今月のメールマガジン
「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」では
播磨灘物語の黒田官兵衛を取り上げました。
もともと黒田家は、近江黒田村の出身。
黒田官兵衛の曾祖父高政の時代に流浪し、
備前福岡に流れてきました。
そして祖父重隆は備前福岡で育ち
姫路に移り住み、小寺家に仕えました。
備前福岡とは、赤穂線長船駅から西へ1㌔
岡山の中心地から国道2号線で東に20㌔余。
黒田官兵衛は、豊臣秀吉の参謀にとなり秀吉の天下取りに貢献します。
その後、息子黒田長政は、関ヶ原の戦いで西軍の家康を支持し、
筑前52万石の大名となります。
博多の西に築城した時、
その城下を、この備前福岡にちなんで、
「福岡」と名付けたのでした。
妙興寺には
黒田官兵衛の、曾祖父高政の墓所があります。
右に並んでいる、どれかなのでしょうが、
判読不可能な状態でした。
同じ境内に、戦国時代の備前大名宇喜多直家の
父興家の墓もありました。
吉井川の西岸から見た福岡城跡(中央のもっこりした所)
観応元年(1350年)足利尊氏が、
その子直冬を追討のために大軍を率いて
九州へ行く途中40日あまり滞在し、本陣にしたようです。
東側の河川敷がゴルフ場になっていて、その中に城跡がありました。
ゴルフボールのミスショットが、
車に当たるのではないかと心配しながらの撮影でした。