2026年10月16日金曜日

ダブルチェックを増やしても、ミスはなくならない

ミスが発生すると、会社は「再発防止策」を考えます。

チェック項目を増やす。ダブルチェックにする。承認者を増やす。
チェックシートをつくる。システムで警告を出す。
もちろん、どれも必要な対策です。

しかし、それでもミスがなくならないことがあります。
「それは何故?」

答えは単純です。
チェックそのものが、流し作業になっているからです。

一人がいい加減にチェックしていたものを
二人でチェックするようにしたからといって、
精度が二倍になるわけではありません。
場合によっては、「もう一人が見るだろう」という安心感から、
かえって一人ひとりの確認が甘くなることさえあります。

チェック項目を10個から20個に増やしても同じです。
ただ「✓」を付けていくだけなら、
チェック項目を増やしたところでミスは減りません。

ミス削減のアプローチには二つの切り口があります。

一つは、戦術面からの切り口です。
チェックリストをどうつくるか。
ダブルチェックをどう設計するか。
どこをシステム化するか。
誰が、いつ、何を確認するのか。
これは「仕組み」の問題です。

そして、もう一つが、戦闘面からの切り口です。
その仕組みを使う一人ひとりが、本当に確認しているか。
チェック欄に印を付けることと、チェックすることは違います。
目では見た。しかし、頭では確認していない。

そんな状態では、どれほど優れた仕組みをつくっても機能しません。

「人間だから、ミスは仕方ない」
私自身、似たような経験があります。
ある現場の長に就任したときのことです。
その職場には、リーダーやスタッフの間に、こんな空気がありました。

「人間だからミスはあるよね。仕方ないよね」
確かに、人間ですからミスはします。
この言葉自体は間違っていません。

しかし、私は強烈な違和感を覚えました。
普段は、「顧客のために」「顧客を大切に」「顧客第一で」
と言っている。
それなのに、顧客に迷惑を掛けるミスが起きれば、
「人間だから仕方ないよね」で済ませている。
なんだ、それは!!と思いました。

「人間だからミスは起こる」ということと、
「だから仕方がない」と諦めることは、まったく違います。

人間だからミスが起こる。
だからこそ、ミスが起きにくい仕組みをつくる。
だからこそ、一つひとつの確認を徹底する。
だからこそ、起きたミスから学び、次に同じことを起こさない。
それが「顧客を大切にする」ということではないでしょうか。

その職場に染みついていた「仕方ないよね」という
空気を変えるところから始めました。

もちろん、「もっと注意しろ」「気をつけろ」「責任感を持て」
と言うだけでは変わりません。
一つのミスによって、顧客にどんな迷惑を掛けるのか。
そのやり直しのために、何人が何時間動かなければならないのか。
材料費、人件費、交通費、そして失われた時間。
さらには、本来やるべき仕事まで止めてしまう。
まず、それを具体的に教える。

そして実際に問題が発生したら、
「次から気をつけましょう」で終わらせない。
顧客からどんな言葉があったのか。
どんな戻り作業が発生したのか。
何時間を失い、いくらの損失になったのか。

それを当事者にフィードバックする。
自分が流してしまった一つの確認が、その先で何を引き起こしたのか。
そこまで知って、初めてチェックの重さが分かります。

そして、その行動を評価にもつなげていく。
ただし、「ミスをした人を罰する」という評価ではありません。
ミスそのものを過度に罰すれば、人はやがてミスを隠すようになります。

見るべきなのは、「ミスをしたか」だけではなく、
「やるべき確認を、やるべき方法で行っていたか」
という仕事への姿勢と行動です。

決められた確認を省略した。
面倒だから流した。
分からないまま「✓」を付けた。
これは単なる「うっかりミス」とは違います。

そして、もう一つ補足ながら付け加えておきます
最も大切なことを!!

