2010年10月6日水曜日

四国:今治講演会

本日、広島銀行今治支店主催の講演会お招きいただきました。

みなさん、メモをとりながら、そしてうなずきながら、
最後まで真剣に耳を傾けていただき、
1時間半たっぷりとお話しをしてきました。

講演後の会食での、ある社長さんとの会話

「私、松山北高校を卒業したんです」

「あの坂の上の雲の主人公の一人の秋山好古が、
陸軍大将を退官して、校長先生した北予中学(現在の松山北高校)ですね」

「学生時代、ボイスマンの墓地も掃除しに行ったこともあります」

愛媛で講演をすると、いるんですね・・・
小さい頃から、坂の上の雲の舞台で育った人が・・・

皆さん、若い経営者の方々で、和気藹々として楽しい講演会でした。
配慮の行き届いた環境を作っていただいた
広島銀行今治支店の皆さん、ありがとうございました。

今まで、松山には何度も行ったことがあるものの、
いつも今治は通り過ぎていて、今回はじめて地を踏みました。

昔は塩の街、そしてタオルの街、今は造船業の街。




  



そしてお城が・・・
今治城。藤堂高虎が築城したとのこと。
立派な石垣。天守閣は少々小ぶりでしたが、凛々しくそびえていました。



坂の上の雲の関連史跡も、ガイドマップを見ているとありました。

芸予要塞(小島)

「巨砲」
と、この当時はよばれていた。日本国内の海峡や東京湾の湾口、大阪湾へ入る紀淡海峡ぞいの
岬や島にすえられていて、敵国の軍艦が侵入してくると、この巨砲をもって撃沈しようという目的のためのものである。
(坂の上の雲 4巻 旅順)

小島という島には、芸予要塞の跡がのこっているそうです。
日露戦争を想定してつくられ、1890年(明治33年)から2年間の突貫工事で、
当時30万円という巨費を投じで、砲台や赤レンガの兵舎、火薬庫等がつくられ、
現在もそのまま残っているそうです。
日露戦争では、旅順で203高地の攻略のため、この小島の28センチ榴弾砲を旅順に持ち込み、1発218キロの砲弾を2300発撃ちこみたみに使われたそうです。
http://www.oideya.gr.jp/oshima/history/index.htm


残念ながら、時間がなく立ち寄れませんでした、次回は是非訪れてみたいと思います。