2013年3月25日月曜日

史跡探訪:「残念さん」

聞いたことがありませんでした史跡:『残念さん』。

調べてみると、安芸宮島の対岸の宮浜温泉(広島県廿日市市)
にある第2次長州征伐の関連史跡でした。

正式には「残念社」のようで、親しみを込めて「残念さん」
と呼ぶようです。
案内版には、

「慶応2年(1886年)7月9日、
 四十八坂を単騎で西に向かって
 馳やる幕府軍の武士がいた、
 これを見た長州軍は戦闘員だと勘違いをして、
 狙撃してしまった。
 その武士は「残念」といって倒れた。
 後にこの武士は、丹後宮津藩士の依田半蔵で、
 軍師として長州軍営に赴く途中であったことがわかり、
 長州軍は遺憾の意を表した。
 残念社は、村人が半蔵の戦死を悼んで祭ったものである。」

と説明してありました。
そして、依田神社(下)
司馬さんの「花神」という作品があります。
村田蔵六を描いたもので、
第2次長州征伐の4境戦争についても
精しく書かれた小説です。
帰って調べてみるものの、
この「残念さん」の記載を見つけることが
できませんでした。残念!!

そして、本日の目玉!!
「吉田松蔭腰掛けの岩」


案内版には

『親思う 心に勝る親心 今日のおとずれ 何と聞くらむ」
 の一首を残して江戸に護送される途中、
 吉田松蔭は西国街道で当時最も難所とされた、
 八坂峠のこの岩に腰をかけて、
 遥か故郷の島である大島を望みながら父母の恩愛に感激を、
「この場、こそ3県一望の地である」と、
 故郷に別れを告げた場所であると言われている。

との記載がありました。

僭越ではありますが、
小生も岩に腰を掛けさせていただきました。

腰かけながら、

あれ、松蔭は檻送されたんじゃなかったか・・・
ここで、檻から出たのかな??

掲示版に「3県一望の地」とあるけど
当時は、「県」という概念はまだ無かったはずだけど??

と思ったりましたが・・・・

松蔭の跡を探訪できたことに満足しました。

瀬戸内海と、宮島が綺麗に見えました。
ホント、素晴らしい眺望でした。