2014年6月29日日曜日

史跡探訪 函館 高田屋嘉兵衛

先週末、函館に行ってきました。
 
「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛の函館
「燃えよ剣」の土方歳三の函館
 
私にとっては憧れの函館!!
ちんちん電車で「十字街」で下車して
宝来町に向かって歩くと・・・
見えてきました、高田屋嘉兵衛さんの像。
函館山をバックに凛々い姿。
 
江戸時代に北前船で事業を起こし、
当時人口3千人ほどの寒村であった箱館に、
港湾の埋め立て、掘割など港としての整備、
道路の改修、植林や開墾、造船所等をつくり
「箱館の街の開祖」といわれました。

 
 案内地図には、「高田屋通」と書かれているものの
道路の表示板は残念ながら見つけることができませんでした。
 
そして、「高田屋屋敷跡」の石碑
寛政13年(1801年)に、嘉兵衛さんの弟の金兵衛さんが
この地に、幕府の許可を得て5万坪(東京ドーム3.5個分)を拝借し、
その一角に邸宅を建てたと案内されていました。
 
そして海岸に向かうと、高田屋嘉兵衛資料館

 
中に入ると、嘉兵衛さんが始めて造船した「辰悦丸」の幟、
そして兄弟の名前の入った幟が目に飛び込んできました。
史跡めぐりをしていて、初めて味わった感動でした。

電車通りにもどり、高田屋の本店跡


高田屋一族のお墓のある称名寺に・・・
 
 境内の中には、嘉兵衛さんの顕彰の碑
 
 そして一族のお墓がありました。
淡路島の嘉兵衛さんのお墓と同じで
豪商のお墓とは思えない、質素なつくりでした。
 
足を伸ばして、レンタカーで松前に。
松前藩屋敷では、江戸時代の商家、民家、魚家、
廻船問屋等の屋敷が再現されていました。









その中で、沖の口奉行所が再現されていました。
 
説明には、
この白州では、入国者を裸にして調べ、
刀傷のある者、入墨のある者と、身元引受人のない者
の入国を許さず・・・、
商人達からは役人に多くの太義料、袂銭の
献金があったといわれている・・・・、と。
 
こんな感じで、嘉兵衛さんも吟味されたのかもしれない。
 
「場所請負制度」の下、
幕府にはその実態が把握できないように、
蝦夷人と倭人を接触させないようにし、
蝦夷人を搾取していたことを思い出し、
座敷でふんずり返っている
役人3人を睨みつけていました。
 

2014年6月16日月曜日

「いかなる誓紙でも、誓紙でござる」メルマガ第56号

本日、「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得第56号」
を配信しました。

今回も、軍師官兵衛を描いた「播磨灘物語」から
備中高松城攻めの場面よりご紹介しております。

「いかなる誓紙でも、誓紙でござる」

高松城城主切腹の直後に、
本能寺の変で信長を死を知った毛利方は・・・

是非、ご一読を!!

2014年6月15日日曜日

講演会

先週金曜日に講演してきました。

テーマは、「課題解決型営業 〜実践編〜」で
1.5時間お話してしてきました。

14時スタートという、昼食後の魔の時間にもかからわず、
約50人の方々が、熱心に耳を傾けてくださいました。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。

実は、2012年11月に上記テーマの「基礎編」を
拙書「”商品は売るな” 営業変革に取り組んだリーダーたちの物語」
をベースに講演させていただき、今回またお声をかけていただいた
という経緯がありました。

毎回、何か一つでも持って帰るものがあれば、
何か一つでも記憶に残してもらえるものがあれば・・・
と思って講演の準備をし、お話しています。

講演前に、最前列に座られた某大手の支社長さんが
「先生、前回の●●の話。あの話はよかったですな〜」
とお声をかけてくださいました。

1年半後に、思いが届いたことを確認できたのでした。
講師冥利につきるお声をかけていただきました。

「また、今日もいくつか持って帰ってください」

とご挨拶し、お話を始めたのでした。