2025年10月20日月曜日

独立自尊 ― 自分の眼をもつということ

誰かが「すごい」と言えば、
いつの間にか「たしかにすごい」と思ってしまう。

世の中の評価や受賞のニュースに触れるたび、
“他人の判断をそのまま信じる”というケースを時々眼にします。

本来“評価”とは他人が下すものではなく、
自分が見て、考えて、確かめるもの。
群れの安心感に包まれるほど、思考の自由は小さくなっていきます。

「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」という言葉があります。
誰かが渡りはじめると、信号が赤でも不思議と安心する――。
それと同じように、世の中の“評価”や“称賛”にも、
無意識のうちに「みんなが言うから正しい」と思い込む構造があります。

しかし、他人の評価を鵜呑みにして同調するだけでは、
思考を他人に委ねているのと同じです。
安心感はあっても、主体性は失われていきます。

本来、他人の評価とは「きっかけ」に過ぎない。
「誰かが評価した」という事実を知ったうえで、
自分の基準で――“何をどう感じるか”を問い直すこと。
それが「自分の目を持つ」ということなのです。

他人の評価を鵜呑みにせず、しかし、無視するでもなく、
一度受け止めたうえで、自分の判断を重ねる。
その過程こそが、独立した個としての存在感につながるのです。

“みんなが良いと言うなら良い”ではなく、
“自分の眼・心で確かめて良いと思えるか”。
その一点にこそ、情報が氾濫し(フェイク情報も交錯する)時代を
生き抜くための羅針盤ではないでしょうか。

Text reviewed and edited with support from
 C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)