2026年4月24日金曜日

福岡合宿 第二の転換点に向けて

4月20~21日。
クライアントの役員合宿で福岡に行ってきました。

朝7時15分、広島駅集合。そのまま移動し、9時には会議開始。
夕食後は「2次会」と称してスナックに移動したものの、
誰一人カラオケを入れようとはしない。
気がつけば、日付が変わる直前まで議論は続きました。
翌朝も8時スタート。
ハードな合宿でした。

過去に実施した合宿もそうでしたが、
今回は特に、テーマそのものが、「これまで以上の混沌」を
予感させるものでした。
それでも、「何とかなるだろう」と根拠の無いない自信を頼りに
始めた合宿でした。

議論は進んでいけばいくほど、収拾がつかなくなり、
混沌とし、混沌地獄にはまっていきました。
(残念ながら、私の予想は裏切られませんでした)

そして、混沌を極めたくらいのところで、
あるシンプルな枠組みが浮かび上がってきました。
(教科書に載っているようなフレームワークではありません)
絞り出された整理の軸、
いや天から授かった救いの手が舞い降りてきたのでした。

その軸をもとに全体を組み直なおしてみると、
それまでバラバラだった議論が、一気につながっていきました。
そして、「向き合うべき課題」として明確になったのでした。

ただ、今回浮かび上がった課題は、
今の延長線上にはない、ハードルの高いものでした。
「頭の中はスッキリした。やるべきことも分かった。
 あとは、どうやり切るか」
というのが役員の表情・言葉の端々から伝わってきました。

そして、「何とかなった」と胸をなでおろしたのでした。

数年前の尾道での役員合宿の結論も、
「こんなことできるのか」と思うような
ハードルの高い課題でした。

しかし彼らは、それを数年かけて自分達のものにしました。
その結果、会社の体質は大きく変化し、
実績も後を追いかけてきていることを
彼らは実感しつつあります。

思考の軸そのものが、この数年で
「できるかどうか」ではなく
「どうやりきるか」へ変わった感じです。

2日間、大変お疲れ様でした。

そして「必ずやり遂げてくれる」、
今回の合宿は間違いなく「第二の転換点」
になるはずだと信じています。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月21日火曜日

長男が「読んでみて」と置いて帰った一冊――『獺祭』。

獺祭といえば、ドジャースの佐々木朗希投手が贈り物にも使っていた、
日本酒を代表する銘柄の一つです。
もっとも、下戸の私には基本的に、縁のない世界。

この酒を生み出した山口県の一酒蔵が、
わずか40年で年商約200億円――約100倍に成長した。
その経営論として、多く紹介されるなかで認識していた、
というレベルでした。

これまでの私の理解は、正直こうでした。
「杜氏が担っていた領域をデータ化し、
 標準化し、大投資によって大量生産する会社」
巨大な設備投資により固定費が膨らみ、
それを賄うために売上至上主義に陥る懸念もある。
あまり好みのタイプの経営ではない、と。

ところが、本書を読んでその認識は一変します。

確かに、
杜氏の領域のデータ化、
標準化(厳密には少し違うようですが)、
そして大投資による大量生産。
表面的にはそうです。

しかし、その奥にある現会長・桜井博志氏の思想に触れたとき、
なんと浅薄な見方をしていたのか・・・、
むしろ私の好きなタイプの企業ではないか、と。

私が理想とする、中小企業のトップ像をそのまま体現している。
拙著『闘戦経』第53章の「中小企業のリーダーとしてのやり甲斐」、
「顧客に対する視点」での解説そのまま、ドンピシャでした。

中小企業の経営者の皆さん、是非読んでみてください。

P.S.
名前は臼杵(ウイスキー)ですが、アルコールは不調法。
自ら消費はできませんが、贈答や手土産として
桜井会長の思想のDNAが宿るであろう「獺祭」を、
応援していこうと思ったのでした。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月16日木曜日

1/3、1/3、1/3

 前回、二代目以降の経営について、
「社長としての仕事をきちんと果たしている」という評価を前提に、
「『会社は好きだが、社長はどうも好きになれない』それでも構わない」
と、あえて極論を記しました。

