本日、メルマガ「司馬遼太郎作品に学ぶ経営心得」第47号
を配信しました。
山内一豊の妻「千代」を描いた
「功名が辻」からご紹介しています。
今回の珠玉の言葉は、
「運、不運は『事』の表裏にすぎない」
です、是非ご一読を!!
2013年9月27日金曜日
2013年9月23日月曜日
「PDCA」がまわらない:「P→R」は?
「『PDCA』がまわらない」
というフレーズを中小企業で耳にします。
「PDCA」というのは、
計画を立て、実行し、振り返り、次につなげる、というサイクルです。
ビジネスの基本中の基本と言っても過言ではありません。
「悪い会社は、戦略の立案はあってもその後の検証がなく、
やりっ放しとなっている。
失敗しても失敗したで終わり、成功しても「ラッキー」で終わってしまう。
実際にうまくいっている会社とそうでない会社の違いは、
戦略立案の優劣ではない。
PDCAがよく回っている会社がよい戦略にたどり着くのである。」
大手企業の再生を手がけた元産業再生機構の冨山和彦さんは
「会社は頭から腐る」で戦略の視点からPDCAの重要性を説いています。
企業規模に係らず、PDCAを回すというのは、人間に例えれば
血液を循環させることと同じくらい重要なものなのです。
何故PDCAが回らないのか? という問いに対しては、
「C」のチェックの部分が弱く、
次の「A」アクションに結びつかない。
というのが中小企業での概ねの答えです。
その対応としてチェック機能を高めるために、
チェックの方法を決める・・・・という対策が取られます。
しかしながら、この対策では必ずしも
「PDCA」問題が解決しないということも・・・
いや、むしろ解決しないケースが多いのではないでしょうか。
その本当の原因は、
「C」のチェックの体制にあるのではなく、
「P」の計画そのものにあるのです。
「P」の計画そのものとは、
「P」計画自体が「天ぷら(いい加減)」という意味です。
形だけの「P」計画になっているという意味です。
本来、計画は目標達成のために立案されます。
その計画が目標達成を実現する計画になっているのか?
その計画が実行可能な計画になっているのか?
という評価なしで、
「P」計画として認識されている状態が
「天ぷら」、「形だけ」なのです。
目標が達成されるかどうか、わからない計画、
実行できるどうかわからない計画、
誰が、その計画を本気で追いかけるでしょか?
その逆に、
この計画通りやれば必ず目標を達成できる、
頑張ればこの計画は実行できる、
というものであれば、
計画の進捗が気になってしかたない、
目標を見比べながら、自ずとその計画を追いかけるものです。
「C」チェックを、自ずと行うものです。
「天ぷら」計画では、誰しも本気では計画を追いかけません。
計画そのものが実現性、実行性があって、計画を追いかけるものなのです。
「形だけの計画」から「中身のある計画」にすることに
その本質があるのです。
中身のある計画にするためには、
計画自体を、リーダーが実現性、実効性という視点からレヴューし、
「頑張ってこの計画を実行すれば、必ず目標を達成する」
と、自信を持って承認できる計画にする
というプロセスが必要なのです。
すなわち、「『P→R』」という、
「計画をレヴュー」することが
極めて重要なファクターになります。
「PDCA」サイクルの問題。
「C」チェック方法を論議することよりも
「P→R」のプロセスのを確認する必要があります。
というフレーズを中小企業で耳にします。
「PDCA」というのは、
計画を立て、実行し、振り返り、次につなげる、というサイクルです。
ビジネスの基本中の基本と言っても過言ではありません。
「悪い会社は、戦略の立案はあってもその後の検証がなく、
やりっ放しとなっている。
失敗しても失敗したで終わり、成功しても「ラッキー」で終わってしまう。
実際にうまくいっている会社とそうでない会社の違いは、
戦略立案の優劣ではない。
PDCAがよく回っている会社がよい戦略にたどり着くのである。」
大手企業の再生を手がけた元産業再生機構の冨山和彦さんは
「会社は頭から腐る」で戦略の視点からPDCAの重要性を説いています。
企業規模に係らず、PDCAを回すというのは、人間に例えれば
血液を循環させることと同じくらい重要なものなのです。
何故PDCAが回らないのか? という問いに対しては、
「C」のチェックの部分が弱く、
次の「A」アクションに結びつかない。
というのが中小企業での概ねの答えです。
その対応としてチェック機能を高めるために、
チェックの方法を決める・・・・という対策が取られます。
しかしながら、この対策では必ずしも
「PDCA」問題が解決しないということも・・・
いや、むしろ解決しないケースが多いのではないでしょうか。
その本当の原因は、
「C」のチェックの体制にあるのではなく、
「P」の計画そのものにあるのです。
「P」の計画そのものとは、
「P」計画自体が「天ぷら(いい加減)」という意味です。
形だけの「P」計画になっているという意味です。
本来、計画は目標達成のために立案されます。
その計画が目標達成を実現する計画になっているのか?
