2024年度から一万円札の顔が福沢諭吉から渋沢栄一に代わります。
渋沢栄は「論語とそろばん」という道徳経済合一説を軸に
日本の近代産業の基礎を作り上げた実業家です。
その「論語」は、中国の春秋末期(紀元前5世紀)、
または戦国時代に孔子の教えを編纂されたものです。
約25百年前のものにかかわらず「論語」は、
現代人が読んでも自ら考えや行動を振り返えさせられる
「時代を超えた名著」です。
それを、ちょっと違った視点で考えてみると・
25百年前に書かれた技術書は、今の技術者には役立ちません。
(技術史を編纂するためには必要かもしれませんが)
それは25百年の間、技術は進歩を積み重ね、
当時の技術水準からは想像できないくらいの
高いレベルに達しているためです。
一方、人間の精神性について記した論語が 現代人にも
通じ役立つということは、
25百年経た後も人間の精神性は一向に 進歩していない
ということになります。
論語は時代を超えた名著です。
しかしながら、時代を超えた名著にしているのは、
一向に進歩しない人間の精神性にあるのかもしれません。
技術と同じように、 人間の精神性が当時よりも格段にレベルアップして
「論語」が古びた歴史の遺物になるのか?と考えてみると、
誕生して悟りを開くのは極々僅かの人。
そして普通の人は、齢を経て煩悩から少し解放され
始めたころにはこの世にいない。
この繰り返しが人間とするならば、
人間の精神性は時代を超えて進歩しない。
いつまでも、論語は人間にとって「時代を超えた名著」 で
あり続けることになるのでしょう。
という、雑談でした