「世間は恩知らずである」
少し刺激的な言い方ですが、経営においては、
このくらいに考えておいた方がよいのかもしれません。
顧客が困っているときに手を差し伸べる。
他社が引き受けない仕事を無理して引き受ける。
納期が厳しいときに、社員総出で何とか間に合わせる。
「あのときは本当に助かった。ありがとう」
そう言ってもらい、それをきっかけに取引が始まることがあります。
ところが、ここで勘違いをしてはいけません。
「あれだけ助けたのだから、これからもウチと取引してくれるだろう」
これは、こちら側の希望的な願望に過ぎません。
もちろん、昔の恩をいつまでも忘れず、
取引を続けてくれる会社や人もいます。
しかし、それを「当たり前」と考えるのは過度な期待です。
恩の大きさは、時間とともに小さくなっていきます。
一年経ち、二年経ち、五年経てば、「あのとき助けてもらった」
という記憶も薄れていく。
まして担当者が代われば、その恩そのものが
引き継がれないこともあります。
新しい担当者にしてみれば、
「昔、御社には大変お世話になったそうです」
という話と、
「今、どの会社が一番いい仕事をしてくれるのか」
という話は別問題です。
だから
「恩は償却されるもの」
と考えておくべきです。
会計上の資産が毎年少しずつ償却されていくように、
商売における「恩」という資産も、時間とともに価値が減っていく。
そして時には、担当者の交代という「一括償却」まで起きます。
「あれだけしてやったのに」
「昔の恩を忘れたのか」
そう嘆いてみても、商売は戻ってきません。
むしろ問うべきなのは、
「昔の恩がなくても、今の自社は選ばれる会社なのか」
ということです。
価格なのか。品質なのか。技術力なのか。
スピードなのか。対応力なのか。安心感なのか。
あるいは、「この会社でなければならない」
と思わせる何かなのか。
過去の恩ではなく、
現在の価値で選ばれる「Something」
を持たなければ、取引はいつか他社に移っていきます。
困っている顧客を助けることは大切です。
恩を売ることが悪いわけでもありません。
それが新しい取引の入口になることもあります。
しかし、恩はあくまで「入口」です。
継続取引を保証してくれる「通行手形」ではありません。
世間は恩知らずである。
そういう前提で経営をしていれば、
恩を忘れられたからといって腹を立てる必要もありません。
過去の恩に頼ることなく、
「今日も選んでもらうために、自社は何を提供できるのか」
を考え続ければいい。
過去の恩で商売をするのではなく、今日の価値で商売をする。
これはあくまで、世間を見るとき、経営として考える時の話です。
自分自身がどう生きるかは、また別の話です。
世間に対しては、「恩は忘れられるもの」と考える。
しかし、自分が誰かから受けた恩まで、
時間とともに償却してよいとは思いません。
「あのとき、あの人に助けてもらった」
「あの人がいたから、今の自分がある」
そんな恩は、何年経っても覚えていたい。
世間には、受けた恩をいつまでも忘れない人がいます。
おそらく、それは多数派ではないのでしょう。
そんな生き方を、「堅物」と言う人もいるかもしれません。
でも、思います。
「与えられた恩は忘れ、与えた恩だけはいつまでも覚えている。」
その方が、よほどカッコ悪い。
「与えた恩は忘れ、与えられた恩は忘れない。」
そんな珍種でありたいと思っています。
堅物、上等です。
Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford
(AI Assistant, aka “Lottie”)