先週、所用で東京へ行ってきました。
運良く、月二回の土方歳三資料館の開館日と重なり
訪問することができました。
訪問することができました。
立川からモノレールにのり「万願寺駅」から徒歩2分。
そして、歳三が家伝の石田散薬を得意先に卸す時に背負った薬箱も・・
そういえば、黒田官兵衛の祖父も秘伝の目薬を扱っていたこと、
土方歳三を描いた「燃えよ剣」の司馬遼太郎さんの実家も
薬局だったことを思い出しました。
土方歳三を描いた「燃えよ剣」の司馬遼太郎さんの実家も
薬局だったことを思い出しました。
歳三のお墓をを訪ねて石田寺へ。
お寺の中に、「土方歳三のお墓」という標識はあるものの、
その方角には土方と刻まれたお墓がいくつも・・・
その方角には土方と刻まれたお墓がいくつも・・・
歳三の「顕彰碑」が建てらていました。
明治2年(1869年)5月11日没 享年35歳。
お寺からの帰途に「とうかん森」がります。
土方一族が稲荷社を祀った場所で「稲荷森」を
音読みにして「とうかん森」とも、
土方一族十余家が祀った森で「十家森」が由来とも言われているそうです。
土方家の氏神を祀る稲荷社がありました。
燃えよ剣、新撰組の副長として近藤勇を支えた土方歳三。
その規律は、極めて厳しいものがありました。
「総司、いっておくが、おれは副長だよ。
思い出してみるがいい,結党以来、
隊を緊張強化させるいなや命令、処置は、すべておれの口から出ている。
近藤の口から出させてっことが、一度だったあるか。(省略)
不副長が、すべての憎しみをかぶる。
いつも隊長をいい子にしておく、新撰組てものはね、本来、烏合の衆だ。
ちょっと弛めれば、いつでもばらばらになるようにできていんだ。
どういうときがばらばらになるとだか、知っているかね」
「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌とりをはじめるときさ。
副長が、山南や伊東みたいにいい子になりがると、
にがい命令は近藤の口からでる。
自然憎しみや毀誉褒貶は近藤へゆく。
近藤は隊士の信をうしなう。隊はばらばらさ」
あえて、隊の中で憎まれっ子の役を引き受けた歳三。
『燃えよ剣」にはトップを支えるNo2としての役割を
多くの学ぶとろがあります。
是非ご一読を!!
多くの学ぶとろがあります。
是非ご一読を!!
次ぎは、何かの機会を見つけ土方歳三最後の地、
函館を訪れて見たいと思っています
函館を訪れて見たいと思っています