2017年12月25日月曜日

Completed !!

今年もこの出稿管理表のおかげで、
一度も遅れることなるメールマガジンの配信、
50本のブログの更新ができました。
年が越せそうです

デスクの後ろの本棚に張り出し
「見えざるを得ない化」
のおかげです。

そして、もう一つの「原稿作成管理表」。
こちらは、計画よりちょっとBehind気味。
ノートに書いて「見える化」はしているものの
ノートを開かなければ、眼に入ってきません。

「見えざるを得ない化」までしていなかったのが、
と管理の甘さを反省しています。

来年中には、形にしたいと頑張っています。

2017年12月11日月曜日

「金」は道具

政府の税制調査会で、タバコ税が見直してされている

「大幅に増税すると、喫煙が減り税収が減る可能性がある」


との報道。


「馬鹿な〜」とつい声をだしてしまいました。
あいた口が塞がりませんでした。

「タバコが社会的に害を及ぼすから、

 思いっ切り大幅に増税して、喫煙者が減少して、
 タバコ税どころか、タバコそのものが無くなる」

くらい考えられないのでしょうか?

たばこ税を増税するのは、
国民の健康思ってのことなのか?
国民から金を巻き上げたいだけなのか?

報道される論議では政策的な意図が見えません、
見えるのは「金」だけです。

喫煙者であり、実家がタバコ屋さんの私は、
たばこ税の増税に反対しているわけではありません。

この「考え方」に、違和感というよりむしろ拒否感を抱きます。

金のために、政策を作り出すのではありません。
意図を実現するために、金を使うのです。

目的のために、意図を具現化するために「金」という道具を使う

という基本的から外れています。

ビジネスに置き換えれば、

顧客には関心がありません。関心があるのは客の財布。」
です。間違いなく顧客に見捨てられます。

「『金』は道具」 

忘れてはなりませぬ!

2017年12月7日木曜日

「自信がつよければ独断が多い。独断はことをあやまる」メルマガ98号

本日、メールマガジン第98号を配信しました。

前回に引き続き、「関ケ原」からです。

合戦と謀略の天才と言われ、
石田三成の知行の半分もの俸禄でかかえた島左近。
三成の家来でありながら、「武」の教育役でもありました。

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殿、頭のよい人というのは、自信がつよい。
  自信がつよければ独断が多い。独断はことをあやまる。
  いまいわれたことが正気ならばばかげている」

****************************

是非、ご一読を!!

2017年12月4日月曜日

時代錯誤も甚だしい

最年少で電通の
エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターとなった著者が、
自分自身を支えるために自分に言い聞かせてきた言葉を、
1冊に本にまとめたものです。



















著者はあとがきで、

「正直、なんて暑苦しい本だ。と思っています。
 こんなストイックで殺気立った本、今の時代にはそぐわないと思います。
 身を削って仕事に打ち込むとか、時代錯誤も甚だしいです。

と記しています。

形式的な「働き方(改革)」がとやかく言われる流れの中
著者の言うように、「時代錯誤も甚だしい」「時代に逆行している」
とも捉えられかねない内容です。

しかしながら本書の内容は、

働くことに真剣に向き合う姿勢、
仕事に取り組む根っこの根っこの大切な部分、
「顧客の期待を超えた満足を提供したい!」という愚直な姿

を感じました。

これが電通魂だったのか・・・
だから最高のものを世に送り出せてきたのか・・

と、理解できるようでした。

電通は「鬼の10訓」をお蔵入させ、働き方の改革に取り組むようです。
しかしながら、根っこにある電通魂だけは失わないように・・

「いい仕事>=働き方」とお考えの方は、一読を!!

