2026年10月14日水曜日

「世間は恩知らず」という前提で考える

 「世間は恩知らずである」

少し刺激的な言い方ですが、経営においては、
このくらいに考えておいた方がよいのかもしれません。

顧客が困っているときに手を差し伸べる。
他社が引き受けない仕事を無理して引き受ける。
納期が厳しいときに、社員総出で何とか間に合わせる。

「あのときは本当に助かった。ありがとう」

そう言ってもらい、それをきっかけに取引が始まることがあります。

ところが、ここで勘違いをしてはいけません。

「あれだけ助けたのだから、これからもウチと取引してくれるだろう」
これは、こちら側の希望的な願望に過ぎません。
もちろん、昔の恩をいつまでも忘れず、
取引を続けてくれる会社や人もいます。
しかし、それを「当たり前」と考えるのは過度な期待です。

恩の大きさは、時間とともに小さくなっていきます。
一年経ち、二年経ち、五年経てば、「あのとき助けてもらった」
という記憶も薄れていく。
まして担当者が代われば、その恩そのものが
引き継がれないこともあります。

新しい担当者にしてみれば、
「昔、御社には大変お世話になったそうです」
という話と、
「今、どの会社が一番いい仕事をしてくれるのか」
という話は別問題です。

だから
「恩は償却されるもの」
と考えておくべきです。

会計上の資産が毎年少しずつ償却されていくように、
商売における「恩」という資産も、時間とともに価値が減っていく。
そして時には、担当者の交代という「一括償却」まで起きます。

「あれだけしてやったのに」
「昔の恩を忘れたのか」
そう嘆いてみても、商売は戻ってきません。

むしろ問うべきなのは、
「昔の恩がなくても、今の自社は選ばれる会社なのか」
ということです。

価格なのか。品質なのか。技術力なのか。
スピードなのか。対応力なのか。安心感なのか。
あるいは、「この会社でなければならない」
と思わせる何かなのか。

過去の恩ではなく、
現在の価値で選ばれる「Something」
を持たなければ、取引はいつか他社に移っていきます。

困っている顧客を助けることは大切です。
恩を売ることが悪いわけでもありません。
それが新しい取引の入口になることもあります。

しかし、恩はあくまで「入口」です。
継続取引を保証してくれる「通行手形」ではありません。

世間は恩知らずである。
そういう前提で経営をしていれば、
恩を忘れられたからといって腹を立てる必要もありません。
過去の恩に頼ることなく、
「今日も選んでもらうために、自社は何を提供できるのか」
を考え続ければいい。
過去の恩で商売をするのではなく、今日の価値で商売をする。

これはあくまで、世間を見るとき、経営として考える時の話です。
自分自身がどう生きるかは、また別の話です。

世間に対しては、「恩は忘れられるもの」と考える。
しかし、自分が誰かから受けた恩まで、
時間とともに償却してよいとは思いません。

「あのとき、あの人に助けてもらった」
「あの人がいたから、今の自分がある」
そんな恩は、何年経っても覚えていたい。

世間には、受けた恩をいつまでも忘れない人がいます。
おそらく、それは多数派ではないのでしょう。

そんな生き方を、「堅物」と言う人もいるかもしれません。
でも、思います。
「与えられた恩は忘れ、与えた恩だけはいつまでも覚えている。」
その方が、よほどカッコ悪い。

「与えた恩は忘れ、与えられた恩は忘れない。」
そんな珍種でありたいと思っています。

堅物、上等です。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年10月9日金曜日

「筋の通るような、つまり実のあることは・・・」メルマガ第204号

 本日メールマガジンを配信いたしました。

前回までご紹介してきた司馬遼太郎の「新史太閤記」は、
豊臣秀吉が天下人へと駆け上がっていくまでを描いた小説でした。
 
今回は、秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が実権を握り、
やがて大坂の陣によって豊臣氏が滅亡するまでを描いた小説「城塞」
よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

筋の通るような、つまり実のあることは一つも存在しないのである

      城塞 上 「石田茶亭」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2026年10月3日土曜日

「『いいから、進め』と言えるリーダー」

 本番が近づくと、不安になる。
これは人間として、ごく自然なことです。

たとえば、長い時間をかけて開発してきた新商品のリリースが、
いよいよ来月に迫ってきた。
すると、それまであまり問題になっていなかったことが、
急に気になり始めます。

「本当に、この仕様で顧客のニーズに応えられるのだろうか」
「競合商品と比べて、もう少しレベルを上げた方がいいのではないか」
「この機能も追加しておいた方がいいのではないか」

