2025年11月28日金曜日

行ってきました「TAKANAKA」

三連休の最終日。
向かった先は広島アステールプラザ。
高中正義 ライブ、今年で観るのは三度目になります。

最初の出会いは大学時代の学園祭。
好きなギタリストで期待は大きかったものの、
その日はPAの機材の調子が悪かったのか、今ひとつ。
「本調子の高中正義はこんなものではないはずだ」
と思いつつ、少し消化不良のまま終わった記憶があります。
その後はライブから遠ざかり、しばらく疎遠に。

転機となったのは、クライアントが制作した映像。
自分の映るシーンに流れていたBGMが高中の
「黒船(嘉永六年六月四日)」という曲でした。
そこから昨年、久しぶりにライブに足を運び、
「やっぱり、ええミュージシャンだわ」と思い直し、
そして今年——3度目の高中です。

すでに古希を越える高中正義。
しかし、ギター一本で会場を総立ちにさせるそのプレイには、
年齢の影をまったく感じません。
むしろ以前より洗練されているようにさえ感じました。

今回、ライブへの転機となった「「黒船」が演奏されなかったのが
残念でしたが、あっという間の2時間でした。

後日、ファンクラブに入っている友人が集合写真を送ってくれました。


人の海の中から自分を探すのは、なかなかの難易度。
まるでウォーリーを探しているようでしたが、
見つけた瞬間の「おった!」という達成感まで含めて、
これもまたライブの余韻です。


また機会があれば、次はぜひ「黒船」を生で聴きたいとおもっています。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2025年11月15日土曜日

「弱者の特権である考えぬくことを行ない、・・」メルマガ第193号

本日メールマガジンを配信しました。
 
今回も引き続き司馬氏の長編小説「坂の上の雲」からご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

  弱者の特権である考えぬくことを行ない、
    さらにその考えを思いつきにせず、
           それをもって全艦隊を機能化した

     坂の上の雲(8)「砲火指揮」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2025年10月31日金曜日

「評価」とは報酬の分配のためだけ?

 上司にとって「部下を評価する」ことは、
義務であり、同時に権限でもあります。
組織の成果を左右する重要な行為であり、
避けて通ることはできないものです。

しかしながら、「評価」という言葉を
“点数をつける作業”とだけ捉えてしまうと、
肝心な部分が欠落してしまうのです。

本来、上司の役割は「部下の評価をする」ことにとどまらず、
「部下の評価が上がるように導く」ことにあります。
それは、甘く採点するという意味ではありません。

評価項目に照らして、何が不足しているのか、
どんな課題を克服すべきかを明確にし、
教育・訓練を通じて成長を支援すること。
それが上司に求められる本来の評価の姿です。

ところが現場では、
この「前段のプロセス」が抜け落ちているケースが少なくありません。
課題の設定も、教育もないまま、年に一度の“評価だけ”を行い、
その結果上司は「部下が一向に成長しない」と嘆く・・・。
しかし、成長しない一因は、その機会を設計していない
上司自身にあるのです。

評価の項目には二つの側面がありませす。
一つは報酬を分配するための基準。
もう一つは、育成の方向性を示す羅針盤としての役割です。

後者を見失えば、評価は単なる“報酬配分の儀式”に堕してしまいます。

いま一度、自社の評価制度を問い直してみてはいかがでしょう。
「この評価は、報酬を決めるためだけのものになっていないか?」と。

評価を“育成のプロセス”として機能させるとき、
組織は「人を育てる組織」へと変わり始めるのです。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2025年10月29日水曜日

「AIが描く地図、人が歩む道」

顧問先に「この部分、AIを活用してみたら?」と
提案することがよくあります。

実際に試してみると、意図通りの回答が得られないケースもありますが、
一方で「ここまでできるのか」と期待以上のアウトプットに
驚くこともあります。

AIの進化は確実に、私たちの仕事のあり方を変えつつあります。

問題解決のプロセスを整理すると、一般的に次の四段階に分けられます。
①問題・課題の設定(何をしたいか?何を解決したいか?)
②情報の収集
③解決案の立案
④実行

このうちAIは、①〜③の領域において驚くほどの力を発揮します。
たとえば、膨大なデータを瞬時に整理し、関連する情報を抽出する。
また、過去の成功・失敗事例をもとに、いくつかの代替案を提示する。
さらには、異なる視点から「潜在的な課題」を
浮かび上がらせることもできます。

しかし――。
AIが提案できるのは、あくまで「選択肢」までです。

どの課題に焦点を当てるか、どの案を採用するか、
そしてどの順番で実行するか。
その“意思決定”は、依然として人間の役割です。
また、AIは課題設定を支援することはできても、
「何を目的とするか」を自ら決めることはできません。

