坂本竜馬は亀山社中(後に「海援隊」)を設立します。
薩摩の現物出資による1隻目のワイル・ウエフ号は
塩屋崎沖で暴風に会い沈没しました。
そして、長崎の女豪商からお金を借り(保証人は薩摩藩)、
風帆船の「大極丸」を手に入れます。
商売が繁盛しはじめ、船腹が足りなくなります。
そこで、伊予大洲藩に蒸気船を購入させ、
運転は海援隊、そして1航海500両で借りることにします。
それが、45馬力、160トンの蒸気船の「いろは丸」でした。
薩摩藩からたのまれている新式銃器と弾薬を大阪に運ぶことを処女航海としました。
ところが鞆の浦沖六島付近で、紀州藩の明光丸(150馬力、887トン)と衝突してしまいます。
「いろは丸」は沈没してしまいます。
広島県福山市鞆の浦で、談判をすることになります。
これが鞆の浦の港の風景
鞆の浦から弁天島を見たところ
談判するに際して、
竜馬が宿にしていた枡屋清右衛門宅
そして紀州藩の宿舎となった円福寺
談判所となった、魚屋兵衛方
そして、対潮楼
鞆の浦では結論には至らず、長崎で、最終的に決着を見ます。
8万3千両の賠償金を紀州藩から出させることになります。
「平成いろは丸」が、仙酔島まで往復していました。
いろは丸展示館に寄り、昭和に入って、引揚げられた品々を見てきました。
これが、「いろは丸」から引揚げた石炭です。
100円以上の寄付をして、持って帰ることができます。
そして、竜馬クイズも・・案外難しい。
「3級の検定合格書」をいただいて帰りました。