本番が近づけば近づくほど、「このままで大丈夫か」という
声が大きくなってきます。

もちろん、市場環境が変わった、競合が新商品を出した、
顧客ニーズに明らかな変化が起きた、というのであれば話は別です。
新しい事実が出てきたのであれば、当然、見直す必要があります。

しかし、そうではない。
仕様については何度も議論した。
顧客ニーズについても検討した。
競合商品についても調べた。
そのうえで、「これでいこう」と決めた。

しかも、その決定をしたときから、前提条件は何も変わっていない。

変わったのは、ただ一つ。
「本番が近づいた」ことだけです。
ここを間違えてはいけないと思います。

本番直前に湧き上がってきた不安を、
「新たに発見された問題」と勘違いしてしまう。
すると、仕様を変更する。スケジュールを延ばす。
もう一度検討会議を開く。

そして変更したら変更したで、また不安になる。
「やっぱり、前の仕様の方がよかったのではないか」
こうして、ぐるぐる回り始めます。
これでは、いつまで経っても商品は世の中に出ません。

これは、商品開発に限ったことではありません。
新規事業、設備投資、人事制度の変更、組織改革、DX、
新拠点の開設など、多くの重要な経営施策に当てはまります。

だからこそ、リーダーは、
「本番が近づけば、不安は大きくなる」
という、人間の自然な心理を知っておく必要があります。

そして、不安が出てきたときには、
「何か新しい事実が出てきたのか」
それとも、
「本番が近づいたから不安になっているだけなのか」
この二つを分けて考える。

新しい事実があるなら、立ち止まって検討すればいい。
しかし、新しい事実がないのであれば、
私はもう一つ、リーダーに大切な役割があると思っています。

それは、
部下の不安を、すべて解消しようとしないことです。
本番前の不安など、完全にはなくなりません。
「絶対に大丈夫」と確認できてから進もう。
「100%成功する」と確信できてから世の中に出そう。
そう考えていたら、おそらく永遠にその日は来ません。

そもそも経営に、100%の保証などありません。
だからリーダーの仕事は、組織から不安をなくすことではない。
不安があっても、組織を前へ進ませることです。

十分に考えた。
十分に議論した。
必要な準備もしてきた。
そして、判断したときから前提条件も変わっていない。
それでも本番が近づけば、人は不安になります。

そんなとき、リーダーまで一緒になって不安の中に入り込み、
再びゼロから議論を始めてはいけない。

誰かが前を向かなければならない。
そして最後には、こう言う人が必要なのだと思います。

「いいから、進め」

これは「考えるな」という意味ではありません。
むしろ逆です。
「考えるべきことは、十分に考えた。
 だから今度は、自分たちの決定を信じよう」
ということです。

経営には、徹底的に考える時間があります。
慎重に検討すべき時間もあります。

しかし、いつかは考えることを終え、決断し、実行する時間が来ます。
そして、その境目を見極めることもリーダーの仕事です。

本番直前になれば、不安になる。
それでいいのです。
不安がなくなったから進むのではない。
不安があっても進む。
そのとき組織の背中を押す。

それもまた、リーダーの大切な仕事なのではないでしょうか。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年9月27日日曜日

「うしろに、世間がいる」 メルマガ第203号

 本日、メールマガジンを配信しました。

今回も引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた

「新史太閤記」よりご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

     うしろに、世間がいる

      新史太閤記 下 「狂言」

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是非、ご一読を!!

2026年9月25日金曜日

報連相は『本気度』を映す

 クライアント企業で、社員教育の一環として、
「社会人としての基礎」をテーマにした研修をシリーズで行っています。
社会人/業界人として身につけておくべき基本を、
毎回いろいろな講師に話してもらう研修です。

昨日は、その第5回目。
日頃から安全面の指導をお願いしている顧問に、
「報連相」について講義をしていただきました。

大変分かりやすく、いい講義でした。
その中で、特に印象に残った言葉があります。

「報連相は、マナーや礼儀ではない。
   会社の仕組みであり、重要な業務である」

なるほど。

上司に報告する。関係者に連絡する。分からないことを相談する。
こうした行為を、「社会人としてのマナー」と
捉えている人は少なくありません。
しかし、報連相は、上司に対する礼儀のためにするものではない。
仕事を正しく進め、問題を未然に防ぎ、
組織として成果を出すための「業務」そのものなのです。