さらに、AIがいかに高度に進化しても、
④の「実行」においては本質的な限界があります。
実行とは、他者と協働し、抵抗を乗り越え、現実を動かす行為です。
ロボティクスや自動化が進んでも、目的を理解し、
に責任を負う存在――その中心に立つのは常に人間です。

そしてもう一つ忘れてはならないのが、
「AIに問いを投げかける」こと自体、
人の能動的な働きかけによって初めて成り立つという点です。
AIは自ら問題意識を持つことができません。
つまり、AIの能力を引き出せるかどうかは、
私たち人間の問いの質にかかっているのです。

AIが描くのは“地図”です。
しかし、その地図のどの道を選び、どこへ向かって歩き出すか――
それを決め、実際に足を進めるのは人間。
だからこそ、AI時代においてこそ問われるのは
「問いを立てる力」と「行動する力」。

この二つの力が、
人間を“考える存在”から“動かす存在”へと
押し上げるのではないでしょうか。

AIをどう使うか人の“知性”が試めされる時代
という感じです。

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 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2025年10月23日木曜日

健全な摩擦は、組織を鍛える摩石(まいし)

どこの会社でも、部門間の利害対立は起こります。
営業 vs 製造、現場 vs 管理、コスト vs 品質――。

この摩擦は一見すると社内不和のように見えますが、
実は健全な組織の証です。
なぜなら、各部門がそれぞれの使命を全うし、
限界に挑戦しているからこそ生じる緊張だからです。

むしろ、摩擦がまったくない組織のほうが危ういと感じます。
挑戦していないか、問題を見て見ぬふりをしている可能性があるからです。
摩擦とは、組織を磨く“摩石(まいし)”のようなものです。

ある会議の場で、営業と安全衛生の部門間で
この典型的な対立が顕在化しました。

議論は延々と続きましたが、結論は出ません。
双方が「自分の正義」や「過去の経緯」を
語り続けるだけの状態でした。

「この議論を続けてもきりがありません。
 各部門で自らの主張の理由を整理し、
 上程してください。最終判断はトップが下します。」
と、伝え打ち切りました。

中小企業では、この手のテーマの議論を何度も繰り返し、
時間だけが過ぎていく。
また、このような摩擦が“放置”されたままになっていることも
時折見受けられます。

なぜそうなるのか――。
そこには、部門間の力関係や、面子、力量不足の隠蔽など、
さまざまな人間的要素が絡んでいるのでしょう。

しかしながら、こうした社内事情はお客様にとっては
どうでもいいことです。
お客様が求めているのは、
「自信を持って提供できる商品・サービス」です。

健全な摩擦を恐れず、最後は「経営として決断する」。
それがリーダーの責任です。
摩擦を嫌い、決断を避けることこそが、
企業にとって最大のリスクになります。

摩擦は、熱を生み、方向を定めるためのエネルギー源です。
経営とは、その熱を最適な温度でコントロールすることです。

あなたの会社では、この“摩擦”を活かせているのか、
今一度、振り返ってみてはいかがでしょう。

2025年10月20日月曜日

独立自尊 ― 自分の眼をもつということ

誰かが「すごい」と言えば、
いつの間にか「たしかにすごい」と思ってしまう。

世の中の評価や受賞のニュースに触れるたび、
“他人の判断をそのまま信じる”というケースを時々眼にします。

本来“評価”とは他人が下すものではなく、
自分が見て、考えて、確かめるもの。
群れの安心感に包まれるほど、思考の自由は小さくなっていきます。

「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」という言葉があります。
誰かが渡りはじめると、信号が赤でも不思議と安心する――。
それと同じように、世の中の“評価”や“称賛”にも、
無意識のうちに「みんなが言うから正しい」と思い込む構造があります。

しかし、他人の評価を鵜呑みにして同調するだけでは、
思考を他人に委ねているのと同じです。
安心感はあっても、主体性は失われていきます。

本来、他人の評価とは「きっかけ」に過ぎない。
「誰かが評価した」という事実を知ったうえで、
自分の基準で――“何をどう感じるか”を問い直すこと。
それが「自分の目を持つ」ということなのです。

他人の評価を鵜呑みにせず、しかし、無視するでもなく、
一度受け止めたうえで、自分の判断を重ねる。
その過程こそが、独立した個としての存在感につながるのです。

“みんなが良いと言うなら良い”ではなく、
“自分の眼・心で確かめて良いと思えるか”。
その一点にこそ、情報が氾濫し(フェイク情報も交錯する)時代を
生き抜くための羅針盤ではないでしょうか。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)

2025年10月9日木曜日

「自分ひとりだけが天才で・・・」メルマガ第192号

本日メールマガジンを配信しました。

今回も引き続き司馬氏の長編小説「坂の上の雲」からご紹介しています。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

  自分ひとりだけが天才で他は手のつけられぬ愚物だと思っている

     坂の上の雲(7)「宮古島」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!