2026年5月5日火曜日

備中高松城 再訪

岡山のライブの往路、高速の倉敷→岡山間が10キロの渋滞。
倉敷インターを降り下道で岡山まで行くことにしました。

倉敷で高速を降り、下道を走ることにしました。
ナビだけを頼りに進んでいくと、どこか見覚えのある光景が広がります。

ふと目に入った町の表示には、「高松」「備中高松」との文字。
メルマガを作成しているタイミングとも重なり、
不思議な巡り合わせを感じました。

ということで、何年かぶりに備中高松城址を訪ねてきました。
もう一度見たかったのは、水攻めのために築かれた堤の跡と、
秀吉がその様子を見ていたであろう本陣です。

本陣までは入口より800mの表示。
以前訪れた記憶もあいまいなまま、軽い気持ちで歩き始めたものの、
実際にはほとんど山登り。
途中で何度も引き返そうと思いながらも、なんとか辿りつきました。
その秀吉本陣からは、水攻めをした全体像を見渡すことができます。





そして、築かれた堤の跡。



案内版の方向からでは樹木が生い茂り、その規模がつかめません。


裏側に回ってみると、土が盛られた状態が把握できました。
それは、小高い丘・・という感じでした。




ふと、これと同様の堤を現代技術で造るとすれば、
どの程度の期間とコストがかかるのか・・と思ったのでした。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

「浜田省吾」の初ライブに行ってきました

「あれ?これ経営と同じだ」(2026年1月22日付ブログ)で、
バンドを組むことになり、選曲した4曲のうち2曲が名前すら知らない、
一度も耳にしたことのない曲だったことを書きました。
それが浜田省吾の曲でした。

その後、練習を重ねなんとか形になってきたころ、
「一度、本物をいてみよう」と思い、
岡山でのライブに足を運ぶことにしました。

ところが、チケットの入手がなかなかのハードル。
ネットで会員登録をし、その後に抽選申し込み、当選待ち、
という手順です。
会員登録まではしたものの、
ちと複雑で面倒と感じ、一度は諦めました。

なんな中、後日メールでのリセールチケットの案内。
「もう一度だけやってみるか」と再挑戦し、結果は――当選。













こうして5月2日(土)岡山芸術創造劇場 ハレノワで行われた
浜田省吾のコンサート、初デビューすることができました。






























73歳という年齢にもかかわらず、声は伸び、立ち姿もカッコいい。
音楽はもちろん期待どおりの素晴らしさ。

それ以上に印象的だったのは、別のところにありました。
それは、観客との一体感。
曲に合わせて観客が手を振り、こぶしを上げ、一緒に歌う
2階席から見渡すと、会場全体がひとつの生命体のように動き、
大きなエネルギーが湧き出ているのが伝わってきます。
感動しました。
改めて、ライブの醍醐味を感じたのでした。














これまで何度か足を運んだ矢沢永吉のライブを思い出しました。
観客の熱量は圧倒的で、会場に入る前から、
そして開演前から熱量を感じるものがありました。
それ以来、私は「YAZAWAのFANのFAN」になりました。

そして今回、YAZAWAのFANと違う熱量放出の形での一体感に触れ、
「浜田省吾のFANのFAN」になってしまいました。

また機会あれば、一体感を感じに足を運んでみたいと思いました。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

「世を動かす原理は人間の欲望である」メルマガ第199号

本日メールマガジンを配信しました。
 
今回も引き続き豊臣秀吉の出世物語を描いた
「新史太閤記」よりご紹介しています。

◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇

 世を動かす原理は人間の欲望である 

      新史太閤記 上 「高松城」

◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆

是非、ご一読を!!

2026年4月28日火曜日

パーキンソンの法則:ごもっとも!!

 先日、あるメールマガジンで
「パーキンソンの法則」という言葉に触れました。

思わず手を叩きながら、
「そうそう、その通りだ」と頷いてしまいました。

この法則を提唱したのは、英国の歴史学者であり政治学者である
シリル・ノースコート・パーキンソン。
1958年の著作『パーキンソンの法則』の中で語られたものです。

■ 第1法則
仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する。
30分で終わる仕事でも、1時間あれば1時間使ってしまう。
締切が先にあるだけで、人は“無意識に”仕事を引き延ばす。

■ 第2法則
支出の額は、収入の額に達するまで膨張する。
収入が増えても、なぜかお金は残らない。
気づけば、生活水準が上がり、出ていくお金も増えている。

そして、もう一つ。
いわゆる「凡俗法則」と呼ばれるものがあります。
■ 凡俗法則
組織は、どうでもいいことに、不釣り合いなほど時間を使う。
難しい議題ほど、議論は短く終わる。
一方で、誰もが口出しできるテーマほど、延々と続く。

放っておけば、時間も、コストも、議論も、
すべては膨張するということになるでしょう。

だからこそ、経営において重要なのは
「膨張を前提に、どう制御するか」です。
放置すれば、すべては“緩む方向”に流れます。

ここで問われるのが、リーダーの意思です。
リーダーの制御次第で、組織の生産性は変わります。

裏を返せば
・時間を絞れば、生産性は上がる
・資源を制限すれば、知恵が出る
・論点を絞れば、本質に近づく
ということになるでしょう。

「時間がない」「利益が残らない」「会議が長い」、
というのは、原因は外ではなく内側の問題。
「制御不足」から生まれているのです。

Text reviewed and edited with support from Charlotte Grace Ashford 
(AI Assistant, aka “Lottie”)

