みやすいように修正しています)

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月頭にデータを整理し、振り返る事が楽しみになってきました。
この調子で、早いデータ整理が維持できるようがんばります。

11月は○○万円でした。(目標の)▲▲万には届きませんでしたが、
昨年比121.4%と好調を維持できました。

問題の××率(ある経費比率)の方は、
前回のディスカッションで先生からご指摘いただいた内容を、
グラフに書き込んでいます。
これがちょこちょこと意外に多い事にビックリ!
結果よく○○%におさまったなという感想です。
先月まではなんとなくつけてたグラフですが、
必死に下げようと考える自分がいました。


12月は何とか目標に近づけるようにがんばります。
○○商品(新商品)たいへん好評で、
いろんな所でお褒めの言葉をいただき、とても励みになります。
日々に追われながらも、だんだんとリズムもできてきました。
12月はなかなかハードですが、体調に気をつけて、

ついでにこのまま走り抜けたいと思います。

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自社の課題に懸命に取り組んでいる姿が見えるようです。
そして、父から受け継いだ事業に対する自信も
積み重なっているようです。

遠回りの道でも全力疾走で頑張ってください。

2013年11月18日月曜日

食品偽装問題とヒポクラテス

連日報道された有名ホテル、デパートでの食品偽装問題。

さて、この偽装問題と紀元前400年頃のギリシャの
ヒポクラテスがどう関係するのか?

ヒポクラテスは医学の父と言われました。
弟子を一人前の医者として認めるに際して誓わせたのが
「ヒポクラテスの誓い」と言われるものです。

その誓いには、
・患者の利益を第一とする
・男と女、自由人と奴隷を区別しない等々
がありました。

医者と患者には、医学の知識について情報量の大きな差があります。
その情報量の差があるからこそ医者と言われる、尊敬される所以です。

しかしながらこの情報量の差を悪用すれば、
患者をいとも簡単に殺すことだってできます。
そしてクレームが出たとしても、
無知な素人を、豊富な知識を蓑に
煙に巻くことはいともたやすいことです。

この情報の差(情報の非対称性)は、
医者が好き勝手に患者を操れるという危険性を持っています。

だからこそ医者になる際に「患者の利益を最優先にして考える」
ことを誓わせたのです。

「プロフェッショナル(Professional)」という言葉は、
Profess(誓約)という単語がその語源になっています。

今回の偽装の問題も同じ情報の非対称性があります。
どこの産地で取れたかなど、味わって分かものではありません。
また、味わったことのない高級料理など、
その区別ができる由もありません。
調理人の言われるがまま・・・、
まさに非対称性が存在し、
玄人は簡単に素人を操れるのです。

今回の偽装問題、

「現代人は、プロフェッショナルという意味取り違えてる」

とヒポスラテスが嘆いているように思えてなりません。

2013年11月15日金曜日

「わしには肚がある』メルマガ第49号 

本日、「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」
第49号を配信しました。

今回ご紹介の珠玉のフレーズは
功名が辻から、

「わしには肚がある」

です。経験について書いています。
是非ご一読を・・・



20091115日に創刊した本メルマガも4周年を迎え、
今回をもちまして5年目に入ることになりました。
今までの皆様のご支援に心より感謝いたします。

そして今後とも末永くよろしくお願い申し上げます。

    〜 編集後記より 〜

振り返ってみれば、あっというまの4年間でした。

この間、いちども発行予定日に遅れることなく
配信することができました。(拍手!!)

紹介するネタが決まらず時間だけが過ぎていくこともありました。

あれも伝えたい、これも伝えたいと、テンコ盛りになり
迷い道に入ったこともありました。

仕事の関係で、直前までメルマが作成に着手できず、
配信当日の深夜ぎりぎりで配信予約を完了したこともありました。

といろいろとありました。

この4年間という経験は私に、苦手な「継続」ということに
対して自信を与えてくれました。

紹介する司馬遼太郎さんの小説の珠玉のフレーズが

・時には、勇気付けたり
・時には、ヒントを与えてくれたり
・時には、視界を広げてくれたり

という創刊趣旨を忘れることなく、
皆様のビジネスに何らかの形でお役に立てるように
5年目も取り組んでまいります。

今後ともよろしく、よろしくお願い申しあげます。

2013年11月4日月曜日

「負の循環」から「正の循環」へ

2012年5月10日の本ブログで
「長くて余命6ヶ月」
と診断したことを書きました。

その後、いろいろとありました。

・目先の資金繰りでなく、きちんと全体を捉えた資金計画
・そして銀行との折衝
・徹底したコストダウン
・販促活動の積極的な展開

当たり前のことばかりなのですが、
実行に当たっては、社内的な摩擦や格闘が・・・・

1年半前は「負の循環」に完全に陥っていました。

先日、その後の状況を確認したところ
概ね計画通りで、必要な利益も創出できはじめ
いくつかのパラメーターも好転していました。

「正の循環」に入り始めたことが確認できました。

消費税のアップ等々のまだまだ流動的な経済環境にあり、
予断を許しませんが、言ってみれば
「癌の摘出手術は成功し、体力を回復しつつある」
ということでしょうか。

社長はじめ社内の方々のご苦労、苦闘は並大抵の
ものでなかったことは、言うまでもありません。

本当にご苦労様でした。

そして、したくてもできなかった経営改善に向けての施策を、
計画立てて積極的に、スピーディーに講じていきましょう。

2013年10月28日月曜日

Amazon「おすすめ商品」で著書が紹介


「びっくりしたぞ・・・」と友人からメールが送られてきました。
 
受信した私も驚きでした。
 
アマゾンの「おすすめ商品」メールに
私の著書が2冊並べて紹介してあるでは
ありませんか・・・・
 
よく見てみると、あの「半沢直樹」の著者、
そして直木賞作家である
池井戸潤氏の上に!!
 