講義では、こんな趣旨の話もありました。
「不安なら報告する。困ったなら相談する」
当たり前と言えば、当たり前です。

ところが、これを聞きながら、私は少し違うことを考えていました。

では、なぜ報告しないのだろう。なぜ相談しないのだろう。
本人は「不安ではない」。「困っていない」。
だから、相談しない。

では、なぜ不安にならないのか。
「まあ、大丈夫だろう」「なんとかなるだろう」
そう思っているからではないでしょうか。

さらに考えてみました。
なぜ、「まあ、大丈夫だろう」と思えるのか。

そこには、仕事の目標や達成レベルに対する意識の低さ、
そして、その目標を「何としても達成する」という
コミットメントの弱さがあるのではないか。

たとえば、
「この仕事は、絶対に○日までに完成させる」
「この品質だけは、絶対に守る」
「事故は絶対に起こさない」
そう強くコミットしている人ほど、少しの異変が気になります。

「このままで間に合うだろうか」
「このやり方で本当に大丈夫だろうか」
「ここに危険の芽はないだろうか」

目標へのコミットメントが強いからこそ、「不安」が生まれる。
そして、その不安が、
「一度、報告しておこう」
「念のため、確認しておこう」
「早めに相談しておこう」
という行動につながる。

逆に、目標や達成レベルが曖昧で、そこへのコミットメントが弱ければ、
「まあ、大丈夫だろう」
「何とかなるだろう」
で済ませてしまう。

その結果、報連相がなくなる。
そう考えると、報連相の問題は、
単なるコミュニケーションの問題ではないことが見えてきます。

「もっと報告しなさい」
「困ったら相談しなさい」
と何度言っても、なかなか報連相が定着しない会社があります。

そんな会社では、報連相のやり方を教えるだけではなく、
その一つ手前にある、
「何を、どのレベルまで、いつまでに達成するのか」
そして、「それを、本当に達成しようと思っているのか」
も確認してみる必要があるのかもしれません。

報連相の量と質は、その人の「目標に対する本気度」を映す鏡でもある。
昨日の講義を聴きながら、そんなことを考えたのでした。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年9月22日火曜日

「成功」が人を変える ― 実力と謙虚さのマトリックス

人は、実力をつけ、経験を重ね、成功することで成長していきます。

ところが、少し皮肉なことがあります。
実力がつき、実績が上がり、周囲から評価されるようになると、
それまで人の話を素直に聞いていた人が、いつしか聞かなくなる。

「自分の判断は正しい」
「これまでも、このやり方で成功してきた」
そんな自信が、知らず知らずのうちに「驕り」へと
変わっていくことがあります。

つまり、
人は成功することによって成長する一方、
成功することによって変わってしまうこともある。

経営者や組織のリーダーにとって、本当に怖いのは、
実力がないことだけではありません。

実力がついた後、自分がどう変わるか。

ここで、人を二つの軸で考えてみます。

一つは「実力」――有るか、無いか。
もう一つは「姿勢」――謙虚か、驕りがあるか。
この二つを掛け合わせると、四つの「現在地」が見えてきます。
        
まずは、④「自覚なき未熟者」(実力:無、驕り:有)
      まだ十分な実力がない。
     ところが、そのことに本人が気づいていない。
     人の意見を聞かず、自分の考えに固執する。

     実力がないこと以上に、
    自分に実力がないことを自覚していないことが問題です。
    自覚がなければ、学ぼうとしない。
    学ばなければ、成長も始まりません。

③「伸びゆく挑戦者」(実力:無、驕り:無)
    今はまだ十分な実力がない。
   しかし、それを自覚している。

    だから、「教えてください」「やってみます」「私が間違っていました」
   と言える。の話を聞き、教えを請い、失敗から学ぶ。

   すると周囲も教えてくれる。助けてくれる。応援してくれる。
   やがて、
   ③「伸びゆく挑戦者」
       ↓
   ①「徳ある実力者」
   へと成長していきます。

①「徳ある実力者」(実力:有、驕り:無)
     実力がありながら、謙虚である。
     仕事ができる。 実績もある。判断力もある。
    それでも、人の話を聞く。 間違えば謝る。
     人の功績を認める。
     自分より立場の弱い人にも礼を尽くす。
     実力だけで人を動かすのではなく、
    その姿勢によって人がついてくる。