2026年4月27日月曜日

自分のできないことを・・・

幹部会議の教育について論議で、

「そもそも、教育云々という前に、
 自分のできないことを、部下にやらせているだろう」

「そして、部下が“できない”と嘆いているだろう」

と厳しい指摘をしました。

(自分のできないことを、部下にやらせている)
という状況は珍しい話ではありません。
むしろ、多くの組織で繰り返されている“日常”です。

本来教育とは、
自分ができることを、かみ砕き、言語化し、再現性を持たせ、
相手ができる状態にまで引き上げることです。

山本五十六
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
という言葉が端的にそれを表しています。

これが、教育の原理原則です。
ただ、自分ができないことを部下に任せる場合もあります。
その時は、
  • 一緒に取り組む
  • 自分事として関わる
  • 部下が前に進めるよう、可能な限り支援する

ということが必要です。

自分のできないことを部下に任せ、「できるようになれ」
と期待するのは、幻想です。
そのような人材に巡り合うのは、宝探しと同じで、
確率の極めて低いものです。

もし、そのような人材であれば、
“あなたの部下”ではなく、あなたの上司です。
もしくは、とんでもない(最低でもあなた以上の)年俸で
迎える存在です。

このような現象が生まれるのは、
「部下は自分と同じようにできるはずだ」
「任せれば勝手に成長するものだ」
という前提で思考しているからです。

現実を冷静に見ると、
その前提が現実と乖離していることを認識できるはずです。

その思考前提を
「人は教えなければできるようにならない」
「任せるとは、放置ではなく支援を伴う行為である」
へと置き換える必要があります。

あなたは、
「できることを教えている」のか。
それとも、
「できないことを押し付けている」のか。

もし後者なら、
部下が育たないのは当然です。

結論はシンプル、

自分ができることは、徹底的に分解して教える。
自分ができないことは、一緒にやる。

です。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月24日金曜日

福岡合宿 第二の転換点に向けて

4月20~21日。
クライアントの役員合宿で福岡に行ってきました。

朝7時15分、広島駅集合。そのまま移動し、9時には会議開始。
夕食後は「2次会」と称してスナックに移動したものの、
誰一人カラオケを入れようとはしない。
気がつけば、日付が変わる直前まで議論は続きました。
翌朝も8時スタート。
ハードな合宿でした。

過去に実施した合宿もそうでしたが、
今回は特に、テーマそのものが、「これまで以上の混沌」を
予感させるものでした。
それでも、「何とかなるだろう」と根拠の無いない自信を頼りに
始めた合宿でした。

議論は進んでいけばいくほど、収拾がつかなくなり、
混沌とし、混沌地獄にはまっていきました。
(残念ながら、私の予想は裏切られませんでした)

そして、混沌を極めたくらいのところで、
あるシンプルな枠組みが浮かび上がってきました。
(教科書に載っているようなフレームワークではありません)
絞り出された整理の軸、
いや天から授かった救いの手が舞い降りてきたのでした。

その軸をもとに全体を組み直なおしてみると、
それまでバラバラだった議論が、一気につながっていきました。
そして、「向き合うべき課題」として明確になったのでした。

ただ、今回浮かび上がった課題は、
今の延長線上にはない、ハードルの高いものでした。
「頭の中はスッキリした。やるべきことも分かった。
 あとは、どうやり切るか」
というのが役員の表情・言葉の端々から伝わってきました。

そして、「何とかなった」と胸をなでおろしたのでした。

数年前の尾道での役員合宿の結論も、
「こんなことできるのか」と思うような
ハードルの高い課題でした。

しかし彼らは、それを数年かけて自分達のものにしました。
その結果、会社の体質は大きく変化し、
実績も後を追いかけてきていることを
彼らは実感しつつあります。

思考の軸そのものが、この数年で
「できるかどうか」ではなく
「どうやりきるか」へ変わった感じです。

2日間、大変お疲れ様でした。

そして「必ずやり遂げてくれる」、
今回の合宿は間違いなく「第二の転換点」
になるはずだと信じています。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2026年4月21日火曜日

長男が「読んでみて」と置いて帰った一冊――『獺祭』。

獺祭といえば、ドジャースの佐々木朗希投手が贈り物にも使っていた、
日本酒を代表する銘柄の一つです。
もっとも、下戸の私には基本的に、縁のない世界。

この酒を生み出した山口県の一酒蔵が、
わずか40年で年商約200億円――約100倍に成長した。
その経営論として、多く紹介されるなかで認識していた、
というレベルでした。

これまでの私の理解は、正直こうでした。
「杜氏が担っていた領域をデータ化し、
 標準化し、大投資によって大量生産する会社」
巨大な設備投資により固定費が膨らみ、
それを賄うために売上至上主義に陥る懸念もある。
あまり好みのタイプの経営ではない、と。

ところが、本書を読んでその認識は一変します。

確かに、
杜氏の領域のデータ化、
標準化(厳密には少し違うようですが)、
そして大投資による大量生産。
表面的にはそうです。

しかし、その奥にある現会長・桜井博志氏の思想に触れたとき、
なんと浅薄な見方をしていたのか・・・、
むしろ私の好きなタイプの企業ではないか、と。

私が理想とする、中小企業のトップ像をそのまま体現している。
拙著『闘戦経』第53章の「中小企業のリーダーとしてのやり甲斐」、
「顧客に対する視点」での解説そのまま、ドンピシャでした。

中小企業の経営者の皆さん、是非読んでみてください。

P.S.
名前は臼杵(ウイスキー)ですが、アルコールは不調法。
自ら消費はできませんが、贈答や手土産として
桜井会長の思想のDNAが宿るであろう「獺祭」を、
応援していこうと思ったのでした。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)