左の山が青山、右が光井山で、総称して青光井山と呼ぶそうです。
谷になって住宅地があるところが古戦場跡です。
天文9年(1540)9月、風越山から陣を移した尼子晴久が率いた3万の大軍は
翌年正月ごろまでの5ヶ月あまりにわたり、
毛利元就と対峙し、郡山合戦を繰り広げました。
郡山城の麓には、毛利元就の墓地があります。
2〜3分歩くと、墓所が見えてきました。
誰一人いない、ひっそりと静まりかえった雰囲気
墓所が見えてきました。
大きな大木が目に入ってきました。
戦国の大大名だけに、さぞかし大きな墓石が・・
と想像していたところ、
イメージからすると少し小さめでした
毛利元就の墓所の向かい側に石碑がありました。
百万一心 毛利元就が郡山城の工事の際に 人柱の替わりに使用した石碑に書かれていた言葉。 百万一心は「一日 一力 一心」と読め、 「国人が皆で力を合わせれば、何事もなし得る」という意味。 吉田全町をあげて当時の石碑を探したようですが、 発見できず、昭和6年(1931年)に拓本を元に、 模刻したもののようです。 |
元就の墓所から本丸まで約800M。山を登っていきました。
息を切らせながらやっと本丸の山頂に。
標高389.7M |
山頂の本丸で、吉田全景を見渡せるのを楽しみしていましたが、
一面木々の青葉に遮られて、どの方角も見渡す事ができませんでした。
「 本丸まで530M」付近まで下ったところからの吉田の町です。
吉田には、他にも毛利元就関係の史跡が沢山あるようです。
また機会を見つけて、寄り道を楽しみたいと思います。