ある幹部Aさんとの会話
「あのねAさん、確認したって言うけど
直接確認していないでしょう?
部下の『やった(仕事を完了した)』という
報告を鵜呑みにしてるでしょう?」
「そうですけど。部下を信用していますから」
「部下は信用していいけど。でもミスが発生しているよね」
「(部下を)疑え、って言うのですか?」
と交わらない会話でした。
以前Aさんは師匠より
「部下の仕事をチェック・確認をしっかりしろ。人を信じるな」
人を信用するからチェック・確認をしなくなる。
人を信じるな、そうすればチェック・確認せざるを得なくなる、
と教えられてきようでした。
その(人を信じない)悲しい論理に抵抗感を持ったAさんは、
人を信じたいと確認・チェックを放棄した、という訳でした。
でも、現実にエラーは発生しています。
このままでは、改善する気なし、責任を放棄している、
浪花節で現実に目を背けている、とも受け止められます。
この悲しい論理に陥るのは、
「人」と「仕事」をごちゃ混ぜに考えているからです。
「人への信頼」と「仕事の出来」を区別して考えることです。
真面目に一所懸命取り組んでも、間違えるのが人
真面目にに取り組んだ(組む)姿勢はそのものは信じる。
そうだとしても、人間のやることです。
間違うことも、勘違することもあります。
アウトプットは正しくないかもしれません。
確認・チェックするのは「信じていない」からではありません。
真剣に取り組んだアウトプットが、
確実に評価されるようにするためです。
「人は信じ、仕事は疑え」と諭すと、
「人を信じていいんですね、でも、仕事は疑っていいんですね。」
と晴れやかになったAさんの表情は、
悲しい論理に長年苦しんでいたことを物語るようでした。
「これで、人間不信から解放されます」
「大袈裟な・・・」