その計画が実行可能な計画になっているのか?
という評価なしで、
「P」計画として認識されている状態が
「天ぷら」、「形だけ」なのです。
目標が達成されるかどうか、わからない計画、
実行できるどうかわからない計画、
誰が、その計画を本気で追いかけるでしょか?
その逆に、
この計画通りやれば必ず目標を達成できる、
頑張ればこの計画は実行できる、
というものであれば、
計画の進捗が気になってしかたない、
目標を見比べながら、自ずとその計画を追いかけるものです。
「C」チェックを、自ずと行うものです。
「天ぷら」計画では、誰しも本気では計画を追いかけません。
計画そのものが実現性、実行性があって、計画を追いかけるものなのです。
「形だけの計画」から「中身のある計画」にすることに
その本質があるのです。
中身のある計画にするためには、
計画自体を、リーダーが実現性、実効性という視点からレヴューし、
「頑張ってこの計画を実行すれば、必ず目標を達成する」
と、自信を持って承認できる計画にする
というプロセスが必要なのです。
すなわち、「『P→R』」という、
「計画をレヴュー」することが
極めて重要なファクターになります。
「PDCA」サイクルの問題。
「C」チェック方法を論議することよりも
「P→R」のプロセスのを確認する必要があります。
2013年9月17日火曜日
企業:「人を止める業」
「企業」の「企」の文字を、「人」と「止」に分解して
企業とは「人を止める業」といわれることがあります。
「人が止まる」、すなわち人材の定着性のことです。
毎年、ボロボロと人が辞めていく、そして採用を繰り返す・・・
というのでは、何をやっているのかということになりかねません。
人材の定着性というのは、いろいろな要因が絡み合っています。
給与のレベルもあるでしょう、評価システムの問題もあるでしょう
組織風土の問題もあるでしょう、教育システムの問題も・・・
その要因の一つとして、中小企業に多いのは、
業務システムそのものがしっかりしていない
というケースです。
すなわち、仕事の進め方自体が曖昧な部分が多いというケースです。
フローチャートに書こうとすると、
・次のステップの場合分けは?
・どの工程に次の線を引けばいいのか?
・誰が、何を、判断するのか?
等々、途中で作成困難に陥る、
もしくは点線で囲んで「?」を付す部分を多く作らざるを得ない
ような状態になることです。
この状態の業務を新人にさせて、困らない人はいません。
この曖昧な業務を、悶々をしながら続けると、
おおむね3つのパターンに分かれます。
1.嫌気がさして辞めていく
2.その場の空気や雰囲気を読んでなんとなくこなす
3.この際だから、自らその業務プロセスを明確にしようとする
3.の、自らその業務プロセスを明確にしようとする人材は、
そうは簡単に巡り合いません。
巡り合えたら「宝の持ち主」として、大切にしなければなりません。
しかしながら、彼の業務プロセスを明確にするという改善活動を、
上司が「いままのままで、何とかやっているのだから・・・」
と非協力的なスタンスであれば、
彼は会社を見切って辞めることになるでしょう。
そして、会社に残るのは、
2.の空気・雰囲気を読める人材、
曖昧な部分を、曖昧なままに受け入れられる人材、
「この程度」と割り切れる人材、ということになります。
この割合が増えると、「ぬるい」、「(悪い意味での)大人の職場」
になりかねません。
1.の、嫌気がさして辞めていく人のなかには、
きっちりいい仕事をしたい、責任を持って仕事をしたい、
と考える人材もいます。
業務プロセスを明確にすることは、
空気や雰囲気を読む必要もなく、
仕事に集中できる環境を整え、
きっちり責任を持った仕事ができる
環境つくりを実現することになります。
そして、「人を止め」ることにつながり、
ひいては、生産性の向上につながるのです。
定着率の問題を考えるに、
業務プロセスの整備も重要な観点の一つです。
企業とは「人を止める業」といわれることがあります。
「人が止まる」、すなわち人材の定着性のことです。
毎年、ボロボロと人が辞めていく、そして採用を繰り返す・・・
というのでは、何をやっているのかということになりかねません。
人材の定着性というのは、いろいろな要因が絡み合っています。
給与のレベルもあるでしょう、評価システムの問題もあるでしょう
組織風土の問題もあるでしょう、教育システムの問題も・・・
その要因の一つとして、中小企業に多いのは、
業務システムそのものがしっかりしていない
というケースです。
すなわち、仕事の進め方自体が曖昧な部分が多いというケースです。
フローチャートに書こうとすると、
・次のステップの場合分けは?