そういえば、過去に他の友人からも同様の情報をもらったことがありました。
その時は話だけで「へえ~、そうなんだ」程度でしたが、
現物をみると「おお~」に受け取り方も違ったのでした。

アマゾンでなんらかのデータ処理がされ偶然が重なり・・・
というのが実情ではないかと想像しています。

友人とは、
「アマゾン在庫余ってて、困ってるのかな?」
「いやいや、直樹賞作家の上にあるから、
    何らかの受賞の候補になってるんじゃない?」

と冗談を交わしたのでした。

2013年10月21日月曜日

異色の教官 寺本武治

「君は御勅諭に示されている誠を持っているのか」

「はい、私もいささかながら誠を持っております」

「君は御勅諭の”心だに誠あらば何事もなるものぞかし”
 の御言葉を肯定するか」

「肯定いたします」

「然らば、尋ねるが、拙者が今、
 この机の上に立てている白墨を、君はその位置から倒してみよ」

「それは無茶です。教官、御勅諭の誠は、
 そういう意味のものではありません」

「そうか、然らば御勅諭の誠は、
 無限の力を意味しているのではなく、力に限界があることになる。
 明治天皇の申された、”心だに誠あらば何事もなるものぞかし”
 ということは、一種の景気づけの言葉と解してよいか」

昭和の初期、海軍大学での「統帥」の講義場面の一コマです。
(「海軍大学教育」実松譲著 異色の教官・寺本武治)

国体明徴運動の激しいこの時期に、
天皇の言葉を「景気づけの言葉」ということ自体、
外部に漏れるようなことがあれば糾弾を受けることになりかねず、
学校当局も講義の続行の是非が論議されたヤバい講義でした。
まさに異色の教官だったようです。

海軍の最高学府であるからこそ、

「いかなる問題についても、いい加減な妥協や了解ですましてならない・・」

との考えのもとに行われたのでした。
今のビジネスにおいても、忘れてはならない姿勢です。

お盆に帰省したときに、
「親戚に戦艦に乗っていた者がいた・・・」
というところから調べていったところ、
海軍大学で教鞭を取り、
「統帥」について講義していたとのこと。

「統帥」いまでいうリーダーシップです。
ならば研究せねばと調べ、探りあてることができた資料の一部です。

祖父もそう、祖父の従兄弟の寺本教官(武治)もそう、
明治生まれの人間の芯の強さを見習っていかねばと思いました。


2013年10月14日月曜日

史跡探訪:土方歳三 東京日野市


先週、所用で東京へ行ってきました。

運良く、月二回の土方歳三資料館の開館日と重なり
訪問することができました。

立川からモノレールにのり「万願寺駅」から徒歩2分。
住宅地の中の大きめな住宅の一部が資料館になっており、
母屋は末裔の方が住まわれているようです。
















入り口を入ってすぐに、土方歳三の胸像が迎えてくれます。












歳三の木刀、鎖帷子、鉢金等が展示されていました。
そして、歳三が家伝の石田散薬を得意先に卸す時に背負った薬箱も・・

そういえば、黒田官兵衛の祖父も秘伝の目薬を扱っていたこと、
土方歳三を描いた「燃えよ剣」の司馬遼太郎さんの実家も
薬局だったことを思い出しました。


歳三のお墓をを訪ねて石田寺へ。
途中、何件も土方姓の表札のある家を通り過ぎ
「この地区は土方さんばかりだ・・・」と思いつつ
お寺に辿りつきました。



お寺の中に、「土方歳三のお墓」という標識はあるものの、
その方角には土方と刻まれたお墓がいくつも・・・

歳三の写真が飾られていました。

歳三の「顕彰碑」が建てらていました。
明治2年(1869年)5月11日没 享年35歳。


お寺からの帰途に「とうかん森」がります。
土方一族が稲荷社を祀った場所で「稲荷森」を
音読みにして「とうかん森」とも、
土方一族十余家が祀った森で「十家森」が由来とも言われているそうです。
土方家の氏神を祀る稲荷社がありました。

燃えよ剣、新撰組の副長として近藤勇を支えた土方歳三。
その規律は、極めて厳しいものがありました。


「総司、いっておくが、おれは副長だよ。
 思い出してみるがいい,結党以来、
 隊を緊張強化させるいなや命令、処置は、すべておれの口から出ている。
 近藤の口から出させてっことが、一度だったあるか。(省略)

 不副長が、すべての憎しみをかぶる。
 いつも隊長をいい子にしておく、新撰組てものはね、本来、烏合の衆だ。
 ちょっと弛めれば、いつでもばらばらになるようにできていんだ。
 どういうときがばらばらになるとだか、知っているかね」

「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌とりをはじめるときさ。
 副長が、山南や伊東みたいにいい子になりがると、
 にがい命令は近藤の口からでる。
 自然憎しみや毀誉褒貶は近藤へゆく。
 近藤は隊士の信をうしなう。隊はばらばらさ」


あえて、隊の中で憎まれっ子の役を引き受けた歳三。
『燃えよ剣」にはトップを支えるNo2としての役割を
多くの学ぶとろがあります。
是非ご一読を!!

次ぎは、何かの機会を見つけ土方歳三最後の地、
函館を訪れて見たいと思っています