2019年9月23日月曜日

萩往還 その4 郡境の碑→大内御堀

郡境の碑を越え半時歩き、
ローソンのおにぎりで昼食を済ませ、
山口に向け再出発

その途中、天保2年(1831年)に起こった
大一揆の発端となったことを伝える碑


中国縦貫道の山口ICの付近にあったのが柊獄舎跡、

そこには、大村益次郎医学記念碑
大村益次郎が四境戦争の後、
藩の医学校「好生堂」から依頼され
女囚遺体の腑分けを行なった場所です。

そして、長州五傑石
攘夷活動隆盛のなか、長州は若者を英国に密航留学させます。
「長州ファイブ」と言われる
伊藤博文・井上馨・井上勝・山尾庸三・遠藤勤助ら5人です。
その密航の費用の全額を調達斡旋したのが大村益次郎でした。

脱隊諸士招魂碑

明治政府の兵制のあり方を批判し
旧奇兵隊士が暴動を起こし捕らえら処刑されました。
彼らを供養するための碑

そして柊獄舎跡を後にし、
5キロくらい歩き大内御掘に到着、第1日目終了。

当初、御船倉をスタートし郡境の碑までを
1日目の工程として考えていました。

ヘトヘトになりながら
峠を登りつめ郡境の碑までくるとその後は下り坂。
一気に体が楽になり、
調子に乗ってもう1工程歩いてしまいました。

Iphoneの歩数計で確認すると
御船倉から大内御堀(宮島町バス停)まで
24.4キロ 31,495歩 5時間24分(途中休憩15分程度含む)。

足の付け根、膝、そして腰が痛い、これ以上は無理・・・
一日の徒歩はこれが限界のようです。

今回、自分の限界を確認できたように思います。
1日15キロくらいなら楽勝の感じです。
次回以降はこれを目安に、残りの往還取り組みます。