「DMの反応が落ちてきました・・・」
との相談がありました。
あるセグメントに対してDMを始め、当初の反応は予想以上、大成功。
ということで継続していましたが、
その反応が少しづつ落ちているとのこと。
状況を確認してみると、
当初のDMの形式のまま。
当初のDMをレベルアップしていく、
より効果的にしていく、という視点
どうすればより目を惹くか?
どうすれば良さをより分かってもらえるか?等々について、
従来のパターンを繰り返しているだけで
何らの智恵・考えが注がれていないのでした。
反応が落ちて当たり前と言えば当たりまえ。
成果は、『手間・暇』をかけたとこにしか
出てくるものではないのですから。
2013年1月14日月曜日
2013年1月7日月曜日
社会というのは・・制度、法律、慣習、道徳
メルマガ39号を発行しました。
今回のご紹介のフレーズは、
越後長岡藩の河井継之助を描いた「峠」から紹介しました。
***************************
社会というのは、生き物で、それを生かしめているのは、
制度、法律、慣習、道徳の四つである。
(中略)
世の中の制度や慣習をうかつに触って弄っては、
そこに住む人間が狂うか、死ぬ。
人間どもはそうされまいと思って気ちがい沙汰の抵抗をするよ
***************************
河井継之助の友人が、継之助を諌めたフレーズです。
示唆するところ大です。
是非、メールマガジンを御覧ください。
今回のご紹介のフレーズは、
越後長岡藩の河井継之助を描いた「峠」から紹介しました。
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社会というのは、生き物で、それを生かしめているのは、
制度、法律、慣習、道徳の四つである。
(中略)
世の中の制度や慣習をうかつに触って弄っては、
そこに住む人間が狂うか、死ぬ。
人間どもはそうされまいと思って気ちがい沙汰の抵抗をするよ
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河井継之助の友人が、継之助を諌めたフレーズです。
示唆するところ大です。
是非、メールマガジンを御覧ください。
2013年1月1日火曜日
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
私の経営の信条は、
すべてシンプルにするということです。
シンプルにすれば経営も忙しくしなくてすむ。
そのためには、
一度決めたらそれを貫くことです。
状況が変わっても、
一筋の太い道を迷わずに進むことです
「経営に終わりはない」藤沢武夫著 より
2012年12月24日月曜日
復活:70年前のコート
10年前に、亡くなった祖母の箪笥を整理していたら
男物のコートがでてきました祖父が着ていたコートでした。
祖父は明治29年(1896年)生まれ
母が嫁いできたころ、着ていたのを覚えているとのこと
そこから考えると70年以上前のものだと思われます。
デザインは今でも通用する・・と思い、
発見して以来着用していました。
ところが、表の生地は全く問題なかったのですが、
裏地が歴史の長さに耐えきれず、ぼろぼろになり、
ここ2年着ていませんでした。
庭に砂でトンネルを一緒に作ってくれた祖父
プラモデルの難しいところを手伝ってくれた祖父
近くの駅に汽車をよく見につれて行った祖父
隣町からの帰り、祖父と手をつないで歩いていると
自衛隊さんに声をかけてもらいジープに乗せてもらい
最寄り駅まで送ってもらったこと・・・
いろいろなことが、このコートとともに思い出されます。
アクアスキュータム、バーバリーと英国紳士を気取ったこともありましたが、
私にとっては、このコートはお金では買えない
いわゆる「Priceless」
明治時代生まれの祖父の
「気概」と「凛とした生き様」
をこのコートとともに継承していきたと思います。
2012年12月21日金曜日
再校正:完了
以前このブログでご紹介しました著作の件
校正段階で約1500ヶ所の修正がでてきました。
こんな感じです。
再校正の原稿が届きました。
校正の原稿と付き合わせながら、
修正箇所がきちんと反映されているかを確認・・・
中には写真のページのように、
文書の順番を大幅に
入れ替えたりしたところがあり、
自分がどう修正したのかを、
よく見て確認しなければならない部分もありました。
流石、編集者というのはプロです。
この暗号のような「赤」の修正箇所が
きちんと解読されていました
前回1,500あった修正箇所が
今回は「てにおは」程度の60カ所程度となりました。
これで「校了」としました。
「校了」としました、というのは、
全体を最後に通し読みしてみると
どうしても粗が目につくものです
かと言って、これをその都度修正していては
エンドレス・ゲームになってしまう・・・
新商品のリリースも同じ、時間を置いてみると
ああすれば良かった、こうすれば良かった
と思うもの・・・
大切なのは、
これで自分の意図が伝わると自分が思えるかどうか?
ということ
評価されれば、それが伝わったことになり、
不評であれば、意図が共感を呼ばなかったのか
意図が伝わらなかったのか
と謙虚に振り返ることをが必要となる
最後に「エイ!!」
「校了」のサインをしたのでした。
2012年12月9日日曜日
司馬遼太郎記念館に行ってきました
6年振りに司馬遼太郎記念館に行ってきました。
日記で確認してみると、6年前のちょうどこの時期でした。
近鉄「八戸ノ里」駅から徒歩で8分
駅からは迷うことはありません。
所々に案内があります。
道路にまで・・・
入館のチケットをにはシリアルナンバーが印字されていて
6年前のチケットを見るとNo.180886
そして今回はNo.329531でした。
これが入館人数だとしたら、6年間で148,645人
年間約25千人が訪問していることになります。
司馬さんの書斎
ここから竜馬が生まれたり、
坂の上の雲が生まれたり、
高田屋嘉兵衛が・・・
館内は撮影禁止で紹介できないのが残念です。
2度目の訪問にもかかわらず、壁一面の蔵書には驚きます。
館内の天井のコンクリートに浮き出た
坂本龍馬の影は健在でした。
記念に文庫本の「北斗の人」上下2巻を購入しました。
大阪に行かれる方は、是非立ち寄ってみてはいかがでしょう。
2012年12月8日土曜日
史跡探訪 伊丹有岡城
JR伊丹駅を降りると、城壁が見えてきます。
それが伊丹有岡城跡です。
天正6年(1578年)織田信長側として
羽柴秀吉に属して三木合戦に参戦していた
荒木村重は突然戦線離脱して織田信長に謀反を起こします。
その荒木村重の居城が有岡城です。
公園の一角が城跡になっていて、コンパクトでした。
秀吉の参謀の黒田官兵衛は、
荒木村重を翻意させるため有岡城乗り込みます。
しかしながら、官兵衛は捕われてしまい
牢獄に1年余閉じ込められしまいます。
官兵衛の牢獄の跡は見つけることができませんでした。
説得に行って帰って来ない官兵衛も謀反したと誤解されました。
織田信長に人質として差し出されていた
官兵衛の息子黒田長政を殺害せよとの命令がでますが、
竹中半兵衛によって一命を救われるのでした。
再来年の大河ドラマは、黒田官兵衛に決まったそうです。
この有岡城跡も脚光を浴びるかもしれません。
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