2017年8月6日日曜日

史跡探訪 熊本 田原坂

西南戦争の激戦地の田原坂

長さ1.5㎞、標高差60mの坂を官軍は、熊本城を目指し登っていきました。















どこで記憶したのか
「雨は降る降る人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」
という一文を覚えています。




「田原坂は、こんにちなお往時の景観と大差はない。
 要害といっても自動車でそこを通れば、
 ほとんど気づかぬうちに過ぎ切ってしまうほどに、
 変哲もなさそうである。
 この坂は、小丘陵の稜線を縦に貫いている。
 ただし、丘陵といえるほどの高さもない隆起である。
 要害であるという点は、道路の両側が谷になっていて、
 谷の形状が複雑に入り組み、谷間には水田が耕作されていて、
 軍隊の進行をゆるさないことがまず挙げられるであろう。
 道路にも、特徴がある。(省略)道路が塹壕のように地を
 えぐって造られている。えぐった土が両側に積みあげられ、
 その両側の堆土にはえた樹々が陽を遮り、
 所によっては道を昏くして隧道をゆくような感じの場所もある。
 しかも道路はしきに曲がっていて、その曲り角ごとに塁を築けば、
 坂をのぼってくる政府軍は追いおとされざるをえない。」 

  ~ 翔ぶが如く 9巻 田原坂 ~



















1977年3月1日から始まった田原坂の戦い、
官軍は、攻めあぐね3月20日の官軍の総攻撃で、
1日で495名の戦死者を出しながらも、薩摩軍を制圧していきました。
西南戦争の分水嶺となる戦でした。

田原坂を下ったところに
















3種類の田原坂万十を・・・
















アンコにくるまれた中身が芋、
初めて食べたお饅頭でした。

美味しくいただきました