先日のある会議でのことです。
議題は「ある行動項目の実施が不十分」というものでした。
その行動項目は、いわば“当たり前”といえる内容。
にもかかわらず、延々と論議が続いていました。
私には、その議論の目的が見えませんでした。
ひょっとしたらと思い、こう確認しました。
「今の議論、過去の某案件の再発防止のために、
それを思い起こす行動項目の話ですか?」
答えは「YES」。
その場で、次のような“小さな釘”を打ち込んだのでした。
この論議を、明日(8月6日)の平和記念式典に置き換えてみてください。
もし議論の中心が「参加者が減っている」という点ばかりになり、
本来の目的である「原爆の実相を伝え平和を願う」という意義が
忘れ去られていたら、どうでしょうか。
論議すべきは「行動項目が不十分」という表面的なテーマではなく、
**“過去の案件を二度と繰り返さないためには何をすべきか”**
という原点に立ち返って、改めて検討してほしいのです。
「再発防止のために、それを想起させるための行動項目を設定する」
こと自体、なかなかできることではなく、素晴らしい取り組みです。
だからこそ、その行動項目が形骸化することを、
心から残念に思ったのでした。
形だけを守って「やっているつもり」になった瞬間、
過去の失敗は静かに、しかし確実に、
こちらへ歩み寄ってくることになるからです。
Text reviewed and edited with support from
C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)