2026年1月31日土曜日

江戸時代と同じ「「四公六民」なんだ!!

選挙戦の真っ只中。

テレビをつければ「消費税減税」、「社会保険料引き下げ」、
「手取りを増やす」等の政策が叫ばれています。

一度、「どれくらい“公”に持っていかれているのか?」
「給与の中に隠れている『もう一人の受取人』の実態は?」
具体的に計算してみようと思っていました。

ChatGPTの力も借りて、
試しに、会社が社員一人に払っているお金を概算で計算してみました。

















すると見えてきたのは、意外でもあり、やはりという結果でした。

社員の年収が600万円とする。
会社が実際に負担しているのは、
社会保険料の会社負担分も含めて約690万円。
そのうち社員の手元に残るのは、手取りで約400万円(58%)。
残りの約290万円(42%)は、税金と社会保険料として
公的な財布に入っていく。

つまり、会社目線で見ると、
「会社が払ったお金の、おおよそ4割が公的負担」
ということです。

どこかで聞いた「四公六民」。
歴史の授業で、江戸時代、農民が収穫の4割を年貢として納め、
6割を自分たちの生活に使えたという負担の目安を表す言葉です。

「四公六民」は、決して昔話ではなかったのです。

もちろん時代も仕組みも違います。
現代では米ではなくお金。
その使用用途も医療、年金、防衛、教育、インフラ整備等に
広がっています。
ただ構造だけを見ると、妙に重なります。

さらに給与で手元に入るものから、
使う都度支払う消費税等のものを考えると
「四公六民」どころではなくなってきます。

ただで公的サービスは回らない、
というのはわかっていますが・・・。

この「「四公六民、いやそれ以上」という負担率をキチンと頭にいれて
選挙公約をみていかなければと、
選挙戦のニュースを見ながら、そんなことを考えたのでした。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年1月24日土曜日

「期末報告会」に思う

顧問先の期末報告会に出席してきました。

昨年の今ごろ、経営陣の頭にあったのは、
「来期の目標達成は、正直かなり厳しい」という想定でした。

それが今回の報告会で示された数字は、
業績目標の達成。
しかもそれだけではありません。
来期に向けた案件の“仕込み”も、想定以上の量が積み上がっていました。

さらに印象的だったのは、
各部門、各人の目標について、
相当数の項目が達成表彰の対象になっていたことでした。

その達成表彰の場で語られた一言コメントなかには、
(思うようにいかなかった、失敗した、粘って、最後はやり切った)
その趣旨のものがいくつもありました。

昨年秋口、この数年を振り返る全体勉強会をしました。
そのとき、強く感じたことがありました。

この会社には、
「チャレンジする。失敗もする。でも、何とかやり遂げる」
「掲げた目標・課題を、絵に描いた餅や単なる景色に終わらせず、実現する」
という文化・体質が、確実に根付いている。

この報告会のコメントを通して、改めて再確認したのでした。

そして、報告会の最後に、私事ながら一言添えさせてもらいました。

「この日、この時間が、私にとって一番うれしい瞬間です。
 普段は、皆さんに耳の痛いことばかり言う役割ですが、
 今日だけは、もろ手を挙げて一緒に喜べる。
 本当にお疲れさまでした。ありがとうございました」

そう締めくくりながら、胸が一杯になってしまいました。

私にとって、期末報告会とは単なる数字の報告を聞く場ではありません。
その組織が、「どういう覚悟で一年を生きてきたか」を
再確認する場のように思います。

「この会社は、ちゃんと前に進んでいる。
 だからこそ、また次の一年も、厳しいことを言い続けよう」

それが、この瞬間を一緒に喜べた人たちへの、
私なりの敬意であり、そして私のDUTYだと思っています。

追伸
司馬遼太郎の小説「峠」のなかで、
自宅の火事見舞いに訪れた河井継之助に対し、
小林虎三郎が
「何も返すものがない、見舞御礼として・・・]
と、継之助を痛罵する場面を思い出しました。
(ご興味があれば「峠」を一読してみてはいかがでしょう)

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年1月22日木曜日

「あれ? これ経営と同じだ」

年末、同じマンションの住民とバンドを組むことになりました。

誰かと音を合わせるのは、中学生以来――実に半世紀ぶりです。
練習することになったのは4曲。

その一つは、歌えるほどによく知っている曲。
もう一つは、いわゆる「穴歌」でメロディーをなぞれる程度の曲。
残りの2曲は、名前すら知らない、
もちろん一度も耳にしたことのない曲でした。

ただ、その4曲すべて、ギターで弾いたことはありませんでした。

次の音合わせまでに、メンバーに迷惑をかけるわけにはいかない。
そう思い、特に“聴いたことのない曲”から、
腰を据えて取り組むことにしました。

まずは、何度も繰り返し聴く。
どんな構成で、どこに山がある曲なのかを身体に入れる。
――目標を明確にする。

次に、「これは難しそうだ」と感じる箇所を洗い出す。
――課題を明確にする。

そして、うまく弾けない部分だけを切り出し、何度も何度も練習する。
指が覚えるまで、音が安定するまで。
――自分の能力を高めていく。

そんな準備をして臨んだ、先日の音合わせ。

すると、家での練習では想定していなかった課題が、
次々と浮かび上がってきました。
「できる」と思い込み、練習を軽視していた部分が、
実際に演奏してみると、あやふやで自信をもって鳴らせない。