仕組みを変え、教育を行い、フィードバックし、
評価制度まで整えたとしても、それだけでは職場は変わりません。

「この職場から、このミスをなくす」
というリーダーの強烈な意思です。

職場には長年かけてできあがった「空気」があります。
「昔からこうだから」
「このくらいは仕方ない」
「忙しいんだから多少はね」
その空気を変えるのは簡単ではありません。

一度言ったくらいでは変わらない。
研修を一度やったくらいでも変わらない。
チェックリストを配ったくらいでも変わらない。

それでもリーダー自身が、妥協しない。
「仕方ないよね」を許さない。
もちろん、人間のミスそのものを責めるという意味ではありません。
ミスを減らす努力を諦めることを、許さないということです。

戦術として、仕組みをつくる。
戦闘として、一人ひとりが確実に実行する。
そして、その両方を動かし続けるものが、
リーダーの「絶対に改善する」という強烈な意思です。

仕組みだけでは、組織は変わらない。
人を教育するだけでも、組織は変わらない。
リーダーが本気になったとき、
初めて職場の「当たり前」が変わり始めるのです。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年10月14日水曜日

「世間は恩知らず」という前提で考える

 「世間は恩知らずである」

少し刺激的な言い方ですが、経営においては、
このくらいに考えておいた方がよいのかもしれません。

顧客が困っているときに手を差し伸べる。
他社が引き受けない仕事を無理して引き受ける。
納期が厳しいときに、社員総出で何とか間に合わせる。

「あのときは本当に助かった。ありがとう」

そう言ってもらい、それをきっかけに取引が始まることがあります。

ところが、ここで勘違いをしてはいけません。

「あれだけ助けたのだから、これからもウチと取引してくれるだろう」
これは、こちら側の希望的な願望に過ぎません。
もちろん、昔の恩をいつまでも忘れず、
取引を続けてくれる会社や人もいます。
しかし、それを「当たり前」と考えるのは過度な期待です。

恩の大きさは、時間とともに小さくなっていきます。
一年経ち、二年経ち、五年経てば、「あのとき助けてもらった」
という記憶も薄れていく。
まして担当者が代われば、その恩そのものが
引き継がれないこともあります。

新しい担当者にしてみれば、
「昔、御社には大変お世話になったそうです」
という話と、
「今、どの会社が一番いい仕事をしてくれるのか」
という話は別問題です。

だから
「恩は償却されるもの」
と考えておくべきです。

会計上の資産が毎年少しずつ償却されていくように、
商売における「恩」という資産も、時間とともに価値が減っていく。
そして時には、担当者の交代という「一括償却」まで起きます。

「あれだけしてやったのに」
「昔の恩を忘れたのか」
そう嘆いてみても、商売は戻ってきません。

むしろ問うべきなのは、
「昔の恩がなくても、今の自社は選ばれる会社なのか」
ということです。

価格なのか。品質なのか。技術力なのか。
スピードなのか。対応力なのか。安心感なのか。
あるいは、「この会社でなければならない」
と思わせる何かなのか。

過去の恩ではなく、
現在の価値で選ばれる「Something」
を持たなければ、取引はいつか他社に移っていきます。

困っている顧客を助けることは大切です。
恩を売ることが悪いわけでもありません。
それが新しい取引の入口になることもあります。

しかし、恩はあくまで「入口」です。
継続取引を保証してくれる「通行手形」ではありません。

世間は恩知らずである。
そういう前提で経営をしていれば、
恩を忘れられたからといって腹を立てる必要もありません。
過去の恩に頼ることなく、
「今日も選んでもらうために、自社は何を提供できるのか」
を考え続ければいい。
過去の恩で商売をするのではなく、今日の価値で商売をする。

これはあくまで、世間を見るとき、経営として考える時の話です。
自分自身がどう生きるかは、また別の話です。

世間に対しては、「恩は忘れられるもの」と考える。
しかし、自分が誰かから受けた恩まで、
時間とともに償却してよいとは思いません。

「あのとき、あの人に助けてもらった」
「あの人がいたから、今の自分がある」
そんな恩は、何年経っても覚えていたい。

世間には、受けた恩をいつまでも忘れない人がいます。
おそらく、それは多数派ではないのでしょう。

そんな生き方を、「堅物」と言う人もいるかもしれません。
でも、思います。
「与えられた恩は忘れ、与えた恩だけはいつまでも覚えている。」
その方が、よほどカッコ悪い。

