以前ブログにアップしたことがあります(2013年10月21日)
8月に、このブログを見た熊本の球磨郡錦町で
「人吉海軍航空隊跡」をテーマに町おこし活動をしている方から、
問い合わせのメールをいただきました。
当時集めた資料も、その後まとめることもなく、お蔵入りの状態でした。
これを機会に資料をまとめることとし提供することを約束し、9月中旬にお送りすることができました。
以下、<おわりに> より抜粋
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武治さんを時系列に追いかけ、
まとめてみれば60ページに満たない資料集となりました。
断片的な資料をつなぎ合わせて、武治さんを想像するという作業は、
まるで完成図のないジグソーパズルを組み立ているような感じでした。
パズルのピースがつながったときの充実感は言うまでもありません。
一方、新たなピースは繋がったものの、
今まで想像していた完成図を見直す必要がでてきたこともありました。
その過程で、
「秋山真之に海軍大学で教えてもらったのではないか?」
「真之と同じ船に乗っていたことはないか?」
などと仮説を立て、検証してみるという作業も行ってみました。
その殆どが無為に終わりました。
唯一のヒットは、武治さんが海軍大学の甲種学生だったころ、
海軍大学の校長が佐藤鉄太郎(最終階級は中将)だったのが
確認できたことでした。
佐藤鉄太郎は、
「海軍部内で早くから戦術の天才という評価をうけていた。
もし真之がいなければ、連合艦隊の先任参謀の位置に
この佐藤がついたにちがいなかった」
と「坂の上の雲」(8巻 死闘)に紹介されています。
「『坂の上の雲』に学ぶ中小企業経営力」を書いた私にとって、
このプロセスは好奇心をそそるものでした。
また、テレビ新広島(TSS:フジテレビ系列)の
「そうだったのカンパニー」にクライアントが出演する
というのでチャンネルを合わせたところ、
見知らぬ会社が放映されていました。
放映日程を間違えたのでした。
その見知らぬ会社が入手した資料の中に
でてきてた刀匠の会社だった・・・
という偶然もありました。
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手間のかかる面倒な作業と半ば思いつつも、
終わってみれば約1月半の編集の時間も
有意義だったように感じています。
そして、新たな研究課題もでてきてたのでした。
この小冊子を制作するにあたり、
多くの方々のご協力を賜りました。
皆さまに感謝申し上げます。