一人で完結していた世界が、
他者と交わった瞬間に、初めて見える課題でした。

そのとき、ふと思ったのです。

「あれ? これ、経営と同じだ」

頭の中で考え、仮説を立て、準備する。
しかし、実際に顧客にぶつけてみると、想定外の反応が返ってくる。
そこで初めて、本当の課題が見える。
そして、また修正し、鍛え直す。

これまで一人でポロポロとギターを流し弾きしてきました。
気楽で、誰にも迷惑をかけず、それなりに満足できる時間。
ただ、振り返ってみると、一人で弾いている限り、
「今の自分の力量の範囲」に収まっていたことに気づきました。

つまり、安心はある。
しかし、あまり上達はしていなかったのです。

私にとって、このバンド活動は、
「安心できる範囲をあえて出ることでしか成長しない」という
経営の原理原則を体感的に思い出させてくれる時間であり、
同時に、「目標の明確化 → 課題の明確化 → 成長を通じた課題克服」
という、経営の基本ステップを再確認する場なのかもしれません。

そう思いながら、
曲ごとの課題リストを横に置き、今日もギターを手に取っています。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年1月16日金曜日

「部下の数量意識が低い」?

いつも部材の発注数量が多すぎる会社がある。
在庫は膨れ、やがて廃棄となり、経営を悪影響を及ぼしている。

ある日、その社長と話をしました。

「社長も部下の発注数量を確認して、その上で発注するようにしてください。
部下は“足りなかったら困る”という不安から、必ず多めに発注するものです。」

社長の反応は、
「詳細な数量は、現場を分かっている部下でないと無理です。
 正直、そこまで関わるのはできません。
 部下の数量に対する意識が低いんですよ」
というものでした。

「現場を分かる必要はありません。
 社長がやるべきは、なぜその数量になったかを確認することです。」

現場では、その発注数量について
「なぜ?」と聞かれない。
「どう考えた?」と問われない。
「前提は何だ?」とも言われない。

部下にすれば、足りなければ即、業務に支障をきたす。
余っても、月例の会議で叱責され、
「難しいんです」と数分間頭を下げれば、
この過剰発注問題は通りすぎていく。

この構造の中では、
「多めに発注するな」という方が無理があります。

そんな職場で、誰が“適正数量”を本気で考えるでしょう。
部下は、上司の関心が向いている方向にしか、頭を使いません。

問題は、部下ではありません。
「部下の数量意識が低い」という言葉は、
「上司が数量に関心を持っていない」という告白と同義なのです。

適正発注量の算出は、部下のセンスでも経験でもありません。
上司の関心によって鍛えられる思考の筋肉なのです。

それを鍛える場を用意せず、問いも投げず、確認もしない。
それでいて「部下の意識が低い」と言うのは、
経営放棄に等しいと言われても仕方ありません。

また、過剰発注の問題を「部下の意識」で片付けるのは、
外部者(例えば、銀行)にとって言い訳にも理由にもなりません。
ただ「無能な経営者」とレッテルを張られるだけです。

社長は数量を決めなくていい。
だが、問題(数量の)から目を逸らしてはならない。
「この数字は、誰のどんな判断の結果なのか」
そこに関心を持てなくなった瞬間、部下に投げ丸投げした瞬間、
会社は静かに、確実に、正常状態から逸脱していくのです。

部下の数量意識を変えたいなら、やることは一つ。
上司が、数量に口を出す。
ただし“答え”ではなく、“問い”を。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年1月7日水曜日

「影のようになりなされ」メルマガ第195号

 本日メールマガジンを配信いたしました。

本年NHK大河ドラマ、『豊臣兄弟』が始まりました。
司馬氏の小説では、豊臣を描いた小説が、数冊あります。
何度かにわたって、そのなかからご紹介していく予定です。

今回は、ドラマの主人公豊臣秀長をを描いた
司馬氏の小説「豊臣家の人々」からご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

     影のようになりなされ   

     豊臣家の人々 「大和大納言」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!


2026年1月5日月曜日

2026年(令和8年)謹賀新年


 今年のいかなる経営環境変化にも、

「兵の本は禍患を杜にあり」(闘戦経第52章)との認識を心して、

本年も引き続き、

クライアント企業固有の価値を

より鮮やかにすべくお手伝をしていきます。


   本年もよろしくお願い申し上げます

2026年元旦

2025年12月28日日曜日

今年も「計画通り完了」

メールマガジン、ブログの出稿
今年も管理表に基づき計画通り完了!!

過去の管理表が保管してあって確認してみたら
2012年分から14枚ありました。













幼少の頃から「三日坊主」と言われ続けてきた私が継続できるのも、

この管理表のおかげです。