「与えた恩は忘れ、与えられた恩は忘れない。」
そんな珍種でありたいと思っています。

堅物、上等です。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年10月9日金曜日

「筋の通るような、つまり実のあることは・・・」メルマガ第204号

 本日メールマガジンを配信いたしました。

前回までご紹介してきた司馬遼太郎の「新史太閤記」は、
豊臣秀吉が天下人へと駆け上がっていくまでを描いた小説でした。
 
今回は、秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が実権を握り、
やがて大坂の陣によって豊臣氏が滅亡するまでを描いた小説「城塞」
よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

筋の通るような、つまり実のあることは一つも存在しないのである

      城塞 上 「石田茶亭」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2026年10月3日土曜日

「『いいから、進め』と言えるリーダー」

 本番が近づくと、不安になる。
これは人間として、ごく自然なことです。

たとえば、長い時間をかけて開発してきた新商品のリリースが、
いよいよ来月に迫ってきた。
すると、それまであまり問題になっていなかったことが、
急に気になり始めます。

「本当に、この仕様で顧客のニーズに応えられるのだろうか」
「競合商品と比べて、もう少しレベルを上げた方がいいのではないか」
「この機能も追加しておいた方がいいのではないか」

本番が近づけば近づくほど、「このままで大丈夫か」という
声が大きくなってきます。

もちろん、市場環境が変わった、競合が新商品を出した、
顧客ニーズに明らかな変化が起きた、というのであれば話は別です。
新しい事実が出てきたのであれば、当然、見直す必要があります。

しかし、そうではない。
仕様については何度も議論した。
顧客ニーズについても検討した。
競合商品についても調べた。
そのうえで、「これでいこう」と決めた。

しかも、その決定をしたときから、前提条件は何も変わっていない。

変わったのは、ただ一つ。
「本番が近づいた」ことだけです。
ここを間違えてはいけないと思います。

本番直前に湧き上がってきた不安を、
「新たに発見された問題」と勘違いしてしまう。
すると、仕様を変更する。スケジュールを延ばす。
もう一度検討会議を開く。

そして変更したら変更したで、また不安になる。
「やっぱり、前の仕様の方がよかったのではないか」
こうして、ぐるぐる回り始めます。
これでは、いつまで経っても商品は世の中に出ません。

これは、商品開発に限ったことではありません。
新規事業、設備投資、人事制度の変更、組織改革、DX、
新拠点の開設など、多くの重要な経営施策に当てはまります。

だからこそ、リーダーは、
「本番が近づけば、不安は大きくなる」
という、人間の自然な心理を知っておく必要があります。

そして、不安が出てきたときには、
「何か新しい事実が出てきたのか」
それとも、
「本番が近づいたから不安になっているだけなのか」
この二つを分けて考える。

新しい事実があるなら、立ち止まって検討すればいい。
しかし、新しい事実がないのであれば、
私はもう一つ、リーダーに大切な役割があると思っています。

それは、
部下の不安を、すべて解消しようとしないことです。
本番前の不安など、完全にはなくなりません。
「絶対に大丈夫」と確認できてから進もう。
「100%成功する」と確信できてから世の中に出そう。
そう考えていたら、おそらく永遠にその日は来ません。

そもそも経営に、100%の保証などありません。
だからリーダーの仕事は、組織から不安をなくすことではない。
不安があっても、組織を前へ進ませることです。

十分に考えた。
十分に議論した。
必要な準備もしてきた。
そして、判断したときから前提条件も変わっていない。
それでも本番が近づけば、人は不安になります。

そんなとき、リーダーまで一緒になって不安の中に入り込み、
再びゼロから議論を始めてはいけない。

誰かが前を向かなければならない。
そして最後には、こう言う人が必要なのだと思います。

「いいから、進め」

これは「考えるな」という意味ではありません。
むしろ逆です。
「考えるべきことは、十分に考えた。
 だから今度は、自分たちの決定を信じよう」
ということです。

経営には、徹底的に考える時間があります。
慎重に検討すべき時間もあります。

しかし、いつかは考えることを終え、決断し、実行する時間が来ます。
そして、その境目を見極めることもリーダーの仕事です。

本番直前になれば、不安になる。
それでいいのです。
不安がなくなったから進むのではない。
不安があっても進む。
そのとき組織の背中を押す。

それもまた、リーダーの大切な仕事なのではないでしょうか。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年9月27日日曜日