2017年11月27日月曜日

De-Marketing

「マーケティング」という言葉は、頻繁に耳にします。

 Marketingの前に「De」を付けて「De-marketing」、
聞きなれない言葉かもしれません。

どんどん売ろうとする「Marketing」に対して、
売らないのが「De-Marketing」です。

正確には、
「簡単には手に入らない」という希少性や供給制限を打ち出し、
顧客の渇望度を、ニーズを引き上げて販売する、
という高度なマーケティング手法です。
希少性マーケティングです。
「限定○○個」という販売方法も、この類です。

商品の生産量に何らかの制約があり、
例えば、原料の調達や製造工程に限界があり、
一定の生産量しかできない場合等に有効な手法です。

ところが、成長することは
「規模が大きくなること」
「数を増すこと」
という既成概念に囚われ、
いつのまにか生産量を増やそうとしてしまいます。

この方向も一つの選択肢で、決して間違いではありません。

しかしながらもう一つ、
上記のDe-Marketingという選択肢がある
ということを認識しておく必要があります。

数を増やそうとして品質を落とすよりも、
高い品質を維持するため一定量で経営を行う
というのも一つの在り方です。

ただ、De-Marketingを選択する場合は、
その供給を制限する理由が、購入者が納得・共感できるもの
でなければなりませんが・・

2017年11月20日月曜日

「見て習え」?

職人の世界、技能の世界でよくある
昔からの指導方法(?)が、「見て習え」です。

俺の技術は簡単なものではない、
何年もかけて身につけて技だ、
習得するには時間がかかって当然だ。

だからと言うのでしょうか?
それとも威厳があり、カッコイイとでも思うでしょうか?

別な観点から言うと、

「見て習え」は、
自分の技術が整理できていない、
重要なポイントが、きちんと認識できていない、
教えるだけの語彙がない。

「俺には、基本すら教える能力がない」
と言っているの同じです。

微妙な色、味、匂い・・・等々で
判断せざるを得ない微妙なニュアンスを判別する部分は、
長年の経験値が必要な領域です。
ここは「経験を積め」しかありません。

しかしながら、基本的な手順や、どこが決め手となるポイントかは、
教えることができるものです。

「見て習え」それは「俺は教育能力がない」のと同義語です。
手順、決め手となるポイント、
そして微妙なニュアンスの違いの区別が求めらる箇所は教え、
微妙なところだけは「経験を積め」という指導に、
そして「見て習え」は禁句に・・・

2017年11月15日水曜日

「せめて杖を拾ってもらったときぐらいは、・・」メルマガ第97号

本日、メールマガジン第97号を配信しました。

現在上映中の「関ケ原」の原作となった、
司馬さんの小説「関ケ原」からご紹介しています。

石田三成には、過ぎたるものが二つあるといわれていました。
「島の左近と、佐和山の城」でした。

参謀役の島左近が、三成にアドバイスする場面からです。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆ < 珠玉の言葉 > ◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

 せめて杖を拾ってもらったときぐらいは、
         笑顔をみせて存分に会釈なされ

   「関ケ原」(人と人)

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

是非、ご一読を!!

2017年11月13日月曜日

8年振りの会

11月07日 不思議な関係の3人で、食事会をしてきました。

A君は、私の大学時代のクラスメート。
B君は、私と会社の同期入社で大学の同窓
A君とB君の関係は、予備校時代のクラスメート。

3人がそれぞれの縁でつながっている不思議な関係です。
「何年振りかな??」

で始まりました。前回会ったのが2009年11月27日
ちょうど8年振りでした。

それぞれの業界の動向や経済環境という難しい話もあれば、
「〇〇君はどうしている?」
と、それぞれに共通な友人についての情報交換。

あっという間の楽しい時間でした。

今回の会は私がアレンジし、
忙しい2人の日程調整に手間取るかと思いきや、
最初のメールを打った日の1月半後の設定でしたが、
案外すんなり調整できました。

なにしろ、彼らの調整メールのレスポンスが、早い早い。

流石、地域を代表する企業の役員をしているだけあるな、

「仕事のできるやつは、スピード感がある」
「業績のいい組織は、スピードがある」

という私の持論を、再確認したのでした。

2017年10月27日金曜日

税金払うために・・・

報道される議員のていたらく・・
耳にするたびに、腹立が立ってきます。

税金を払うよりも、
子供たちへの「ユニセフ」寄付金を増額したほうが・・・
と思います。

とは言え、払うものをキチンと払ってなければ
阿保な議員に、文句の言う権利もありません。

ということで、税金はきちんと払いましょう。
そして文句も、厳しく・ガンガン言いましょう。

そろそろ本題に・・・

「税金を払うために、その上コストを負担して」というテーマですが、
会計情報を有効に活用しているか?という問題提起です。

会計事務所に、
毎月数万円の顧問料を払って会計を見てもらっている
というのが普通のパターンです。

具体的には、毎月試算表を作成してもらって、
年度末には決算処理、そして税金の申告
というのが、概ねの内容でしょう。

ところが、その毎月の試算表をどれくらい役立ててるでしょう?
決算書をどれくらい見ているでしょう?

