2016年5月10日火曜日

史跡探訪 讃岐 ①

司馬さんの「空海の風景」を読んだ後、
北大路欣也さん主演の「空海」という映画を
DVDで見たことがありました。

印象に残っているのが、
四国の池の治水事業に空海・弘法大師が
かかわったシーンです。

香川県・讃岐にある「満濃池」がその池です

「いつか行ってみたい」と思いながらも・・・
このGWに、やっと行くことができました。

「晴天五日を経れば水湿の潤い無く、霖雨二日に及べば洪水の難有り」
と言われた地に作られたのが満濃池。
820年の難工事にあたり、嵯峨天皇の勅命により
弘法大師が派遣された

と、案内には記されていました。
池というより、大きな湖でした。











































「池は三方を山でかこまれて浸蝕谷をなしているが、
 北だけはかつては野の方向に向かって開口していたのを
 空海が堰堤を築いて水をせきとめ、池にした。
   (中略)
  この池は、ごくざっとしたかたちとしては
  空海以前からあったであろう。
  その証拠に、弘仁九年(818)にこの池が決潰し、
  北方一面の田畑や人家が流失したという事実で想像がつく。
  国司はこれを改修しようとして三ケ年間工事をしつづけたが、
  雨季になるとそのつど崩れた。
  住民はたまりかねて、京にいる空海をまねいて
  築池使に任命してくれと国司に請願した。」

   ~ 「空海の風景」 上巻 1 ~




湖畔に建立されている
「神野寺」の隣には、
空海・弘法大師の像が
池に向かって立っていました。
















湖畔の護摩壇上で秘法を修し加護を祈りつつ、
弓状堤防などの指図と説法をおこない、
僅か3ヶ月で難工事を仕上げたそうです。















この小さな島で、空海は護摩を焚いて祈りました。

島に渡ると、頂上部分は⒑畳程度の平らな部分がありました。
ここで祈ったのかな?? と想像をめぐらしました。

「神野寺」から帰ろうした時、
改めて入口の石碑を振り返ってみると、

なんと「榎本武揚」の名が・・・
土方歳三らと箱館戦争で新政府軍と戦った
幕府海軍の指揮官です。





戊辰戦争で敗戦し投獄されますが、
その後、明治政府の要人として国つくりにかかわります

榎本武揚が黒田内閣の農商務大臣の時に
立ち寄ったときのもののようです。碑には、

「千載無比人物」

と書かれてあるようです。