名前と地名が同じだけで愛着を感じる「臼杵」
臼杵と言えば、石仏です。
「平安時代後期から鎌倉時代」に彫られ、目的不明と書かれ、
案内看板には、
「千四百年前(飛鳥後期から奈良時代)」に、
「炭焼小五郎」が亡くなった娘の供養に中国の天台山に
黄金3万両を献上して・・・
という伝説があると記されていました。
明治43年 京大の小川教授(湯川秀樹博士の父)が、
中国文化視察の話を京大で講義しました。
「中国の仏教摩崖仏はすばらしく、日本では絶対に拝むことができない」と。
その講義を聞いた学生が、臼杵出身友人に話したところ、
摩崖仏なら故郷臼杵の深田に行けばたくさんあると答え、
その写真を撮って小川博士に見せました。
博士は驚き、大正2年現地視察をした・・・・
というのが、臼杵の石仏が有名になるきっかけだったそうです。
(「石仏は何を語るか」 宇佐美昇著)
今回が2度目の訪問ですが、
前回は、メインの大日如来像の頭の部分落ちていました。
14年間の保存修復工事を経て、胴と一体になったようです。
Before & After の両方の如来像を
観れたのは幸運だったのかもしれません
そして臼杵城に。
キリシタン大名の大伴宗麟によって1556年に、
臼杵湾に浮かぶ小島(丹生嶋)築城されました。
岩上に建ち、北・東・南の三方の海は天然の要害でした。
イエズス会の宣教師たちはローマに「臼杵の城」と報告していたようです。
ヨーロッパの古地図(1585年)にも「Usuqi」と記載されています
秀吉時代には、福原氏、太田氏が城主となり、
関ケ原の合戦後は、美濃から入封した稲葉氏が廃藩置県まで治めました。
観光プラザに立ち寄ってみると、面白いものを発見。
下戸の私ですが、お土産に購入しました。