という問題提起です。

それらの書類にでてくる数字に対して、
自分の目安(基準値)で見てみると、
「あれ?」というものがでてきます。
そこから、原因や背景を確認して次の手を打つ・・

というのが活用の仕方です。

ところが、月次の試算表が2ヶ月遅れで作成されたり、
数字を確認することなしにファイルされたり・・
と活用されてないケースがあります。

これでは、
会計を見てもらうために会計事務所を雇っている、
ことにはなりません。

「税金の申告するために毎月顧問料を払う」
「税金を納めるために、わざわざさらにコストをかけている」

のと同じです。
もったいなくて、仕方ありません。

税金を払うためにではなく、
会計という視点で経営を見るためにお金を払い、
そのついでに、税金の計算もしてもらう・・・

という位置づけで、会計情報を経営に役立てるようにしましょう。

2017年10月23日月曜日

自己否定

先日、NHKのクローズアップ現代プラスという番組で
EV自動車(電気自動車)の世界的な動きが報道されていました。

ボルボは、2019年以降、全てをEV・HEVにする
英国、フランスでは、2040年以降ガソリン・ディーゼル車の販売禁止
中国では、EVの優遇策。
先進国には内燃機関では追いつけない、ならばEVで逆転を・・

今まで、自動車の心臓部は内燃機関のエンジン。
その心臓部が不要になるのです。
既存の自動車会社にとっては、天地がひっくりかえるほどの衝撃です。
さらに、日本のメーカーは、EVシフトに出遅れている。

と、紹介されていました。

これについて2人のコメンテーターが
一人は、シンクタンクで「EV時代に対応せねば」
一人は、自動車評論家で「EV、EVとは言うけれど・・・」

と対象的なスタンスで解説していました。

自動車評論家の解説を聞きながら、
「業界情報を知れば知るほど、自己否定するのは難しい」
ものなんだな・・・と、ちょっとイライラしながら見ていました。

最高の自動車を作ってきた日本メーカーです。
なおさら自己否定するには、より難しいかもしれません。

最高のものをつくってきたというプライド
を賭けての挑戦を期待したいものです。

2017年10月9日月曜日

「ここまで『玄人』になってしまった火消しをいまさら・・」メルマガ第96号

本日、メールマガジン第96号を配信しました。

「俄」の主人公小林佐兵衛は、
府知事に頼まれ大阪の消防頭を引き受けます。

火事場の現場で思うのでした・・

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ここまで「玄人」になってしまった火消しを
いまさら教育仕直すというのは不可能で
摩擦ばかり多いだろうと見ていた。
となればいっそ彼等と別派のあたらしい組をつくって
競争させる以外にない

 「俄 -浪華遊侠伝- 」 亀山

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本当の玄人について、解説しています。

是非、ご一読を!!

2017年10月3日火曜日

シミレーション

「具体的に数値に置き換えて、シミレーションしてみましょう。」

と、ここ続いてクライアントの大切な経営判断に
かかわることがあり、提案したのでした。

「ビジョン実現のための道のりは??」
「〇〇店の出店は?」
「〇〇を休日したら?」等々というもの

社内で、いろいろな角度から検討が繰り返されていました。
(+)面もあれば、(-)面もあります。当然リスクも発生します。
概ね、それらについて論議で認識され、後は腹を決めるだけ。