「うしろに、世間がいる」 メルマガ第203号

 本日、メールマガジンを配信しました。

今回も引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた

「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

     うしろに、世間がいる

      新史太閤記 下 「狂言」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2026年9月25日金曜日

報連相は『本気度』を映す

 クライアント企業で、社員教育の一環として、
「社会人としての基礎」をテーマにした研修をシリーズで行っています。
社会人/業界人として身につけておくべき基本を、
毎回いろいろな講師に話してもらう研修です。

昨日は、その第5回目。
日頃から安全面の指導をお願いしている顧問に、
「報連相」について講義をしていただきました。

大変分かりやすく、いい講義でした。
その中で、特に印象に残った言葉があります。

「報連相は、マナーや礼儀ではない。
   会社の仕組みであり、重要な業務である」

なるほど。

上司に報告する。関係者に連絡する。分からないことを相談する。
こうした行為を、「社会人としてのマナー」と
捉えている人は少なくありません。
しかし、報連相は、上司に対する礼儀のためにするものではない。
仕事を正しく進め、問題を未然に防ぎ、
組織として成果を出すための「業務」そのものなのです。

講義では、こんな趣旨の話もありました。
「不安なら報告する。困ったなら相談する」
当たり前と言えば、当たり前です。

ところが、これを聞きながら、私は少し違うことを考えていました。

では、なぜ報告しないのだろう。なぜ相談しないのだろう。
本人は「不安ではない」。「困っていない」。
だから、相談しない。

では、なぜ不安にならないのか。
「まあ、大丈夫だろう」「なんとかなるだろう」
そう思っているからではないでしょうか。

さらに考えてみました。
なぜ、「まあ、大丈夫だろう」と思えるのか。

そこには、仕事の目標や達成レベルに対する意識の低さ、
そして、その目標を「何としても達成する」という
コミットメントの弱さがあるのではないか。

たとえば、
「この仕事は、絶対に○日までに完成させる」
「この品質だけは、絶対に守る」
「事故は絶対に起こさない」
そう強くコミットしている人ほど、少しの異変が気になります。

「このままで間に合うだろうか」
「このやり方で本当に大丈夫だろうか」
「ここに危険の芽はないだろうか」

目標へのコミットメントが強いからこそ、「不安」が生まれる。
そして、その不安が、
「一度、報告しておこう」
「念のため、確認しておこう」
「早めに相談しておこう」
という行動につながる。

逆に、目標や達成レベルが曖昧で、そこへのコミットメントが弱ければ、
「まあ、大丈夫だろう」
「何とかなるだろう」
で済ませてしまう。

その結果、報連相がなくなる。
そう考えると、報連相の問題は、
単なるコミュニケーションの問題ではないことが見えてきます。

「もっと報告しなさい」
「困ったら相談しなさい」
と何度言っても、なかなか報連相が定着しない会社があります。

そんな会社では、報連相のやり方を教えるだけではなく、
その一つ手前にある、
「何を、どのレベルまで、いつまでに達成するのか」
そして、「それを、本当に達成しようと思っているのか」
も確認してみる必要があるのかもしれません。

報連相の量と質は、その人の「目標に対する本気度」を映す鏡でもある。
昨日の講義を聴きながら、そんなことを考えたのでした。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年9月22日火曜日

