2017年11月20日月曜日

「見て習え」?

職人の世界、技能の世界でよくある
昔からの指導方法(?)が、「見て習え」です。

俺の技術は簡単なものではない、
何年もかけて身につけて技だ、
習得するには時間がかかって当然だ。

だからと言うのでしょうか?
それとも威厳があり、カッコイイとでも思うでしょうか?

別な観点から言うと、

「見て習え」は、
自分の技術が整理できていない、
重要なポイントが、きちんと認識できていない、
教えるだけの語彙がない。

「俺には、基本すら教える能力がない」
と言っているの同じです。

微妙な色、味、匂い・・・等々で
判断せざるを得ない微妙なニュアンスを判別する部分は、
長年の経験値が必要な領域です。
ここは「経験を積め」しかありません。

しかしながら、基本的な手順や、どこが決め手となるポイントかは、
教えることができるものです。

「見て習え」それは「俺は教育能力がない」のと同義語です。
手順、決め手となるポイント、
そして微妙なニュアンスの違いの区別が求めらる箇所は教え、
微妙なところだけは「経験を積め」という指導に、
そして「見て習え」は禁句に・・・