幹部会議の教育について論議で、
「そもそも、教育云々という前に、
自分のできないことを、部下にやらせているだろう」
「そして、部下が“できない”と嘆いているだろう」
と厳しい指摘をしました。
(自分のできないことを、部下にやらせている)
という状況は珍しい話ではありません。
むしろ、多くの組織で繰り返されている“日常”です。
むしろ、多くの組織で繰り返されている“日常”です。
本来教育とは、
自分ができることを、かみ砕き、言語化し、再現性を持たせ、
相手ができる状態にまで引き上げることです。
山本五十六の
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
という言葉が端的にそれを表しています。
これが、教育の原理原則です。
ただ、自分ができないことを部下に任せる場合もあります。
その時は、
- 一緒に取り組む
- 自分事として関わる
- 部下が前に進めるよう、可能な限り支援する
ということが必要です。
自分のできないことを部下に任せ、「できるようになれ」
と期待するのは、幻想です。
そのような人材に巡り合うのは、宝探しと同じで、
確率の極めて低いものです。
もし、そのような人材であれば、
“あなたの部下”ではなく、あなたの上司です。
もしくは、とんでもない(最低でもあなた以上の)年俸で
もし、そのような人材であれば、
“あなたの部下”ではなく、あなたの上司です。
もしくは、とんでもない(最低でもあなた以上の)年俸で
迎える存在です。
このような現象が生まれるのは、
「部下は自分と同じようにできるはずだ」
「任せれば勝手に成長するものだ」
という前提で思考しているからです。
現実を冷静に見ると、
その前提が現実と乖離していることを認識できるはずです。
その思考前提を
「人は教えなければできるようにならない」
「任せるとは、放置ではなく支援を伴う行為である」
へと置き換える必要があります。
あなたは、
「できることを教えている」のか。
それとも、
「できないことを押し付けている」のか。
もし後者なら、
部下が育たないのは当然です。
結論はシンプル、
自分ができることは、徹底的に分解して教える。
自分ができないことは、一緒にやる。
です。
Text reviewed and edited with support from
C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)
C. G. Ashford (AI Secretary, aka “Lottie”)