・どの工程に次の線を引けばいいのか?
・誰が、何を、判断するのか?
等々、途中で作成困難に陥る、
もしくは点線で囲んで「?」を付す部分を多く作らざるを得ない
ような状態になることです。
この状態の業務を新人にさせて、困らない人はいません。
この曖昧な業務を、悶々をしながら続けると、
おおむね3つのパターンに分かれます。
1.嫌気がさして辞めていく
2.その場の空気や雰囲気を読んでなんとなくこなす
3.この際だから、自らその業務プロセスを明確にしようとする
3.の、自らその業務プロセスを明確にしようとする人材は、
そうは簡単に巡り合いません。
巡り合えたら「宝の持ち主」として、大切にしなければなりません。
しかしながら、彼の業務プロセスを明確にするという改善活動を、
上司が「いままのままで、何とかやっているのだから・・・」
と非協力的なスタンスであれば、
彼は会社を見切って辞めることになるでしょう。
そして、会社に残るのは、
2.の空気・雰囲気を読める人材、
曖昧な部分を、曖昧なままに受け入れられる人材、
「この程度」と割り切れる人材、ということになります。
この割合が増えると、「ぬるい」、「(悪い意味での)大人の職場」
になりかねません。
1.の、嫌気がさして辞めていく人のなかには、
きっちりいい仕事をしたい、責任を持って仕事をしたい、
と考える人材もいます。
業務プロセスを明確にすることは、
空気や雰囲気を読む必要もなく、
仕事に集中できる環境を整え、
きっちり責任を持った仕事ができる
環境つくりを実現することになります。
そして、「人を止め」ることにつながり、
ひいては、生産性の向上につながるのです。
定着率の問題を考えるに、
業務プロセスの整備も重要な観点の一つです。
2013年9月6日金曜日
司馬遼太郎小説:読了
8月末に、司馬遼太郎さんの小説を
やっと読了しました。
下記がその小説リスト(「司馬遼太郎全仕事」文芸春秋から)
「峠」から始まり、
最後の小説は「戦国の女たち」でフィニシュ。
足掛け10年以上が経過していました。
メルマガ用のネタリストは、
1,519を数えました(一部重複もありますが)。
ベスト3をあげるとしたら・・・
「う〜ん、3つに絞るのは無理」
「面白かった」、「印象に残っている」というものに、★を印ました。
<長編小説> <短編小説>
★竜馬がゆく ・新撰組血風録
★翔が如く ・幕末
★坂の上の雲 ・ペルシャの幻術師
★燃えよ剣 ・馬上少年過ぐ
★功名が辻 ・おれは権現
★国取り物語 ・言い触らし団右衛門
★菜の花の沖 ★軍師二人
・項羽と劉邦 ・果心居士の幻術
★世に棲む日日 ・最後の伊賀者
★峠 ・戦国の忍び
・夏草の賦 ・一夜官女
★関ヶ原 ・戦国の女たち
・最後の将軍 ・真説 宮本武蔵
★梟の城 ・酔って候
★花神 ・王城の護衛者
・義経 ・アームストロング砲
・十一番目の志士 ・大坂侍
★播磨灘物語 ・人斬り以蔵
★箱根の坂 ・侍はこわい
・戦雲の夢 ・木曜日の夜会
・尻啖え孫市 ★故郷忘じがたく候
・新史 太閤記 ・花妖譚
・豊臣家の人々 ・花の館・鬼灯
・城塞
・城をとる話
・覇王の家
・宮本武蔵
★韃靼疾風録
・妖怪
★胡蝶の夢
・風の武士
・風神の門
・北斗の人
・花咲ける上方武士道
★俄ー浪華遊侠伝
・歳月
・空海の風景
・殉死
・大盗禅師
・ひとびとの跫音
今後は、紀行・エッセイ等々をぼちぼち読んでいこうと思います。
そして史跡探訪も「『街道をゆく』あとをゆく」ということで
続けていこうと思います。
2013年8月26日月曜日
My Home Town 江津
