2017年8月2日水曜日

史跡探訪 大分中津

7月末に九州に行ってきました。
まずは大分県中津

中津と言えば、福沢諭吉と黒田官兵衛。

15年ぶりに、福沢諭吉の旧居を訪問しました。
「学問のすすめ」「文明論之概略」等々が展示してありました。

「増訂華英通語」という英和辞典、興味深いものがありました。

今回の、中津のお目当ては寺町にある「合元寺」です。
豊臣秀吉が天下を取り、
黒田官兵衛は豊前の6つの郡、12万2千石を治めることになります。

司馬さんは、播磨灘物語4巻(如水)で、

「豊前の地侍たちは、にわかに中央で成立した豊臣政権を
 いかがわしく思っているだけではなく、
 その政権から送りこまれてきた
 黒田某という国主などに従いたくはなかった。

 しかし官兵衛はこれを何とか綏撫した。そのために半年かかった。
 官兵衛という男はもともと戦場の仕事を生業としているくせに、
 人を殺すことをおよそ好まなかったが、
 しかし新領内の鎮撫というのはできるだけ短時間に
 やらねばかえってもつれるのみであり、その間、むりもした。
 血を見てしまうことも多かった」 

と記ています。

その無理をしたのが合元寺の赤壁です。赤壁寺ともいわれるようです。
官兵衛は、前領主宇都宮鎮房を中津城内で誘殺し、
この寺にいた家臣らを急襲しました。

それ以来、門前の白壁は、幾度塗り替えても血痕が消えないため、
ついに赤色に塗られるようになったということです。


そして中津城へ

城の入り口で迎えるのは、福沢諭吉の「独立自尊」
黒田官兵衛が1588年に築いたという中津城。
中津川を自然の堀として使った、
日本の3水城(今治城、高松城)の一つです。
天守からの市街地の眺め
そして官兵衛時代の石垣。
当時の最高技術である穴太積みという技法が用いられるているとのこと
ノミで削った痕跡がなく、石本来の特徴を活かして積まれているそうです。