もちろん、あくまでも極論です。
「社員から愛される社長がいい」に決まっています。
お伝えしたかったのは、「社員の愛するバランス」です。

私の考える社員の最良の「愛のバランス」は
・ 1/3 が会社(理念・ビジョン・風土等)
・ 1/3が 自社の商品・サービス
・ 1/3 トップ(経営者)です。

このバランスが崩れると組織は歪ます。

例えば、トップへの愛だけに偏れば、
トップが不在になった瞬間に、組織は空洞化します。

商品だけに偏れば、「職人」は育っても「組織人」は育たない。
より魅力的な商品を持つ会社が現れれば、その会社に移ります。

会社だけに偏れば、組織そのものが硬直し、
市場の変化に柔軟に対応できなくなります。

だからこそ、三つが均等に存在する状態――
これが“持続する組織”の条件です。

また、顧客に「愛してもらうバランス」も、

・1/3が 自社の商品・サービスそのもの
・1/3 が営業担当
・1/3が 会社(ブランド・信頼)です。

このバランスが崩れると、

商品に偏れば、他社から魅力的な商品が出た瞬間に、乗り換えられる。
営業担当に偏れば、営業担当が替わった場合、関係は途切れる

会社に偏った場合は、と言うと。
強い信用力やブランド力がれば、
どんな商品であろうとも、営業担当が誰であろうとも、
顧客が支持してくれるはずです。
一見、完璧な状態です。言うことありません。

しかし、ここに潜在的な問題の可能性があります。
「売れてしまう」ことが劣化の始まりになるという問題です。
「多少商品が劣っていても」「顧客との関係が薄くても」売れる。
この状態が続けば、危機感が欠如していく(傲りが生まれる)ことです。

それをある日、顧客が気づいた時に、
一気に顧客の愛は冷めてしまいます。
「裏切られた」という感情に変わることすらある。

組織も、顧客関係も、 一点の支えは脆弱なものとなります。

「三点支持で関係を成立させるように構造化する」ことです。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月14日火曜日

二代目以降が陥る“勘違い”

 「社員が俺についてきてくれなければならない」
二代目以降の経営者が、無意識に抱きがちな発想です。

創業者の時代は、
社員は“会社”ではなく“社長その人”に惹かれてついていく。
社長の器量、熱量、人間力――そのすべてが求心力となり、
組織を動かします。
いわば「社長=会社」です。

だが、二代目以降は違う。
会社はすでに“個人の延長”でなくなりつつあるところに
初代と同じように「自分に惚れさせよう」とする。
ここに、ほころびが生まれます。

二代目以降が向き合うべきは、
「社員が社長を好きかどうか」ではなく、
「社員が会社を好きかどうか」です。

理念に共感しているか。
ビジョンに納得しているか。
会社の風土が好きか。
仕事環境に満足しているか。
その会社で働く意味を見出しているか。

極端に言えば――
「会社は好きだが、社長はどうも好きになれない」
それでも構わない。
ただし、外してはならないのは、
「好きではないが、あの社長は“社長としての仕事をきちんと果たしている」
という評価だけは、必ず勝ち取っていなければなりません。

経営者として機能しているかどうかという逃げ場のない評価です。
意思決定は適切か。
責任を引き受けているか。
結果を出しているか。

二代目以降の経営とは、
“愛される経営”ではない。
“機能する経営”です。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月10日金曜日

「漢の腹中には一分というものがある、」メルマガ第198号

 本日メールマガジンを配信しました。

今回も引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた
「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

  漢の腹中には一分というものがある、
   この一分によって働き、一分によって死ぬものだ、
           なんぞ生死利害を論ぜんや

      新史太閤記 上 「北陸」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2026年3月24日火曜日

創業記念日

2009年3月24日が創業の日、今年で17年目になります。
多くの方々のおかげです。
心より感謝申し上げます。

世界遺産の宮島にお参りしたい・・と思うものの、
スケジュールの都合で宮島まで行く時間はない。

ふと思い浮かんだのが市内にある不動院。
大河ドラマの「豊臣兄弟」と再読中の『新史太閤記』に出てくる
安国寺恵瓊にゆかりのあるところです。

「そうだ、安国寺に行こう」

「不動院前」というバス停もあり、その存在は知っていたものの、
訪れるのは初めて。

足を踏み入れると楼門があり、



そこをくぐり抜けると金堂(1540年造営)

金堂は、国宝(広島市内での唯一)だけあり、静かな威厳がありました。

さらに驚いたのは、
豊臣秀吉の遺髪を納めた墓、福島正則や恵瓊の墓もありました。
知りませんでした。




創業の日に久しぶりの歴史探訪もできました。
意図せぬ幸運でした。


帰り道、ふと思ったことがありました。

これまで神社で神に手を合わせてきましたが、
今回は寺で仏に手を合わせている、と。

「まあ、いいか」

神であれ仏であれ、人の理解を超えた“何か”がある。
その存在を認め、感謝する。本質は、そこにあるのだろう。

宮島であれ、安国寺であれ、場所は本質ではない。
手を合わせる対象よりも、
手を合わせる“姿勢”の方が重要なのだろうと・・・

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年3月20日金曜日

 「瓜はすでに熟れて」いる メルマガ第197号

本日メールマガジンを配信しました。

今回もNHK大河ドラマ『豊臣兄弟』にちなんで、
引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた
「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

      「瓜はすでに熟れて」いる
  
      新史太閤記 上 「調略」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!