という状態に至っていました。

クライアントの幹部と、
どのような形式で数字に置き換えていくか・・・
と検討を行い、技を使い、シミレーション案を作成しました。

そのシミレーションをもって、再度関係者と検討会。

「必要な売上の目安が、ハッキリした。
 それならば、〇〇の方向で組み立てられる」

「最悪のケースが、ハッキリした。
 その場合でも、〇〇で大丈夫だ。GOだ!」

「資金の推移が、ハッキリした。
 投資時期を1年変更したほうがいいな」

「この事案の山(成否の分かれ目)となるとろこが、ハッキリした。」

等々と、具体的なギアのかみ合った検討が展開され
腹の据わった結論が導きだせました。

論議をある程度重ねたら、
具体的に数字に置き換えたシミレーションで
ハッキリと、すっきりさせることも大切です。

2017年9月27日水曜日

「片一方が近眼(ちかめ)で片一方が遠眼やないといけまへん」メルマガ第95号

本日、メールマガジン第95号を配信しました。

前々回に引き続き、 日本一の侠客と言われた小林佐兵衛
を描いた「俄」よりご紹介しています。

三百年来の相場師」「上がるも下がるも大文字屋の指一つ」
と呼ばれる凄腕米問屋の大文字屋が、小林佐兵衛に
その秘訣が明かす場面からです。

是非、ご一読を!!

2017年9月20日水曜日

久しぶりの2時間講演

広島カープの優勝熱さめやらぬ翌日の 
9月19日に講演してきました。

多いのが1時間半の講演。
途中休憩をはさんだものの2時間というのは久しぶりでした。

しっかりメモを取っていただく姿、
うなづきながら聞き入っていただいている姿

そして、終了後「あの部分について・・・」
と講演内容についてご質問いただく等々

熱心に、真剣に受け止めていただいた様子でした。

主催者から
「初めて参加された事業所も数名おられ、
 大変感動されておられました」
とのお礼メールも頂戴し、一安心しています。

皆さんお疲れ様でした。
長時間ありがとうございました。

また、企画・ご準備いただいた商工会議所の
皆さんに心より感謝申し上げます。

2017年9月17日日曜日

「計画」の独り歩き

「目標に届いていない」との、幹部からの報告。

「計画はどうなっているの?」
と確認をしてみると、

幹部からの答えは
「計画はきちんと立てています」。

「計画通りに、実行できているの?」
とさらに確認してみると、

幹部からの答えは
「計画通りです」。

計画はきちんと立てていて、
その通りに実行しているにもかかわらず、
目標に届かない。

という不思議な現象です。

実は、この怪奇現象、中小企業ではよく発生します。

この怪奇現象の原因は「目標≠計画」です。
そもそも計画自体が、目標を達成するものになっていないのです。
目標は目標、計画は計画で、バラバラなのです。
計画が独り歩きしてるのです。

その背景にあるのは

責任者が計画そのものをきちんとレヴュー
(「これで目標が達成できるだろうか?」等々と検討)
していないことにあります。
計画が提出されれば、レビューされることなく、実行に移される

という実態です。

計画が提出されたら、
内容が目標が達成できるだろうかと、レビュー・吟味することが
極めて大切なプロセスです。再認識を!!

