江戸時代、幕末の志士達が歩いたと言われる山陰・山陽連結道、
萩と防府を結ぶ53㌔の道が「萩往還」。
「一度歩いてみたい」と以前より思っていました。
夏に実行計画を策定し、
自信満々で息子達に披露したところ、
「ありえん」「道端で死ぬで~」「自分のことがわかっていない」
と批判の嵐にさらされました。
「体力が衰えているのはわかっとる、それを気合と根性で・・」
と言ったものの・・・
3日または5日くらいに分割し全行程を歩く、
という計画に修正し、
昨日スタートを切りました。
スタートは、防府の三田尻御船倉跡
参勤交代や海戦、平時の開運に備えた藩の水軍の本拠地です。
当初設置された下松市から、
萩城との交通の便や地形を考慮して
1611年この三田尻に移しました。
大部分が埋め立てられて、通堀と水路の一部が残っていました。
1863年建立された石造灯台
三田尻の海上交通の安全を見守っていたようです。
そして、萩往還終点の英雲荘(三田尻御茶屋)。
参勤交代や領内巡視の際の藩主の宿として、
公式賓客の宿として作られました。
文久3年の8月18日の変で三条実美ら7卿も
京都からここに逃れました。