2019年10月13日日曜日

萩往還 その12 道の駅→萩(唐樋札場跡)

悴(かせが)峠をこえると、道の駅「萩往還」
維新の志士の像がありました。

山形有朋 木戸孝允 伊藤博文

品川弥二郎 山田顕義

天野清三郎  野村和作


高杉晋作 吉田松陰 久坂玄瑞


大屋刑場・女体解剖地跡

宝暦9年(1759年)
毛利藩医栗山孝庵が日本初の女体解剖を行ったそうです。
供養するお地蔵さんもありました

悴坂一里塚


萩往還梅林園


涙松遺跡



萩城下が見える最後の場所、
松並木の見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すことから
街道並木を「涙松」と呼ばれたそうです。


吉田松陰が安政の大獄で江戸に送られるとき、
「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入ぬるる涙松かな」
と詠んだとのこと

JR萩駅



金谷天満宮・大木戸

城下の表玄関の大木戸があったところです

道標の「諸方程里」と書かれた面には

周防宮市  13里
讃岐金比羅 78里
摂津大阪  130里
西京    143里

「当社ヨリ」と書かれた面には

肥前長崎 76里
肥後熊本 68里
筑前宰府 48里
長門下関 22里

「之⚪︎票」の面には

津和野  14里
高津人丸 17里
出雲大社 55里
東京  274里
と刻まれていました。

唐樋札場跡

幕府や藩からの御触れを記した高札を掲示し、
多くの人に知らせるために、
道路の交差する辻や街道沿いの宿場町など
人通りの多いところに設けられたようです。

萩往還は、この札場跡を始点として
防府の御船倉跡を終点としています。


今回、防府側からスタートしているため、
この札場跡を終点として
最終日 23.8キロ 5時間半 30,842歩
で萩往還完歩です。