当たり前のことですが、残念ながらよくある話なのです。

2017年9月7日木曜日

新商品・新システム導入時には、必ず想定問答・対応策を

新しい価値を顧客へと、
商品・システムの新規開発、既存品の改善
が行われます(行い続けなければなりません)。

それらがリリースされ顧客の手に渡っていくと、
顧客からポジティブ(肯定的)な反応もあれば、
ネガティブ(否定的)なものも返ってきます。

ポジティブなものに対しては
「流石、お目が高い! 
 ありがとうございます、今度ともよろしく・・」です。

問題は、ネガティブなものです。

ネガティブな反応の内容を見てみると
リリースする前に想定できたことが、その多くです。
いわば(言われるべくして、言われた反応)です。

それを事前に想定することもなく、
顧客に言われて、オタオタするというケースです。

新商品・システムのため「操作に慣れていない」のは当然のこと。
それを「操作が難しい」と表現する顧客の言葉を、真に受け、
頭を抱えるということも・・・

「スイッチの位置が変わりました。
 1週間もすれば慣れます。
 その間、○○の部分(開発・改善のポイント)
 の機能アップも実感してみてください

と説明し、1週間後にフォローの約束をすればいいものを。

顧客担当の仕事は、

顧客のポジティブな反応に対して、一緒に喜ぶことですが、
ネガティブな反応に、一緒に困ったり、驚いたりすることではありません

きちんと開発・改善趣旨を理解してもらい、
上手く活用してもらえるようにすることです。

そのためにも、新商品等のリリース際には、
想定可能なネガティブ反応について事前にきちんとリストアップし、
想定問答・対応策を事前に準備しておくことは必要です。

2017年8月28日月曜日

備後府中で講演してきました

8月25日 広島銀行さん顧客交流会で、
昨年の6月に引き続きの講演でした。

昨年は、お借りしたプロジェクターとPCの接続に問題があり
パワポが言うことを聞かずに困りました。

恒久対策を施し、今回はパワポも素直に協力してくれました。

「ホントの経営101 リーダー編」というテーマで

1、リーダーとマネジャーはどう違う?
2、リーダーに大切な「中庸」
3、「現実と本質」を峻別せよ
4、「中小企業」で何が悪い
5、「成長」とは?
6、リーダーは「ベクトル」
7、リーダーシップの源泉とは?
8、「事業承継するもの」?

1~3の項目は昨年の復習を兼ねて要点を、
4~8は今回しっかりと・・・と
1時間半お話しさせていただきました。

皆さん熱心にご聴講いただき、
また広島銀行の皆さんにはいろいろとご配慮いただき、
心より感謝いたします。

ありがとうございました。 

2017年8月26日土曜日

「空気を読まず 時流を読む」

なぜかこの言葉頭に残っていて、どこで聞いたんだろう・・・
とネットでいろいろと検索していました。

NHKの智恵泉の佐久間象山編でした。

象山は、佐藤一斎に学び、山田方谷と「佐門の二傑」と呼ばれ、
象山の門下には、勝海舟、吉田松陰、坂本竜馬、小林虎三郎、
河合継之助、橋本佐内・・と幕末の有名人のオンパレードの大学者です。

いままでの、象山のイメージは、自信過剰、傲岸・・・等々の
どちらかというとネガティブなイメージでした。
この「空気を読まず、時代を読む」のKYのところに、
その原因があったのかもしれません。

ただ、「空気が読めない」のではなく、
「空気をあえて読まない」のが象山だったのかもしれません。

NHKの智恵泉HPには「KK(空気を変える)」
人とも記されていました。

「KY<JY➡KK」という大切な方程式がありそうです。
(空気を読まず、時代を読んで、空気を変える)

2017年8月25日金曜日

さてさて、どうやっつけようか・・・

3冊目の本

昨年12月23日に全体構想を練り、
年明けからコンテンツを書き始めました。

いつものように「見えざるを得ない可」をして・・

そして8月の初めに、一応コンテンツ全部を書き上げるところまできました。

書き始めて半年も経てば、最初の内容など覚えていません。
全体的な観点のレヴューが必要です。

ということで、コンテンツのひとつひとつの要点をまとめ一覧に・・・と
一覧にすると、机の上に収まりきれず
なんとこの通り1.2×1.8m 部屋の壁一面に・・・

ひと眺めするだでも、小一時間かかります。

「なかなか、いいんじゃない。全体バランスが取れている」
と思う時もあれば

「重複した部分が、ここにも、ここにも・・・」
と頭を抱えるときも

付箋と赤ペンを持ちながら格闘中です。



2017年8月7日月曜日

「テーマをもっていた人ということですね」メルマガ第94号

本日、メールマガジン第94号を配信しました。

今回は、1970年5月9422日「歴史の中の生きがい」
第一回朝日ゼミナール 東京)というテーマで
司馬遼太郎さんが講演した内容からご紹介します。

◇◆◇◆◆◆◆◆◇◆◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆

生きがいというと、
非常に平らかな言葉でありますけれども、
自分自身の人生というものにテーマを持っていた人
ということですね。
     
司馬遼太郎全講演(1)「松陰と河合継之助の死」

◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆・◆◆◆◆◆◇◆

幕末の二人の人物、長州藩の吉田松陰、
長岡藩の河合継之助生き方を追いながら
「生きがい」を探るという講演でした。

是非、ご一読を!!

