2026年1月16日金曜日

「部下の数量意識が低い」?

いつも部材の発注数量が多すぎる会社がある。
在庫は膨れ、やがて廃棄となり、経営を悪影響を及ぼしている。

ある日、その社長と話をしました。

「社長も部下の発注数量を確認して、その上で発注するようにしてください。
部下は“足りなかったら困る”という不安から、必ず多めに発注するものです。」

社長の反応は、
「詳細な数量は、現場を分かっている部下でないと無理です。
 正直、そこまで関わるのはできません。
 部下の数量に対する意識が低いんですよ」
というものでした。

「現場を分かる必要はありません。
 社長がやるべきは、なぜその数量になったかを確認することです。」

現場では、その発注数量について
「なぜ?」と聞かれない。
「どう考えた?」と問われない。
「前提は何だ?」とも言われない。

部下にすれば、足りなければ即、業務に支障をきたす。
余っても、月例の会議で叱責され、
「難しいんです」と数分間頭を下げれば、
この過剰発注問題は通りすぎていく。

この構造の中では、
「多めに発注するな」という方が無理があります。

そんな職場で、誰が“適正数量”を本気で考えるでしょう。
部下は、上司の関心が向いている方向にしか、頭を使いません。

問題は、部下ではありません。
「部下の数量意識が低い」という言葉は、
「上司が数量に関心を持っていない」という告白と同義なのです。

適正発注量の算出は、部下のセンスでも経験でもありません。
上司の関心によって鍛えられる思考の筋肉なのです。

それを鍛える場を用意せず、問いも投げず、確認もしない。
それでいて「部下の意識が低い」と言うのは、
経営放棄に等しいと言われても仕方ありません。

また、過剰発注の問題を「部下の意識」で片付けるのは、
外部者(例えば、銀行)にとって言い訳にも理由にもなりません。
ただ「無能な経営者」とレッテルを張られるだけです。

社長は数量を決めなくていい。
だが、問題(数量の)から目を逸らしてはならない。
「この数字は、誰のどんな判断の結果なのか」
そこに関心を持てなくなった瞬間、部下に投げ丸投げした瞬間、
会社は静かに、確実に、正常状態から逸脱していくのです。

部下の数量意識を変えたいなら、やることは一つ。
上司が、数量に口を出す。
ただし“答え”ではなく、“問い”を。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)