2010年10月21日木曜日

順天堂記念館




昨日、千葉県佐倉市に行ってきました。
佐倉と言えば・・・

そう長嶋茂雄さんの出身高校佐倉高校のあるところです。
京成佐倉の駅からタクシーで1~2分くらい行くと、佐倉高校です。
目的地は、それから2~3分くらいのところの
順天堂記念館です。






「胡蝶の夢」という司馬さんの小説を読んで、松本良順という医者を知り、
その実父が佐藤泰然で、順天堂をおこしたということで、訪ねてみました。

明治時代の日英同盟締結のために活躍した外務大臣の林董も泰然の五男です。

中庭には、佐藤泰然を中心にして、銅像が建てられていました




「順天堂」は天保14年(1843年)に蘭医・佐藤泰然が蘭学塾兼外科診療所として設立されたものです。


「順天堂」の意味は、中国の古典易経からの言葉で、「天道に従う」、「自然んも理に従う」という意味。
北は松前藩(北海道)から、南は日州佐土原(宮崎)まで全国から、26年間で約千人の門人がいたそうです。


記念館の隣には、佐倉順天堂医院がありました。そして「佐藤さん」の表札も隣に見える。
まさか・・・と思いつつも聞いてみると、佐藤泰然の6代目のようです。


「治療定」という治療毎の料金表には、白内障、乳癌、帝王切開も記されていますが、
当時の麻酔技術は発達していなく、順天堂では無麻酔で手術をしていたことには驚きました。


手術道具の展示もありましたが、今の感覚では、むしろ大工道具。という感じです。


その他に、塾の規則、当時「外科医法」というテキスト・・多くの展示物がありましたが、
目に留まったのが、林董の書でした。


「月に釣りし、雲に耕す」

道元禅師の「山居之詩」からで、
月を釣り、雲を耕す壮大な視野と気運を持つ

という意味。

東京に行くことはあっても、成田の近くの佐倉までなかなか足を運べない中、やっと行くことができました。

そして本日、今回の東京ツアーの最大の目的、サラ・ブライトマンのコンサート。
東京国際フォーラムで、サラの透明感のある歌声に感動しました。

2010年10月20日水曜日

土用の丑の日

先日の開陽塾の講義の中、脱線話の一つで「干支」の話をしました。


干支の「支」のほうの、12支は知っているものの、
干支の「干」の方はほとんどの方がご存知ありませんでした。


甲子園球場の「甲子」も、戊辰戦争の「戊辰」もいわれは干支からきているのです。
という話です。


塾生の中から、何か他にも干支を使っているものありますか?
という質問を受け、調べてみると。


60歳の還暦、端午の節句、土用の丑の日・・・
と現代でも生きているものがありました。


土用の丑の日。
ウナギを食べる日です。


調べてみると、「う」のつくものを食べると夏負けしない、という民間伝承がもとで、
それが、ウナギになったようです。
ちなみに、この伝承をつかってウナギにしたのは、平賀源内みたいです。


ということであれば、必ずしも「ウナギ」だけでなく、「牛」だっていいのでは・・・
ウナギ屋さんだけではなく、肉屋さんでも土用の丑の日がいける。


風習として、慣習として、なにげなく型として踏襲しているものについて
そのいわれをちょっと調べてみると、いろいろと面白いことが見えてくることがあります。


業界の中で、季節が来たら、時期がきたら自動的に型が繰り返されるものの
その根っこを研究してみたり、調べたりすることをしてみてはいかがだろうか。

2010年10月12日火曜日

百聞は一見に如かず・・・

「百聞は一見に如かず」
という諺はみなさんご存知のことでしょう。


実は、その後が大切・・・と


百聞は一見に如かず
百見は、一考に如かず
百考は、一行に如かず


要するに、百回聞くよりも、一回現場に行け
百回現場に行っても、考えなければ見るものも見えず。
百回考えても、行動に移さないと意味がない


とよくお話することがありました。
てっきり私オリジナルなものと思っていましたが、
ネットで調べてみると、残念ながら私オリジナルではなさそうです。


オリジナリティーの所在はおいておいて、
大切なことです。


現場に足を運んで、そして考え、行動すること。


基本中の基本。

2010年10月6日水曜日

四国:今治講演会

本日、広島銀行今治支店主催の講演会お招きいただきました。

みなさん、メモをとりながら、そしてうなずきながら、
最後まで真剣に耳を傾けていただき、
1時間半たっぷりとお話しをしてきました。

講演後の会食での、ある社長さんとの会話

「私、松山北高校を卒業したんです」

「あの坂の上の雲の主人公の一人の秋山好古が、
陸軍大将を退官して、校長先生した北予中学(現在の松山北高校)ですね」

「学生時代、ボイスマンの墓地も掃除しに行ったこともあります」

愛媛で講演をすると、いるんですね・・・
小さい頃から、坂の上の雲の舞台で育った人が・・・

皆さん、若い経営者の方々で、和気藹々として楽しい講演会でした。
配慮の行き届いた環境を作っていただいた
広島銀行今治支店の皆さん、ありがとうございました。

今まで、松山には何度も行ったことがあるものの、
いつも今治は通り過ぎていて、今回はじめて地を踏みました。

昔は塩の街、そしてタオルの街、今は造船業の街。




  



そしてお城が・・・
今治城。藤堂高虎が築城したとのこと。
立派な石垣。天守閣は少々小ぶりでしたが、凛々しくそびえていました。



坂の上の雲の関連史跡も、ガイドマップを見ているとありました。

芸予要塞(小島)

「巨砲」
と、この当時はよばれていた。日本国内の海峡や東京湾の湾口、大阪湾へ入る紀淡海峡ぞいの
岬や島にすえられていて、敵国の軍艦が侵入してくると、この巨砲をもって撃沈しようという目的のためのものである。
(坂の上の雲 4巻 旅順)

小島という島には、芸予要塞の跡がのこっているそうです。
日露戦争を想定してつくられ、1890年(明治33年)から2年間の突貫工事で、
当時30万円という巨費を投じで、砲台や赤レンガの兵舎、火薬庫等がつくられ、
現在もそのまま残っているそうです。
日露戦争では、旅順で203高地の攻略のため、この小島の28センチ榴弾砲を旅順に持ち込み、1発218キロの砲弾を2300発撃ちこみたみに使われたそうです。
http://www.oideya.gr.jp/oshima/history/index.htm


残念ながら、時間がなく立ち寄れませんでした、次回は是非訪れてみたいと思います。

2010年10月3日日曜日

儲かるとは、信者をつくること!!??

「儲かる」とは・・・・

と漢字を分解して「信者をつくること」
と説明されることがあります。

顧客に、あなた会社の商品・サービスの信者になってもらうんだ・・・と

本当にその通りだと思います。

ただ、顧客の信者つくりの前に大切なことがあります。

それは、社員の信者作りです。
そして、経営者自らも信者になっていなければなりません。

あの店は美味しいから・・・という顧客の信者をつくるためには
まずは、「美味しものを提供する」ということに対する信者を
社員からつくりあげなければなりません。

そして、経営者はそのテーマの一番の信者と
なっていることが、基本です。

「儲かるとは、顧客に信者になってもらうこと」
という理解では片手落ちです。
まずはトップから、そして社員に、最後に顧客を信者という順番です。

何を顧客に信じてもらおうとしているのか

そこから貴社の儲けの本質が見えてくるかもしれません。