 これが、組織を率いる者として理想的な姿ではないでしょうか。

ところが、ここに落とし穴があります。

仕事ができるようになる。
実績が上がる。
役職が上がる。
会社が大きくなる。
周囲から評価される。

成功を重ねるうちに、

「自分が正しい」
「自分のおかげだ」
「自分に従えばいい」

という気持ちが芽生えてくる。

すると、
①「徳ある実力者」
   ↓
②「驕れる実力者」
へ移ってしまいます。

経営者にとって最も怖いのは、この①から②への移動です。

②「驕れる実力者」」(実力:有、驕り:有)
 「驕れる実力者」は、実際に実力があります。
 仕事もできる。判断も速い。実績もある。結果も出している。

 だから、周囲も注意しにくい。
 そして本人も、
 「これまで自分の判断で成功してきた」
 という実績があるため、自分の問題に気づきにくい。
 実力があるからこそ、その「驕り」まで正当化されてしまうのです。

考えてみれば、少し皮肉です。
③「伸びゆく挑戦者」が努力をして、ようやく①「徳ある実力者」になった。
ところが、その成功が続いた結果、
①から②「驕れる実力者」へ移ってしまう。

つまり、
成功が、人を成長させるとは限らない。
成功が、人を変えてしまうこともある。
ここに、経営者が陥りやすい罠があります。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
昔から言われてきた言葉です。

しかし、実際には「実ったとき」こそ、頭を垂れることが難しい。

実績ができたとき。
地位を得たとき。
会社が大きくなったとき。
自分の判断が次々と当たっているとき。

そんなときこそ、自分が今、
①「徳ある実力者」にいるのか。
それとも、知らないうちに、
②「驕れる実力者」へ移ってはいないか。
自分自身に問いかける必要があるのかもしれません。

実力だけでは、人は動かせても、
人心までは得られない。

実力に「謙虚」が加わって、初めて「徳」になる。

そこに、単なる仕事のできる人を超えた、
経営者としての本当の「力量」が表れるのだと思います。

「自分はいま、四つのどこにいるだろうか。」
と時々振り返ってみることも大切です。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年9月16日水曜日

「経営に迷ったら、『当たり前』に戻る」

 長年、経営コンサルタントという仕事をしていると、
「経営には、何か特別なノウハウがあるのですか」
と聞かれることがあります。

もちろん、経営には様々な理論や手法があります。
それらを学び、使いこなすことも必要です。

しかし最近、こんなことを思います。
「経営の基本は、人生の基本とそれほど変わらないのではないか」と。

約束したことは守る。
相手の立場になって考える。
何かを始める前には、きちんと準備する。
うまくいかなければ、原因を考えてやり方を変える。
間違えたら、素直に認めてやり直す。
そして、何のためにやっているのかを忘れない。

こうして並べてみると、どれも難しい経営理論ではありません。
子供の頃から教えられてきたような、ごく「当たり前」のことばかりです。

ところが、会社という組織の中では、
この「当たり前」が、いつの間にか見えなくなることがあります。

「この業界では、これが普通だから」
「うちの会社では、昔からこうしているから」
「前任者から、このやり方で引き継いだから」

そんな言葉が積み重なっていくうちに、
本来なら「ちょっとおかしい」と気づくはずのことまで、
会社の中では「常識」になってしまいます。

いわば、「業界の常識」や「会社の常識」という森の中で、
迷子になってしまうのです。

そんな会社を前にした時、経営コンサルタントとしての私の役割は、
何か難しい理論を持ち出すことではないように思います。

「そもそも、何のためにやっているのですか」
「お客様の立場から見たら、どうでしょう」
「普通に考えたら、それはおかしくありませんか」

そんな問いかけをしながら、一度、原点まで戻ってみる。
すると、複雑に見えていた問題が、
案外、単純な問題だったことに気づくことがあります。

経営には、新しい知識も必要です。
新しい技術も、様々な経営手法も必要でしょう。

しかし、新しいものを学ぶことと同じくらい、
大切なことがあると思います。

それは、
「当たり前のことを、当たり前に考えること」。
そして、その「当たり前」が、
いつの間にかおかしな常識にすり替わっていないか、
時々立ち止まって確かめることです。

コンサルティングとは、特別なことを教える仕事ではないのかもしれません。
会社の中で見えなくなってしまった「当たり前」を、
もう一度、見えるようにする。

そして、迷子になった会社と一緒に、
「そもそも、何のためにやっているのか」という原点に戻る。
それが、私の考えるコンサルティングです。

考えてみれば、これは経営だけの話ではありません。
仕事も、家庭も、人間関係も、そして人生そのものも同じです。

迷った時ほど、難しい答えを探す前に、一度「当たり前」に戻ってみる。
案外そこに、進むべき道が見つかるのではないでしょうか。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)