昨日、今朝の山陰豪雨で実家のある島根県江津市が
全国ニュースで頻繁に報道されました。
被害の状況が映し出され、見覚えのある場所もありました。
山崩れ、浸水の被害、避難された方々も多くいらしゃったようです。
そのニュースを見た、クライアントや知人から
お見舞いのご連絡を頂戴しました。
実家には被害は無かったとのことでした。
ご心配をおかけし、気にかけていただき
心より感謝いたします。
故郷、江津の一日も早い復旧を祈っております。
このたび「豪雨の江津」と残念な形で
全国に名前が広がりましたが、
「江津」には素晴らしいものがあります。
何年か前にこのブログでもご紹介した「花火大会」です。
「日本の3大花火大会」として
秋田の大曲、新潟の長岡、茨木の土浦が挙げられるようです。
土浦は未だですが、大曲、長岡に行って思ったことは、
江津の花火大会も、「3大花火大会」に負けるとも劣らぬ
花火大会になる可能性十分にありということです。
土浦 大曲 長岡 江津
花火数 2万発 1.8万発 2万発 0.6万発
時間 150分 205分 205分 50分
人出 70万人 76万人 89万人 6万人
*大曲は昼と夜の部の合計、長岡は2日間の合計です
時間当たりの花火の数でいくと
1位 土浦 134発/分
2位 江津 120発/分
3位 長岡 98発/分
4位 大曲 88発/分
と3大花火大会と遜色なしです。
それと、人出が少ないことです。
これは大きなアドバンテージです。
長岡、大曲の50万人近くの人出は、
昼からの「場所取り」を意味します。
そして開始まで炎天下の中を何時間も
待つ必要があります。
一方、人での少ない江津では、
花火の始まる1時間も前に最寄りの駅を出れば、
しっかり花火の見える場所が確保できます。
また、会場も上記の2つの花火大会では最寄り駅から
半時間程度の徒歩でした。
一方江津は、駅から10分も歩くだけ。
江津の花火は
「楽チンに、
3大花火大会を凌ぐ密度の高い花火が見れる」
ということです。
花火自体の演出は、改善の余地がありますが、
川面には4000個の灯籠が流れ、山にはネオンサイン
という演出は、さらに花火を盛り上げます。
| 川面の灯籠と花火 |
| 山に見えるネオンサイン 「人」と「★」が点滅する |
「豪雨の江津」でなく
「お盆の花火は江津」でご記憶ください。
2013年8月19日月曜日
史跡探訪:広島呉
広島呉市、戦艦大和が造船された町。
仕事の帰る途中に入船山公園に立寄ました。
旧東郷邸
東郷平八郎が呉に在任中(1890年〜1891年:海軍大佐時代)
に居宅していたそうです。
旧呉鎮守府司令長官官舎
明治22年(1889年)に軍政会議所兼水交社として建設され
明治25年(1892年)から昭和20年(1945年)まで、
32代の長官官舎として使用されたそうです。
火薬庫
明治32年(1899年)から3ヶ年をかけて作られた火薬保管庫です。
呉の駅からも車で5分くらいで、入船山公園に上る
並木路はなかなか風情がありました。
2013年8月13日火曜日
史跡探訪:長岡(新潟)
その主人公が、幕末の長岡藩士河井継之助。
型破りな武士で痛快な男。
知行合一の陽明学を学び、長岡藩の中堅武士から
家老に抜擢され、戊辰戦争での舵取りを任されます。
継之助は長岡藩を独立中立の立場で切り抜けようとし、
押し寄せてくる官軍の軍監土佐藩士岩村精一郎と
小千谷で談判します。
その会談場所が、慈眼寺です。
本堂の前には、大きな石碑があり
「伏見ノ変前将軍徳川慶喜恭順罪ヲ待チ
関東ノ形勢一変スルヤ奥羽列藩同盟シテ官軍に抗ス・・・」と