「成功」が人を変える ― 実力と謙虚さのマトリックス

人は、実力をつけ、経験を重ね、成功することで成長していきます。

ところが、少し皮肉なことがあります。
実力がつき、実績が上がり、周囲から評価されるようになると、
それまで人の話を素直に聞いていた人が、いつしか聞かなくなる。

「自分の判断は正しい」
「これまでも、このやり方で成功してきた」
そんな自信が、知らず知らずのうちに「驕り」へと
変わっていくことがあります。

つまり、
人は成功することによって成長する一方、
成功することによって変わってしまうこともある。

経営者や組織のリーダーにとって、本当に怖いのは、
実力がないことだけではありません。

実力がついた後、自分がどう変わるか。

ここで、人を二つの軸で考えてみます。

一つは「実力」――有るか、無いか。
もう一つは「姿勢」――謙虚か、驕りがあるか。
この二つを掛け合わせると、四つの「現在地」が見えてきます。
        
まずは、④「自覚なき未熟者」(実力:無、驕り:有)
      まだ十分な実力がない。
     ところが、そのことに本人が気づいていない。
     人の意見を聞かず、自分の考えに固執する。

     実力がないこと以上に、
    自分に実力がないことを自覚していないことが問題です。
    自覚がなければ、学ぼうとしない。
    学ばなければ、成長も始まりません。

③「伸びゆく挑戦者」(実力:無、驕り:無)
    今はまだ十分な実力がない。
   しかし、それを自覚している。

    だから、「教えてください」「やってみます」「私が間違っていました」
   と言える。の話を聞き、教えを請い、失敗から学ぶ。

   すると周囲も教えてくれる。助けてくれる。応援してくれる。
   やがて、
   ③「伸びゆく挑戦者」
       ↓
   ①「徳ある実力者」
   へと成長していきます。

①「徳ある実力者」(実力:有、驕り:無)
     実力がありながら、謙虚である。
     仕事ができる。 実績もある。判断力もある。
    それでも、人の話を聞く。 間違えば謝る。
     人の功績を認める。
     自分より立場の弱い人にも礼を尽くす。
     実力だけで人を動かすのではなく、
    その姿勢によって人がついてくる。

 これが、組織を率いる者として理想的な姿ではないでしょうか。

ところが、ここに落とし穴があります。

仕事ができるようになる。
実績が上がる。
役職が上がる。
会社が大きくなる。
周囲から評価される。

成功を重ねるうちに、

「自分が正しい」
「自分のおかげだ」
「自分に従えばいい」

という気持ちが芽生えてくる。

すると、
①「徳ある実力者」
   ↓
②「驕れる実力者」
へ移ってしまいます。

経営者にとって最も怖いのは、この①から②への移動です。

②「驕れる実力者」」(実力:有、驕り:有)
 「驕れる実力者」は、実際に実力があります。
 仕事もできる。判断も速い。実績もある。結果も出している。

 だから、周囲も注意しにくい。
 そして本人も、
 「これまで自分の判断で成功してきた」
 という実績があるため、自分の問題に気づきにくい。
 実力があるからこそ、その「驕り」まで正当化されてしまうのです。

考えてみれば、少し皮肉です。
③「伸びゆく挑戦者」が努力をして、ようやく①「徳ある実力者」になった。
ところが、その成功が続いた結果、
①から②「驕れる実力者」へ移ってしまう。

つまり、
成功が、人を成長させるとは限らない。
成功が、人を変えてしまうこともある。
ここに、経営者が陥りやすい罠があります。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
昔から言われてきた言葉です。

しかし、実際には「実ったとき」こそ、頭を垂れることが難しい。

実績ができたとき。
地位を得たとき。
会社が大きくなったとき。
自分の判断が次々と当たっているとき。

そんなときこそ、自分が今、
①「徳ある実力者」にいるのか。
それとも、知らないうちに、
②「驕れる実力者」へ移ってはいないか。
自分自身に問いかける必要があるのかもしれません。

実力だけでは、人は動かせても、
人心までは得られない。

実力に「謙虚」が加わって、初めて「徳」になる。

そこに、単なる仕事のできる人を超えた、
経営者としての本当の「力量」が表れるのだと思います。

「自分はいま、四つのどこにいるだろうか。」
と時々振り返ってみることも大切です。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)