2017年8月6日日曜日

熊本 田原坂 記念館等

七本柿木台場薩軍墓地
田原坂周辺の戦いで、木留・七本付近で戦死した
薩摩軍や熊本隊の兵士311人が埋葬されている墓地
七本官軍墓地
西南戦争で戦死した官軍・軍夫・警察官の県内に21カ所ある墓地の一つ。
田原坂の戦いのあと、植木・木留・辺田野・平野・滴水などで
戦死した各鎮台、近衛兵300余名が埋葬されている
西南戦争での弾痕の跡が無数に残る土蔵(復元されたもの)
西南の役戦没者慰霊之碑
官軍6,923人 薩摩軍7,186人 殉難者29人の慰霊の碑
「西郷隆盛」は、薩軍最初に数段大きい字で

史跡探訪 熊本 田原坂

西南戦争の激戦地の田原坂

長さ1.5㎞、標高差60mの坂を官軍は、熊本城を目指し登っていきました。















どこで記憶したのか
「雨は降る降る人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」
という一文を覚えています。




「田原坂は、こんにちなお往時の景観と大差はない。
 要害といっても自動車でそこを通れば、
 ほとんど気づかぬうちに過ぎ切ってしまうほどに、
 変哲もなさそうである。
 この坂は、小丘陵の稜線を縦に貫いている。
 ただし、丘陵といえるほどの高さもない隆起である。
 要害であるという点は、道路の両側が谷になっていて、
 谷の形状が複雑に入り組み、谷間には水田が耕作されていて、
 軍隊の進行をゆるさないことがまず挙げられるであろう。
 道路にも、特徴がある。(省略)道路が塹壕のように地を
 えぐって造られている。えぐった土が両側に積みあげられ、
 その両側の堆土にはえた樹々が陽を遮り、
 所によっては道を昏くして隧道をゆくような感じの場所もある。
 しかも道路はしきに曲がっていて、その曲り角ごとに塁を築けば、
 坂をのぼってくる政府軍は追いおとされざるをえない。」 

  ~ 翔ぶが如く 9巻 田原坂 ~



















1977年3月1日から始まった田原坂の戦い、
官軍は、攻めあぐね3月20日の官軍の総攻撃で、
1日で495名の戦死者を出しながらも、薩摩軍を制圧していきました。
西南戦争の分水嶺となる戦でした。

田原坂を下ったところに
















3種類の田原坂万十を・・・
















アンコにくるまれた中身が芋、
初めて食べたお饅頭でした。

美味しくいただきました

熊本城

中学の修学旅行以来の熊本城。

震災の復興状況を確認し、一口城主になろうか
とも思い立ち寄ってみました。

近辺の駐車場に止めてたものの、入場できませんでした。
情報確認不足でした
一本杖状態でかろうじて崩落を止めていた部分でしょうか、
クレーンが・・・

近くの公園には、銅像群がありました。

谷干城(たに たてき)の銅像
熊本鎮台司令長官 陸軍少将
西南戦争では熊本城で籠城策をとり、
52日間にわたる薩摩の猛攻に堪えました
「谷干城は土佐人である上に、西郷の下野についても批判的であった。
 谷はどの薩摩出身の少将よりも学問があった上に、
 物事の道理をたてることが好きで、いったん自分が構築した
 道理については決して他に譲らないという並外れた頑固さがあった。
 山県(有朋)は、谷の頑固さを買ったのであろう。
 熊本の攻防戦を想定する場合、熊本鎮台としては徹底的な籠城戦がいい、
 ということは、山県の最初から考えていたことである。
 この方針に適う恰好の守将は、谷干城であった。
 『谷という男は、籠城の守将になるためにうまれてきたような男だ』
 山県はおそらくそう言いたいぐらいに、
 谷という男の性格を知りぬいていた」

 翔ぶが如く 8巻 (熊本鎮台)

そして維新の群像像がありました。
左から
坂本竜馬 勝海舟 横井小楠 松平春獄 細川護久

史跡探訪 熊本天草

1637年に勃発した天草の乱

「切支丹弾圧によって一揆がおこったという見方は、
 島原同様、成立しない。(省略)
 天草諸島が二万石の米もとれないのに、
 表高四万二千石というふうに課税評価が固定していたために、
 その表高によって農民が苛斂誅求されつづけていた」
 ~ 街道をゆく 島原・天草の諸道 (富岡城址へ) ~

