2011年8月23日火曜日

「Stay Hungry、Stay Foolish」

「Stay Hungry、Stay Foolish」
(ハングリーであれ、馬鹿であれ)


2005年6月12日スタンフォード大学卒業式での、
スティーブジョブズ(アップル社のCEO)のスピーチの締めの言葉です。
http://www.youtube.com/watch?v=ShoOOS2GrWU
他人の意見や既成概念にとらわれず、

自分の内なる声、心、直観を信じなさい。

という趣旨の講演です。
同様の内容を、私も講演で必ずお話しすることにしています。

「『戦略』とは、戦いを略すこと」、どう戦うかではない。
そのためには「独自性」が必要。すなわち他社と違うことをすること。

アップル社のように高業績・高収益を目指すなら、
「Stay Foolish」にならないと・・・・

「Stay Hungry、Stay Foolish」の反対は
「満足していて、常識的」ということになるでしょう。

常識的で、エネルギーの無い組織は、
居心地良い組織かもしれませんが、
組織の力は衰退していくばかりです。

吉田松陰は自らを「狂愚」とよび、
高杉晋作は号に「狂」の文字を入れ、
織田信長は、「うつけ殿」と呼ばれました。

「狂う」「馬鹿になる」というのは、
むしろ褒め文句なのかもしれません。

「Stay Hungry、Stay Foolish」

(ハングリーであれ、馬鹿であれ)

2011年8月12日金曜日

「10時開店です・・・・」???

小売店の前で沢山の顧客が待っている。
そして10時のチャイムとともに扉が開かれ、店開きとなる。

新製品の発売、数量限定の商品の販売等々ならいざ知らず・・
この光景に違和感を感じることがあります。

このの光景は、

「顧客が並んでいようが、何だろうが、
            10時までは絶対に開店しません」

というメッセージとしか理解できません。
そして、「顧客満足」「顧客第一」と
謳っていたりするわけですから、なおさらです。

もし、あなたが小さな町で、家族と商売を営んでいたとしたら・・・・
そして、暑い中、寒い中を、外で待ってくれているお客があったならば・・・

開店時間をカウントダウンして・・・
というようなことをするでしょうか?

「ちょっと、待ってて下さい。すぐに準備しますから・・・」
と声をかけて、準備でき次第顧客を招き入れるでしょう。

開店時間というのは、

「準備を完了して、遅くても●●時には開店します」であり。

閉店時間というのは、

「早くても▲▲時までは、完全な状態で店を開けておきます」なのです。

2011年8月3日水曜日

最高の舞台:三笠での講演

昨年のお盆明け、一本の電話がありました。

「『坂の上の雲』に学ぶ中小企業経営力」を読みまして講演を
お願いしたいのですが・・・・

「場所は、横須賀の記念艦三笠の講堂で・・・」

「えっ!! 今なんておっしゃいました?」

「三笠の講堂で・・・」




東郷平八郎、秋山真之が乗船していた日本連合艦隊の旗艦三笠。
坂の上の雲の関連本を著した私にとっては、これ以上ない最高の舞台。

ということで、8月2,3日と2日間にわたり、

三笠の講堂で講演をしてきました。
  

東京のエンゼル・フーズ株式会社という、
幼稚園向けお弁当のNo1カンパニーからの御依頼でした。

三笠の講堂を見学以外の目的で外部に貸し出すということは前例がなく、
今回が初めての試みだったそうです。

昨年末に送られてきた今回の研修会の資料をみて、またビックリ!!
A4で50ページ以上もある、手作りの資料でした。

場所といい、資料といい、熱意が伝わってきました。
講演前日のにでてきた要望も、

「熱意には熱意で返さねば」

と、ホテルに帰って深夜まで講演シナリオを変更。

1時間半の講演を汗びっしょりになりながら無事を終えることができました。
社長の思い、そして私からのメッセージも皆さんに届いたみたいです。

忘れられない講演会になりました。
この機会を与えていただいた、エンゼル・フーズ様に心より感謝いたします。

++++++++++++++++++++++++++++++++++

そして、講演終了後、横須賀から少し足を伸ばし、
久里浜のペリー公園を訪問しました。

館内のガイドさんに質問
「なんで、久里浜にペリー記念館があるんです? 」

ペリーは浦賀に停泊。上陸したのは久里浜だそうです。
親切な、ガイドさんに教えてもらいました

  
 

松は「金子松」と呼ばれているそうです。
金子とは「金子堅太郎」のこと。

坂の上の雲にも出てきます(3巻 「開戦へ」)。
日露戦争開戦決定の御前会議後、

伊藤博文に停戦講和の調停を米国に行うよう工作せよ、
と金子は指示されました。

その後、浦賀に立ち寄りました。

愛宕山公園には、2つの碑がありました。
「中島三郎助招魂碑」


浦賀奉行所与力の中島三郎助親子は、
旧幕府軍として函館で戦死しました。
碑の題辞は、三郎助と共に戦った榎本武揚が記しています。


「咸臨丸出港の碑」

咸臨丸は、1860年 品川を出港し、横浜に立ち寄り、
浦賀で食料・燃料等の準備を行い、
そして太平洋を渡っていきました。


愛宕山公園の中腹から見た浦賀港

この沖に4隻の黒船が停泊したのか・・・と思いを馳せました。
そして、渡し船で川を渡ると


徳田屋(旅館)跡

吉田松陰は、2度宿泊したそうです。

 1度目は、熊本藩士宮部鼎蔵と江戸湾沿岸の
  防備状況視察のため

 2度目は、黒船を見分するため。
 そしてここで佐久間象山と会ったそうです。

 その後、桂小五郎も、浦賀奉行中島三郎助に
 造船技術を教えてもらうために宿泊したようです。

横須賀・久里浜・浦賀と充実した三浦半島でした。