2013年6月22日土曜日

史跡探訪:亀居城跡


 仕事の合間の時間を利用して、広島県大竹市にある亀居城跡を訪れました。
JRの大竹駅から車で10〜15分くらいのところです。
広島を本拠にしていた毛利輝元は関ヶ原の戦いで西軍として参戦し敗れ、
山口の萩に移されます。

毛利の後に芸備の国を治めたのが、
豊臣秀吉恩顧の武将福島正則でした。

福島正則は広島城を中心に支城を、
小方、三次、東城、三原、神辺、鞆に築きました。
その小方の支城がこの、亀居城です。
(天守の跡)
「亀居城」と呼ばれるのは、
城地が亀の伏した形に似ていたことに由来するそうです。

(天守から瀬戸内海側の大竹の町)

1608年に5年の歳月を経て完成します。
毛利に対する戦略的拠点でしたが、
幕府の厳しい圧力により1611年に取り壊されました。
その約260年後の1866年この地大竹は、
第二次長州征伐の安芸口の戦いの場となりました。



慶長〜寛永(1603年〜1624年)に築かれた城の石垣には
刻印されているものが多いそうです。
そういえば、松江城、大坂城でも刻印を見た記憶があります。
仕事をした業者の印です。
石垣を作った職人が
「どうだ俺の、石垣は何百年経っても崩れてないだろう!」
と言っているようで、職人のプライドを感じました。














亀居城の石垣には、24種類264個刻印されいるそうです。
そして広島城と同型の刻印が21種類あるそうです。