これが、河井継之助と岩村精一郎が会見した場所。
継之助の中立論が受け入れらず、談判は30分で決裂し
長岡藩は奥羽列藩同盟に参加し、北越戦争への突入します。
司馬さん訪れた時に残した一筆も展示されていました。
小説「峠」の峠が、この榎峠。
慶応4年(1868年)5月に戦いが行われたのでした。
そして官軍と長岡城中心に激戦を繰り返すものの長岡城は陥落。
その交戦中に継之助は左膝を負傷し、会津に向けて落ちようとします。
継之助は、途中の只見村で松本良順(「胡蝶の夢」の主人公)に診察を受け、
その後、塩沢村にて息を引き取ります。
上の写真は、長岡駅の近くにある栄涼寺の継之助の墓所です。
継之助の自宅跡地に河井継之助記念館が、その玄関で継之助とツーショット。
念願の継之助に会うことができました。
峠に登場していた人物で印象に残っている人物がいます。小林虎三郎です。
虎三郎と継之助は政治的な思想の違いで、対立をしていました。
ある日、虎三郎の家が火事になります。
困窮していた虎三郎に、継之助が火事見舞いにいきます。
虎三郎は継之助の好意に感動し感謝します。
そして、お返しする力も何も残っていない、
厚情に対する恩礼としてできることは・・・と
継之助のやり方を痛論し、欠陥をえぐり、批判を長時間したのでした。
これがお礼でした。
継之助は腹が立つものの、ブレないところ、卑しさのなさに
小林のえらさを感じたのでした。
小林虎三郎の墓所のある興国寺
虎三郎は佐久間象山の門下で吉田松蔭(吉田寅次郎)と同門で
佐久間象山門下の「二虎」と呼ばれていたそうです。
そして、「米百俵の精神」を根付かせたのでした。
「米百俵の精神」とは北越戦争で焦土化した長岡に、
支藩の三根山藩から見舞いの米が百俵送られてきました。
食べることにもこと欠く状況の中、
「食えないからこそ、教育をするのだ、学校をつくるのだ」
と米を売り払い、その代金を国漢学校に充てたのです。
「目先のことにとらわれず、明日のために行動する」
という精神を「米百俵の精神」というそうです。
コミュニティー広場にある、モニュメント。
「米を分けろ」と迫る人々に、虎三郎が切々と説いている場面です。
そして、もう一人の長岡出身者、山本五十六。
日本連合艦隊司令長官、海軍大将。
山本五十六の記念館には、五十六がブーゲンビル島上空で
撃墜され亡くなったときに搭乗していた
飛行機の残骸がも展示されていました。
記念館の道を隔てた反対側には山本五十六公園があります。
五十六の生家が見学できます。
旧長岡藩の藩士高野家の6男に生まれ、その時父が56歳だったことで
「五十六」と名つけられたそうです。
その後、旧長岡藩家老の山本家を相続して「山本五十六」となったのでした。
山本五十六の好物だった「水まんじゅう」。
長岡を懐かしみながら食べる場面が映画でもありました。
記念館に展示されている家族への手紙に中にも
「水まんじゅう」のことが書かれていました。
水まんじゅうの川西屋本店。
水まんじゅうとは、川西屋の商品名では「酒まんじゅう(塩小豆)」
と言うそうです。
残念ながら、塩小豆味は売り切れ、
隣の(甘)を買って、日本一とも言われる長岡の花火大会へ・・・
2日間連続で開催されます。
「フェニックス」という名の花火は感動ものでした。
(上の写真は違います)
何しろ、壮大な規模、迫力・・・
終わりのころには、思わず拍手をし、
「すごい、すごい」と声をだしていました。
山下清の「長岡の花火」そのままでした。
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