宗教弾圧による切支丹の反乱かとばかり思っていましたが、
重税に苦しむ一揆だったんですね。

天草の本渡 
祇園神社の前にある橋(1832年架設)が「祇園橋」




















標柱には「天草の乱激戦地之跡」と。
















天草の乱で、天草四郎率いる一揆勢と
富岡城番代三宅藤兵衛との唐軍が激突した場所。
両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いた、
と説明されていました。
















明徳寺 
島原の乱の後代官鈴木重成によって建立され曹洞宗の寺。
















地下に潜っているキリシタン信仰を、
仏教に転向させるために建立されたようです。




















「石段のところに「十」といった形の十字架が
  刻まれていることに気づいた。
 (省略)自然に十字架を踏みにじりつつ降りていたわけであり、
  むろんそれを意図して、江戸時代の創建早々か、
  それ以降に刻まれたものにちがいない。
  切支丹禁制時代の凄味といっていい」
  ~ 街道をゆく 島原・天草の諸道 (延慶寺の梅) ~


司馬さんの記している「十」を探したのですが・・・




























多分これ???

そして階段降りて、延慶寺へ





延慶寺
































兜梅(熊本県指定天然記念物)
樹齢500年の梅、11メーターにも広がっています。

















兜梅の名前は、
天草の合戦で、天草側の木山弾正の妻が、
騎馬武者姿で奮戦する際に、兜の綴がこの梅にからまり、
身動きできず討たれたことに由来するそうです。



本渡から北岸の海づたいに車を走らせ・・・
天草から島原が霞んで見ることができました
PM2.5の影響だそうです
















九州の天気予報では、PM2.5のコーナーがあるんですね。
  美しい景観への影響度「大」です

そして富岡城へ


















1601年に肥前唐津藩の飛地領として寺沢広高によって築城されました。
天草の乱では、一揆軍から攻撃を受け籠城しました。











城に登る途中に銅像が、天草代官「鈴木重成」像














天草・島原の乱の後、
天領となり初代代官として派遣されたのが鈴木重成。

乱の元凶となった過大な石高を半減するように幕府に要請しますが、
受け入れられず、抗議して江戸の駿河台の屋敷で自刃しました。
その後、受け入れられ半減されます。



城からの眺望








そして、二の丸に「天草回天碑」として4体の銅像が



















天草の恩人として、鈴木重成(後ろ左)鈴木正三(後ろ右)
鈴木重成は前述の通り。
鈴木正三は、鈴木重成の兄。
家督を弟に譲り出家し、弟の要望で天草に赴き
「万民徳用」の教えを島民に説いていきました。

この兄弟二人の遺徳を偲んで鈴木神社が各地にあるそうです。


















そして日本の恩人として勝海舟(前左)と頼山陽(前右)
勝海舟は、長崎海軍伝習所時代に訓練で富岡に来航、
頼山陽は、西遊時に、富岡の儒者を訪ね、天草灘の展望を吟じた、
という関連です。


アダム荒川の記念広場


切支丹禁令で神父が追放された後、教会を守っていたのがアダム荒川。
信仰を捨てず、斬首の刑に処せられました。
ローマ法王によって、正式に「福者」として承認された一人。


富岡城から、車ですこし南に走ると大江教会。
















明治に入り、禁教令が解かれると教会が建てれていきました。
明治16年(1833年)に建てられ、
現在のものは昭和8年(1933年)のもののようです。


さらに、南下していくと、
来年にも世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
として登録される崎津地区。


キリスト教の繁栄と、激しい弾圧の250年の潜伏、
そして奇跡の復活という世界でも類のない歴史
として申請中のようです。

現地のガイドさんは、
「隠れ切支丹」ではなく「潜伏切支丹」と
さらに、
「踏み絵」を踏むのが「絵踏み」と
きちんと区別していました。

















小さな漁村のシンボルとなっているのが崎津教会。
昭和9年に、絵踏みの行われた庄屋跡に建てられ、
絵踏みのが行われた場所に祭壇が置かれています。





















1614年に禁教令が出されます。

1805年に、クリスマスに牛肉や魚肉を祭壇に
備えていることがきっかけで
「天草崩れ」といわれる5,205人が
キリシタンとして摘発された事件が起きます。

その際に、異仏の取り調べが行なわれたのが崎津諏訪神社です。







































崎津の町を歩いていたら見かけたのが

















つい、うなづいてしまいました。

東シナ海の夕焼け