「君は御勅諭に示されている誠を持っているのか」
「はい、私もいささかながら誠を持っております」
「君は御勅諭の”心だに誠あらば何事もなるものぞかし”
の御言葉を肯定するか」
「肯定いたします」
「然らば、尋ねるが、拙者が今、
この机の上に立てている白墨を、君はその位置から倒してみよ」
「それは無茶です。教官、御勅諭の誠は、
そういう意味のものではありません」
「そうか、然らば御勅諭の誠は、
無限の力を意味しているのではなく、力に限界があることになる。
明治天皇の申された、”心だに誠あらば何事もなるものぞかし”
ということは、一種の景気づけの言葉と解してよいか」
昭和の初期、海軍大学での「統帥」の講義場面の一コマです。
(「海軍大学教育」実松譲著 異色の教官・寺本武治)
国体明徴運動の激しいこの時期に、
天皇の言葉を「景気づけの言葉」ということ自体、
外部に漏れるようなことがあれば糾弾を受けることになりかねず、
学校当局も講義の続行の是非が論議されたヤバい講義でした。
まさに異色の教官だったようです。
海軍の最高学府であるからこそ、
「いかなる問題についても、いい加減な妥協や了解ですましてならない・・」
との考えのもとに行われたのでした。
今のビジネスにおいても、忘れてはならない姿勢です。
お盆に帰省したときに、
「親戚に戦艦に乗っていた者がいた・・・」
というところから調べていったところ、
海軍大学で教鞭を取り、
「統帥」について講義していたとのこと。
「統帥」いまでいうリーダーシップです。
ならば研究せねばと調べ、探りあてることができた資料の一部です。
祖父もそう、祖父の従兄弟の寺本教官(武治)もそう、
明治生まれの人間の芯の強さを見習っていかねばと思いました。