2014年3月31日月曜日

「続かないんです・・・」

「みんな忙しいので、定例のミーティングが継続しないんです」
とある幹部。

「ところで、そのミーティングの目的は?」
「・・・・・」

「はっきり言うと、ミーティングが目的化してるんじゃない。

 要するにたち切れになるってことは、
 参加者の誰もがその必要性を感じてなかったということ。
 そういう、あなたもね・・・

 だからミーティングがたち切れになっても、
 だれも、継続しようと言わなかったのかな」

「○○が継続しない」
という問題は中小企業に頻繁に発生します。
こと、報告書に至っては、簡単にたち切れになるものです。

継続しない理由の最大のものは、その必要性自体にあります。
誰かが必要性を感じていれば継続するでしょうし、
だれも、感じていないのであればたち切れになってしまいます。

その必要性とは具体的に言うと、

「継続しない○○(報告書)」の「○○(報告書)」
を受けての何らかのアクションがあるか?

ということになります。

○○を行っても何もアクションが無い、
というのではその必要性は乏しく、
たち切れになるべくして、
たち切れになっているのです。

出張精算書を提出するのは、
出張清算金を貰えるというアクションがあるからです。
これと同じです。

「継続しよう」と声をかける前に、
それを受けてのアクションが行われているのか?

という視点で見てみることも必要です。

2014年3月24日月曜日

そりゃあ無理ですわ

「どういう場合に、付加サービスを顧客に提供するか?」

というテーマで、

「社員がわかっちゃいない」
「自分で判断できない、すぐに聞きにくる」

と社長と専務が頭を抱えていました。

どれどれと、過去に発生したケースを確認し、
いくつかの想定される場合について、
お二人にその付加サービスの要否を質問していきました。

「○○のような場合は、提供は(要)ですね」
   → 社長「Yes」、専務「沈黙」

「△△のような場合は、提供は(NG)ですね」
   → 社長「沈黙」、専務「Yes」

どうも様子がおかしい・・・
もう少し突っ込んで質問していくと、
二人の判断基準が違っていることが明らかに・・・

「こりゃあ無理ですわ!! 『社員に判断しろ』ってのは

 社長の基準で判断すれば、専務に叱られるし。
 専務の基準で判断すれば、社長に叱られるし。

 社員は判断したがりませんよ。」

実際には、いくつかの要因が絡んだものでしたが、
いずれにしても、上層部の判断基準・方針が違うというケースです。

判断基準・方針がばらついていない、
というのもの社員が自ら前に進んで行くという環境、
働きやすい環境を整えるということの一つです。

3人で擦り合わせ、明確になりスッキリしたのでした。

2014年3月20日木曜日

「かれはそれを自分の行動で示そうとした」メルマガ第53号

本日「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」第53号を配信しました。


今回も、軍師 黒田官兵衛を描いた「播磨灘物語」から紹介しています。


織田・毛利のはざまで揺れ動く小寺氏の中で、
黒田官兵衛は、家臣の反対を押し切ってまで


「かれはそれを自分の行動で示そうとした」


のでした。


是非、ご一読を!!

2014年3月10日月曜日

INVICTUS 私が我が魂の指揮官なのだ

映画「INVICTUS(インビクタス-負けざる者たち)」
を見て久しぶりに感動しました。

南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ氏を描いた映画。

27年間の投獄生活(国家反逆罪で終身刑)の中で
マンデラ氏はウイリアム・アーネスト・ヘンリーの詩を
心の支えとしたそうです。

何度か、映画の中でその詩の最後の2行が紹介されます。

「私が我が運命の支配者、
 私が我が魂の指揮官なのだ」

I am the master of my fate
I am the captain of my soul

自分の信じるところを、生き抜いていく。

リーダーに勇気を与えてくれる、名作です。

是非、一度御覧になってはいかがでしょう。

2014年3月3日月曜日

職人とマニュアル

俺の技能は簡単に引き継げるものではない・・・
マニュアル化なんて無駄だ・・・

とマニュアルは職人芸を否定する、
と受け止められることが多くあります。

私の、論理はまったく違います。
マニュアル化は職人の技能を際立たせるものなのです。

例えば「ステーキの焼き」を例にとって考えてみましょう。

マニュアル化するとしたら、
温度、焼き時間、ターン等々を、
シェフが実際に焼くところ見ながら、
一連の行動を計測することになります。

ストップウォッチや温度計を使って採取したデータをもとに、
「ステーキ焼きマニュアル」が完成するという手順になります。

しかしながら、ベテランシェフは
時間を計測して「焼き」を完了させている訳ではありません。

長年の経験に基づき、お肉の焼き色、
匂い、音・・等々の五感を働かせて
終了させているはずです。

微妙な焼き色、微妙な香り、微妙な焼音等々の違い、
それは長年の経験によるらざるを得ません。
その微妙な違いが判断できるところが職人たる所以です。

マニュアルの「焼き10分」は、
職人技に近いものを作ることはできるでしょう。
しかしながら、必ずしも、職人の所以たる「微妙な違い」を
保証するものではありません。

その日の、肉の質、脂分、スジの状況、
厚み、気温、湿度、季節、顧客の状況等々からすると
「あと10秒必要」「焼きすぎ」という可能性だってあります。

つまり、職人が10分程度ずっと「焼き」に携わっていたとしても、
その職人の職人たる所以である「微妙な判断」の部分は、
わずか数十秒ということになるでしょう。
この数十秒が職人の本当の価値なのです。

ならば、この重要な数十秒以外はマニュアルを使い素人に任せ、
重要な数十秒に職人の価値を注入する

という案配にすることにより、

マニュアル化は
  職人の本来持っている本来の価値を
           際立たせるものになる

というのが私の論理です。