バンクーバーオリンピックも終了し、多くの選手のパフォーマンスに魅了された。
「大切なことは眼に見えない」という東芝(多分?)のCM、
そして、野中郁次郎さん著書「戦略の本質」のなかの
「事実は眼に見えるが、本質は眼に見えない」
戦略思考には、その背景にある真の意味やメカニズムを読む
洞察力が要請される
という言葉を思い出した。
眼に見える部分は分かりやすい。
論議もしやすい。
見える部分は、彼らの数分のパフォーマンス、順位!!
銀メダルをいくつ取った、何メートル跳んだ、何秒だった・・・
しかしながら、見えない部分は、彼らの4年間の訓練・努力。
彼らは、「眼に見える部分」のため、
想像を超えるような「眼に見えない部分」に努力する。
企業経営も同じ、
売上高、利益額、販売量は眼に見える。
しかしながら、必ずしもそれは事実であり、本質ではない。
それを、生み出すところの眼に見えないものに、本質がある。
その本質とは、
・戦略の方向なのかもしれない、
・戦略を遂行するためのシステムなのかもしれない
・システム間の有機的な結合なのかもしれない
・システムを運営する個々の能力なのかもしれない
・従業員の活性度なのかもしれない
事実は、眼に見え、騒々しく騒ぎ立てる、
本質は、目に見えず、沈黙をまもる。
それゆえ、「本質」は見失いがちになってしまうという性格をもっている。
昨日の日経にトヨタの米国公聴会のことが以下のように書かれてあった。
「会社の成長のスピードに人材育成が間に合わなかった面がある」とは
「世界一」に心を奪われた失敗の告白だろう。
とするならば、「眼に見えるもの」に囚われてしまったのかもしれない。